辺野古デッドロック再び—「軟弱地盤」で求められる防衛省の説明責任

土砂投入と軟弱地盤

土砂投入と軟弱地盤12月14日、大方の予想どおり沖縄防衛局による辺野古での土砂投入が始まった。政府には、2019年2月24日に予定される辺野古埋め立ての賛否をめぐる県民投票や埋め立て承認撤回訴訟を前に、「埋め立て」を既成事実化したいという思惑があるといわれ、埋め立ての工程をスケジュール通り淡々とこなしている。以下は、12月13日に行われた岩屋毅防衛大臣の会見の模様である(抜粋)。

「本日、防衛省にお越しになりました玉城沖縄県知事から、辺野古移設に伴う埋め立てにつきまして、中止を求めるご要請がございました。これを受けまして、私からは、あらためて辺野古移設にかかる政府の考え方をご説明申し上げて、その上で埋め立てにつきましては、明日を開始予定日としておりますので、気象状況等にもよりますけれども、予定通り開始させていただきたいというお話をさせていただいたところでございます」
「国と沖縄県で辺野古移設に関する考え方については、残念ながら一致を見ていないわけでありますけれども、普天間飛行場の危険性を除去しなければいけないと、最終的に返還を成し遂げなければいけないということにおいては、国も沖縄県も同じ考え方に立っておりますので、今後とも玉城知事さんをはじめ、沖縄県側とぜひ話し合いを続けてご理解、ご協力を得られるように粘り強く努力をしてまいりたいというふうに考えております。防衛省としては引き続き、関係法令に従い、自然環境や生活環境にも十分配慮しながら辺野古移設の工事を前に進めて参りたいと考えております」
「(予定海域に軟弱地盤があるという指摘があるが、という記者の質問に対して)新たなボーリング調査も行っておりますので、それらの結果も踏まえて総合的に判断することになると思いますが、仮に軟弱地盤が見受けられたとしても、十分に工法によって解決・克服することは可能だと考えております」

防衛相のこうした姿勢に対しては、政府を支持する層からも「拙速の誹りを免れない」「力尽くで押さえるのはいかがなものか」といった批判の声があがっている。特に問題なのは「軟弱地盤」への対処である。防衛相は「仮に軟弱地盤が見受けられたとしても、十分に工法によって解決、克服することは可能だ」というが、現状では、軟弱地盤の存在についてすら十分な説明責任を果たしているとはいいにくい。軟弱地盤と併せて活断層の存在も指摘されているが、これについても政府の明確な説明はない。

「軟弱地盤」は、今年になってから移設反対運動のリーダーの一人であり、土木技術に通じた北上田毅氏(沖縄平和市民連絡会)や赤嶺政賢衆院議員(沖縄一区・日本共産党)らの情報公開請求にによって初めて明るみに出た問題である。沖縄防衛局調達部は、2014年に現場海域の地質調査を行い、その報告書を2016年3月にとりまとめたが、これまで報告書の存在自体が公表されていなかった。同報告書には、「当初想定されていないような特殊な地形・地質が発見された」と書かれ、埋め立て予定海域の一部(滑走路東南端付近)にボーリング調査で「N値ゼロ」といわれるきわめて軟弱な地盤が存在することが指摘されている。

「N値」とは地盤の硬軟を表す指標で、重さ63.5キロのハンマーを75センチ上から落下させ、試験用の「くい」を地中30センチまで打ち込むのに必要な落下回数を指している。この数値が大きければ大きいほど硬く、小さければ小さいほど軟らかいことになる。「N値ゼロ」とはハンマーを使わずとも「くい」が自重で沈んでいくような状態を指す。マヨネーズ並みに柔らかいヘドロのような地盤であることから、しばしば「マヨネーズ地盤」といわれる。羽田空港の沖合展開のための埋め立ての際に同様の軟弱地盤が発見され、「マヨネーズ地盤」と命名された(マヨネーズ業界からはマヨネーズの印象を貶めるからこの名称の使用を止めて欲しいという抗議があったという)。

