米軍基地は麻薬?2010年新年雑感

2009年はカナダのコルビー・キャレイ、イギリスのルイーズ・ゴルベイという女性歌手に巡り会えたというのが最大の収穫。本家R&Bが不作だったため、彼らが余計目立ったのかもしれない。

コルビーはサーフ系といわれるが、キャロル・キングを彷彿させる才女。美しい女性だし、日本での人気沸騰の可能性も十分ある。ルイーズはジャズや白人系R&Bというカテゴリーで捉えられているが、モダンなフォークロアといった印象。お世辞にも可愛いといえない容姿だが、個性的である。メリハリのきいたアコースティック・ブルースがいい。

普天間はついに越年。

沖縄県が主導権を握ろうとした「日米合意」の頃(96年)に比べると、想像力を欠いた政治的な駆け引きという印象が濃い。

そもそも米軍が「沖縄県民の意思」を尊重したことなんて一度もない。そのように見えることがあったとしても、それもまた政治的な駆け引きに過ぎない。つまり、米軍は米軍の論理でしか動かない。いまの日米安保体 制の枠組みを前提とする限り、この「米軍の論理」を乗り越えることは困難だ。「沖縄の心」をいくら強調しても、沖縄の(そして日本の)アメリカに対するアンビバレントな思いを克服しない限り、正面から闘うことは不可能だ。

冷静に見ると、<普天間移設>という日米合意自体が、歴史的に見ればかなり画期的な出来事だった。日米首脳が「相談」して「普天間基地を動かす」と決め、これが合意事項となったわけだから、そこには「軍の意 思」が入り込む余地がほとんどなかった。むろんこれも政治的な駆け引きだが、想像力をかき立てる「事件」ではあった。この合意事項の実現は「5年以内」という期限付きだったが、なんと14年もの歳月が流れた。あらためて合意を「想いだす」だけで14年もかかったというわけだから、県外移設なんて議論はまっ たく不毛だというほかない。振り出しに戻っただけである。

ついでいうと小沢一郎の下地島移設・伊江島移設という提案もお気楽な代案である(上の写真は下地島・民間パイロット訓練施設)。下地島は伊良部島とほぼ陸続きといってよい小島。面積からいってもきわめて狭小である。移設先に伊良部島も含めなければ、基地移設はリアルな提案とはならない。米海兵隊の利便性からいって、米側の合意も得られないだろう。伊江島移設は、米軍の論理には適う可能性はある。が、アーニー・パイルも亡くなった沖縄戦の激戦地。犠牲の上塗りという印象が強くなる土地だ。

沖縄県民の県内移設に対する否定的感情をどうしても無視できないというなら、95年から数年間くすぶった「沖縄独立論」を再構成すべきじゃないかと思う。「独立」の実現可能性を云々すれば、基地の県外移設と同じほど難しいが、「沖縄独立論」をより先鋭化させ、日米安保の枠組みをぶっ壊すぐらいの姿勢で臨まないと事態は前に進まない。 とはいえ、「独立」を口にするには高度な戦略と政治的想像力が求められるし、大きなリスクを伴うことは明らかだ。

アメリカフェチとも言える大田知事だったが、今思えばそれなりの戦略家だった。「沖縄独立」をちらつかせながら、小さいながらもいくつかの政治的果実をもぎとることができた。

が、忘れてはならない。その果実はイブがもぎ取ったリンゴと同じである。戦争ならぬ基地は、結局「麻薬」でしかないのだ。

senaga

批評.COM  篠原章
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