「米兵の罪は許されない」のか?

人は完全ではないから間違いは犯す。人知を超えた、想像もつかぬ宿命的な流れのなかで、罪や 罰へと追いやられる場合もある。被害者だけではなく加害者も苦しむ。罪や罰とはいったい何なのだろうと思い悩む。犯した過ちが、当人の意思とは無関係に社 会的な問題にまで拡大してしまう場合もある。ときとしてそれは、「社会的制裁」ではなく「私刑」ではないか、と思えることもある。

沖縄タイムスWEB版(2012年11月11日)

沖縄タイムスWEB版(2012年11月11日)

住居侵入傷害:米兵、被害家族に謝罪

 読谷村で起きた米兵による住居侵入傷害事件で、県警 が容疑者と特定した嘉手納基地所属の空軍兵(24)らが10日夜、同村役場で、被害家族や石嶺傳實村長らと面談し、謝罪した。被害家族は「謝罪はしっかり 受け止めるが、日本の法律に基づく裁きを受けてほしい」と要求。石嶺村長によると、加害米兵は「取り返しのつかないことをしてしまった。日本で裁きを受 け、一生懸命償う」と答えた。

 面談は非公開で約1時間半行われた。米軍側は加害米兵のほか、直属の上司など5人が出席し冒頭、全員で頭を下げた。

 石嶺村長が「規律に厳しい軍隊が、外出禁止令を破って蛮行を犯した。一体どうなっているのか」とただすと、上司は「日本の捜査に協力し、軍規に基づいて厳しい処分をする。さらなる綱紀粛正に努める」と返答したという。

 同席した新垣修幸議長が「そのまま県警に出頭するべきだ」と要求すると、上司は「これまで、県警の取り調べを4回受けている。出頭すべきかは日米地位協定の問題があり、コメントできない」と答えた。

 面談後、石嶺村長は「謝罪するのは当然だ。今後は日本の裁きと、米軍内での処分をきっちりやるべきだ。家族のさまざまな被害についても、完全補償するべきだ」と話した。

 加害米兵は一言も発せず、車に乗り込んだ。上司は報道陣の質問に「ご家族にお会いした。それ以上は言えない」とだけ述べ、役場を後にした。

以上、沖縄タイムスWEB版より(2012年11月11日)

 記事を読んで「この米兵はどんな罰を受ければ許されるのだろうか」と考えこんでしまった。

 ぼくは特定の信仰はないが、罪や罰について考えるとき聖書や仏典を眺めることにしている。答えは与えられないが少しだけ落ち着く。今日読んだ聖書(共同訳)の一節を以下に掲げておきたい(ヨハネによる福音書7章53節~8章11節)

 イエスはオリーブ山へ行かれた。朝早く、再び神殿の 境内に入られると、民衆が皆、御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえ られた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法 の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、 指で地面に何か書き始められた。しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、ま ず、この女に石を投げなさい。」そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしま い、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかった のか。」女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」

 基地反対運動のリーダーには牧師も多い。彼らはどう考えているのだろうか?

批評.COM  篠原章
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