玉城デニー知事も13日の会見の席で軟弱地盤の問題に触れて、次のように述べている。

「これまでにも何度も話をさせていただいておりますが、例えば辺野古側の浅瀬の、今護岸で仕切られている海が、例えば埋められたとしても、そこから先の大浦湾側の工事は、軟弱地盤があり、活断層の疑いがあり、さらに年月や予算に関して言えば、沖縄県が試算をさせていただいた通り、年月は10年以上かかり、予算も下手をすると2兆円以上かかると(沖縄県の試算では2兆5,500億円)。こういう工事を、国会での説明もない、そして実施設計書もない、そういう形で進められるということは、行政としては考えられない」

 

玉城知事と防衛省の対応

興味深いのは、故・翁長雄志前知事と違って、玉城知事は「沖縄のアイデンティティ」や「沖縄戦の評価」などといった「こころ」に関わる主観的な側面を押し出すのではなく、具体的かつ客観的に評価しうるポイント(争点)をあげて政府との交渉に臨んでいるところだ。辺野古埋め立ての総事業経費を2兆5,500億円とした試算はさすがに誇張といわざるをえないが、「辺野古移設には当初予想以上の経費がかかる」という点については政府部内にも大きな異論はないだろう。軟弱地盤の存在についても、基となる資料が防衛省作成である以上、政府も全否定することはできない。これまでの玉城知事の言動や動静を見るかぎり、翁長前知事が強調してきた「被害者・沖縄」という視点が大幅に後退していることは明らかであり、「琉球史」を背負いこんだ旧琉球国の長ではなく、あくまでも一自治体の長として問題解決に当たろうという姿勢が垣間見える。政府との議論はすれ違っているものの、議論のためのプラットフォームを提供しようという玉城知事のふるまいは前向きに評価してよいだろう。

対する防衛相の発言は「肩すかし」ともいえる内実を伴わないものだが、辺野古移設が日米同盟とわが国の安保政策にとって不可欠なものであるという認識があるなら、軟弱地盤や活断層に関する情報を積極的に公表するとともに、設計や工法の変更、変更に伴う事業経費の見直しなど今後の対応についても、防衛省としての見解を明確にすべきだ。米海兵隊の活動に支障が出るような滑走路の造成は日本の安保政策には負の効果しかもたらさないし、納税者の理解も得られないのだから、地盤情報の公表と技術的・財政的対応策の立案と開示は必須である。

防衛省はその他の点でも沖縄県を敵視または敬遠するかのような姿勢を取っている。砂利の搬入先の変更や環境アセスメントの際に約束されたサンゴの移植などについても、沖縄県との合意事項や協議の必要性を半ば無視するかたちで進められているが、一自治体としての沖縄県の法的権威は最大限尊重すべきだ。行政権限が分権化されている以上、県の管轄を軽視してはならない。手続きはつねに適正・適法かつ脱漏なく行われるべきだ。同じことだが、県職員と沖縄防衛局職員との協業で具体化する実務の機会を減らすべきではない。

逆に沖縄県の側に「自治体」「行政」の枠を逸脱する点があれば、政府は堂々と指摘すればよい。沖縄は独立国でもなければ、自治国ですらないからである。防衛省は目先の揚げ足取りや県知事の許可が下りない事態を恐れて、県とのやり取りを回避しようとしているようだが、違法性が疑われる手法は極力排除すべきだ。折り合わないところは司法の判断に任せるほかない。現状では、沖縄という「敵」を恐れるあまり「敵」のイメージを増幅し、実体を越えて巨大化した「敵」のイメージに自ら縛られた挙げ句、逃げ道を探してるようにしか見えない。このような状態では防衛省はいつか墓穴を掘りかねない。

目下政府には、辺野古移設を実務の問題として速やかに処理したいという欲求が強い。もはやわが国には、辺野古問題にいつまでも手間とカネと時間を割く余裕などないからである。だからといって、手続きを軽視したり、当面の課題を回避したりする手法を取ると、「政府の誠意ある対応」がいっそう問われるようになり、あらたなる問題に苦しめられる。

