沖縄県民投票:綻びだらけの「埋立て」反対論と政府の辺野古「撤退」
「賛成」「反対」「どちらでもない」という三択に変わった沖縄県民投票が、予定通り2月24日に実施される。県議会自民党はこの三択案で「分裂」してしまった。二択なら投票に参加しないが、三択なら参加するといわれていた5市(宜野湾市、沖縄市、うるま市、宮古島市、石垣市)の行く末も怪しい。
これまでの経緯からいって、自民党は「三択」を拒めないはずだ。最初から県民投票自体に「反対」していたのなら投票参加拒否もわかるが、彼らは四択という対案を出していたのだから、三択で妥協するのが筋だとは思う。
私自身は県民投票には賛成しかねる立場だ。「埋立て」を主題とすること自体に無理があると考えるからだ。が、「どちらでもない」という、いかにも沖縄的な選択肢(妥協の産物)が設けられたことはとても興味深い。県民投票にあまり意義はないが、今後の推移は静かに見守りたいと思う。
投票結果にも関心はあるが、軟弱地盤のために設計変更を申請するという政府の動きも併せて注視したい。設計変更が玉城デニー知事に受け入れられる可能性は低いはずだが、知事は1月21日に、この件についてのコメントを拒否している。この拒否がいかなる意味を持つのかを考えているうちに、政府が辺野古から撤退する可能性があることに気づいた。これは「妄言」として片づけられるだろうが、けっしてありえないことではない。
以下では「埋立て」をめぐる県民投票の問題点と政府による辺野古撤退の可能性に関する拙論をまとめておきたい。
1.埋立て王国・沖縄
SNS上で「自分は原理主義的な埋立て反対主義者」といった表現を使い、辺野古の埋立てだけでなく、那覇空港や浦添沿岸の埋立ても槍玉に挙げた。辺野古の埋立てに反対するなら、那覇空港や浦添の埋立てに対しても反対すべきだと。
「原理主義云々」はある種のレトリックで、「辺野古埋立ては悪だが、他の埋立てには目を瞑る」といった姿勢の人々を揶揄したつもりだった。Twitter上ではこの「原理主義」という言葉がずいぶん気に入られたようで、
「子どもっぽい理屈で県民投票を愚弄するな」
「政府の代弁をするな」
といったような批判をいくつも頂戴した。
県民投票で「普天間基地の辺野古移設」そのものの是非を問題にするなら理解できる。が、主題が「埋立て」ではどうにも納得できない。埋立てが「基地負担を増やす」「海を壊す」という反対派の論理がしっくりこないからだ。埋立てによる普天間基地の移設で沖縄県の米軍基地面積は減る。辺野古の海は壊されるが、彼らは辺野古以外で進む(あるいは計画される)埋立てには沈黙している。辺野古だけダメという論理がよくわからない。そこで「原理主義的な埋立て反対論者」という表現を使い、この問題に光を当てようというのが、私の目論見であった。
とくに気になったのは「埋立ては海を壊す」という部分だ。沖縄県は日本屈指の「埋立て好き」自治体である。1972年以降(沖縄復帰以降)の埋立て面積で見ると沖縄は東京、大阪に次ぐ3位。埋立て面積を人口で割れば、沖縄が断トツとなる。
沖縄では、「埋立て」は一部の人々にとってある種の錬金術だ。安価な砂利を調達し、これを海に投入するだけで莫大な利益が得られる。この「埋立て利権」が辺野古移設を大きくもつれさせたことはたびたび指摘してきた。埋立て面積を減らしたい防衛省(当時は防衛庁)と埋立て面積を増やしたい業者の水面下での駆け引きが、最終的に「V字型」という奇天烈な形状を許してしまった。業者の側に立って暗躍した政治家や役人も数多い。一国の国防政策・安保政策が一部の業者と政治家・役人に翻弄された悪しき前例だ。
埋立てが好まれる背景には、業者と政治家・役人のこうしたコラボレーションがある。すべてを「悪」と断罪するつもりはないが、これに党派・団体が関わると、事態は予想以上に厄介な展開を見せる。「辺野古は×、那覇と浦添は○」というちぐはぐな姿勢も、利権・既得権や党派・団体の様々な思惑が絡んで生み落とされたものであると考えられる。そこで働いているのは、基地や安保や自然をめぐる論理の力ではなく、利権・既得権益・組織益(党派益・団体益)などを守ろうとする力である。その是非はともかく、こうした力関係の上で展開されている「埋立て反対」であることは知っておいてよいだろう。好むと好まざるとに関わらず、これが埋立てをめぐる現実の一局面である。「海」のことを本気で考えるなら、あらゆる埋立てを対象とした議論が必要だが、今回の県民投票で、その点が顧みられることはない。
2.埋立て反対論の脆さ
できれば埋立てなどしないほうがよい。どのような埋立てであれ、多かれ少なかれ海を汚染し、生態系に影響を与えるからだ。ときにはそこに生きる人々の暮らしや手つかずの景観も壊してしまう。が、埋立てが必要だと考える人々もいる。その場合は公有水面埋立法というハードルをクリアしなければならない。
埋立ての許認可には、一般に相応の合理的・説得的な根拠が必要となる。埋立てを望ましいとする公共的な要求(公益)と埋立てを望ましくないとする公共的な要求(公益)とを比較対照して、前者に軍配があがることが要件となる。仲井眞弘多元知事は前者に軍配をあげたが、翁長雄志前知事は後者に軍配をあげた。両者の捻れを受けて最高裁は前者に軍配をあげた。周知のように、翁長氏の「遺志」を継いだとされる玉城デニー知事はあらためて後者に軍配をあげることを公約に掲げて当選した。係争はまだまだつづいている。
司法上有利な判断を得られないという想定の下、沖縄県側(玉城知事サイド)は、県民投票を通じて「埋立て反対」の民意を示すことで事態を打開しようとしている。が、埋立て承認の法的根拠を提供する公有水面埋立法の承認要件に「民意」は入っていない。承認要件に「民意」の定めはなく、県民投票で示される「民意」にも法的拘束力はない。埋立てを断念するか否かは、一方的に政府の判断に拠るところとなる。有権者の過半数の民意が「埋立て反対」を示すなら、政府も考慮しなければならなくなるだろうが、それ以下であれば逆に政府を勢いづかせる可能性もある。
ここでポイントとしたいのは「民意」ではなく「公益」である。さまざまな「公益」があるが、問題となるのは辺野古埋立てにどのような公益があるかだ。政府は、「普天間基地の危険性除去」と「海兵隊の抑止力の維持」などを公益としてあげている。主として安保上・国防上のこうした公益が、移設のもたらすマイナスの公益を上回ると判断し、これを受けて仲井眞知事が埋立てを承認したという経緯がある。これに対して翁長知事以降の沖縄県は、司法の場で基地負担増と環境保全上の難点などを指摘し、県民の公益が犯されると主張した。
辺野古埋立てが公益を侵すというなら、辺野古以外の地域での埋立ても公益を侵している可能性がある。埋立て承認をする機関が同じ沖縄県である以上同一の基準が適用されないとおかしい。ところが、県は那覇空港の埋立ては承認し、浦添沿岸の埋立てにも今のところゴーサインを出している。一方は承認し、他方は承認しないというからには、すでに再三指摘している通り、その違いについて合理的・説得的な根拠が見いだされなければならない。だが、この根拠についての説明は、「辺野古反対は民意だ」という言葉によって誤魔化されてきた。
注目したいのは、辺野古だけでなく、那覇空港も浦添も軍事基地絡みの埋立てだという点である。那覇空港の拡張のための埋立ては自衛隊絡み、那覇軍港の移設先である浦添沿岸の埋立ては事実上海兵隊絡みだ(軍港の管理者は陸軍だが、荷揚げされる物の大部分は海兵隊向け)。そうした認識に立つと、「辺野古埋立てはダメ、那覇空港と浦添はOK」とするためには、この点でも合理的・説得的な説明が必要だ。端的にいえば「那覇空港と浦添は埋立てによる公益は高いが、辺野古は公益が低い」とする根拠が求められる。
辺野古移設に反対する人たちは、「米海兵隊はすでに再編によって縮小しつつあり、海兵隊そのものの軍事的役割も著しく小さくなっているのに、なぜ美しい海を埋め立ててまで辺野古に滑走路を造る必要があるのか」という。この説明を受け入れるとすると、那覇軍港の浦添移設に伴う埋立てもアウトとなるだろう。先にも述べたように那覇軍港で取り扱われる荷の大半は海兵隊の兵站関連だからである。縮小する海兵隊のための施設など不要である。那覇空港の滑走路増設は、民間機並びに同空港を共同利用する自衛隊機・海保機の離発着回数の急増に伴うものだから、海兵隊とは直接の関係はない。したがって埋立ては正当化されるかもしれない。が、その一方、「海兵隊はダメだが自衛隊はヨシ」という根拠も必要となるだろう。日米同盟下での自衛隊の役割と米軍の役割をどこまで明確に区別し、評価できるのかというあらたな問題が立ちはだかる。
結局、辺野古だけを「×」とするためには、われわれ自身の安保観・国防観が問われてしまう。こうした点を素通りした県民投票などありえない、というのがここでの私の主張である。「埋立て」を県民投票の主題とすると、以上のような問題がすっぽり抜け落ちてしまう。
3.政府は辺野古から撤退する!?