訴訟合戦と和解への道

2016年1月29日に福岡高裁那覇支部の多見谷寿郎裁判長が勧告した「辺野古埋め立て承認取り消し訴訟」をめぐる和解案の中には「(このままでは)延々と法廷闘争が続くことが予想され(中略)知事の広範な裁量が認められて(国が)敗訴するリスクは高い」という指摘があった。訴訟合戦になれば国が敗訴する可能性は高くなることを示唆したものである。これは慧眼だ。近い将来、「辺野古埋め立て承認撤回」訴訟が提起されると予測されるが、「撤回」のケースでは、国に不利な判決が下されるかもしれない。「軟弱地盤」はその訴訟の際に決定的な要素となる可能性がある。国にとって不利な判決を避けるためには、軟弱地盤に対する防衛省の対応が透明かつ適切であることが求められる。防衛省が県民や国民に対する説明責任を十分果たすことがその前提だ。防衛省が県当局との関係を徒にこじらせることも国にとって得策ではない。

もちろん理想的には、先に触れた和解案に示されている通り、国と県との「協議」によって辺野古移設問題に決着を付けることが望ましい。普天間基地の移設先について「辺野古以外に選択肢はない」という政府の方針はこの22年間ぶれていない。ぶれないことは為政者の「徳」であると評価する向きもあるが、逆にいえば22年間にわたり辺野古移設が実現していないという事実を端的に示すものでもある。移設問題が22年間にわたり膠着した責任は政府にも沖縄にもある。左翼幻想や労組の生き残りに生涯を賭けようとする「基地反対」諸党派の介入も無視できない膠着の要因だが、ここはイデオロギーに基づく価値判断を排除しつつ、政府と県はお互いの「責任」を認め合い、たとえば普天間基地の返還を先行して実施した上で、環境に対する影響を最小限に留めるなどした設計変更によって辺野古移設を実現するほかないだろう。

こうした提案をするからといって、米軍基地そのものを「絶対悪」とみなす一部辺野古移設反対派の立場に与するつもりは毛頭ないと明言しておきたい。彼らのいう「米軍基地の過剰負担」なる論理は、基地機能の地域的配分や県内各所における局地的かつ実態的な負担感を無視して、あくまで「日本対沖縄」という構図を前面に出すための「面積比」に拘ったものにすぎない。「国土のわずか0.6%にすぎない沖縄県に米軍専用基地の70%が集中する」という言い方がそれである。米軍専用基地が自衛隊と共同使用されるようになれば一気に崩れ去るような根拠を示して「沖縄の過剰負担」を強調する手法自体にも大いに疑問があるが、米軍基地負担のない那覇など沖縄本島人口密集地の住民が、実質的な負担を被る普天間基地周辺の住民や米軍にきわめて親和的な伝統を持つ辺野古の住民の立場を棚上げして展開する反対運動に説得力は見いだせない。那覇空港第2滑走路や浦添地区の埋め立てを認めながら、辺野古についてのみ「手つかずの自然を壊す埋め立てを許すな」とする彼らの姿勢も、「自然保護」を名目とした政治的思惑の表明にほかならない。もちろん、自家撞着ともいえるこうした反対運動のスローガンを、「辺野古反対は県民の総意」として喧伝するメディアの姿勢も疑問だらけだ。

だが、玉城知事による自治体行政の長としての「ふるまい」が相対的に(翁長前知事に比べて)ノーマルである現状は、和解に向けた1つのチャンスと捉えてよいだろう。和解が成立しなかったとしても、政府は「国」と「自治体」間の行政上の係争案件として、誠実かつ適法な対応と手続きを重視した姿勢を示すべきだ。そのためには、まず防衛省が説明責任を果たすことが強く求められる。

なお、個人的には、税の無駄遣いに終始してきた辺野古移設を断念して与勝半島南海域に埋め立て地を造成し、すべての在沖縄米軍基地と自衛隊基地を移設して共用するというエルドリッヂ・プラン(ロバート・D・エルドリッヂ博士による代替案)が最善だと考えるが、政府と沖縄県の「政治的リアリズム」は、たとえそれがどんなに合理的なものであったとしても、辺野古以外の代替案を受け入れることはないだろう。返す返すも残念なことだが、これが沖縄並びに日本の「現実」である。

批評.COM  篠原章
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