ところで、辺野古移設反対派は「埋立て反対=普天間基地の辺野古移設反対」と理解しているようだが、必ずしもそうとはいえない。「埋立て反対」には、彼らの想定とは異なる帰結を導く可能性がある。政府は「埋立て中断・普天間基地の(当面の)継続使用」「埋立て断念・辺野古陸上部への普天間基地機能の移設」というオプションを持っているからだ。反対派の多くは「軍事基地」に反対しているのであって、彼らにとって埋立ては派生的な産物にすぎない。派生的な産物である埋立てに縛られることで、結果として「軍事基地」そのものを是認することになる。それこそ本末転倒である。県民投票には、その本末転倒をもたらす「効果」もある。
今のところ政府が埋立てを断念する可能性はほとんどないといわれるが、県民(有権者)の過半数が「反対」の意思を表示したら、政府はその対応に苦慮するかもしれない。おまけに、埋立て予定地に軟弱地盤があるという事実を反対派のリーダー格のひとりである土木技師・北上田毅氏が暴き出し(北上田氏のように合理的な根拠をあげて反対する論者には敬服する)、政府は設計変更を決めた。設計変更にあたり、政府は県に対して承認を申請をすることになるが、申請が認められる可能性はきわめて低いといわれている。
ところが、防衛省の設計変更の方針が明らかになった1月21日にこの件についてコメントを求められた玉城知事は、なんとコメントを拒否しているのだ(琉球新報2019年2月22日第2面)。知事や県当局の従来の対応からみて、「承認はしない方針だ」といえばすむはずだ。より慎重に対応するとしても「申請が出てきた段階で検討する」といえばいい。だが、玉城知事は、この件でコメントを求めてきた記者の取材自体を拒否したのである。
新聞やテレビはほとんど報道しないが、これは「異常事態」だ。何かとんでもない展開があるのではないか。
以下は、「玉城知事の取材拒否」を受けて生まれた「邪推」だから、そのつもりで読んでいただきたい。
設計変更を玉城知事が承認しないとなると、政府はあらゆる法的手段に訴え、代執行なども想定しながら、事を進めなければならなくなる。そんな強引なことがいったい可能だろうか。しかも場合によったら2年以上の時間がかかる。玉城知事の任期内に一連の係争が終わるかどうかも怪しい。
むしろ政府は、玉城知事の承認が下りない事を好機と見て、事実上辺野古から撤退するのではないか。今なら、県民投票も撤退の根拠を補強するものとなりうる。撤退すれば、これまで辺野古関連でつぎ込んできた数千億円(篠原推計では3千億円)はすっかり無駄になるが、今後投入される数千億円(篠原推計4千億円)の事業費は節約できる。それでも財政的にも安保政策的にも稀に見る大失態で、誰かが責任をとらなければならない。
が、政府にとっては、それを補ってあまりある大きな効果がある。政治的な効果だ。政府が辺野古を断念すれば、辺野古シングルイシューで闘ってきた沖縄の基地反対運動は大打撃を受ける。今から標的を嘉手納に変更しても盛り上がりは期待できない。場合によったら反対運動そのものが消滅する。中長期的には、政府にとってきわめて有利な政治環境が生まれるのである。
その代わり普天間は事実上固定化される。少なくとも向こう10年は継続使用されることになるだろう。基地縮小・米軍再編に影響はでるだろうが、ある意味で「元どおりの沖縄」が実現する。「普天間基地は熟慮の上いずれ移設」ということにしておけば、宜野湾市民へのエクスキューズにもなる。市民の大半は普天間基地造成後にこの地に居を構えている。つまり、幸か不幸か、宜野湾市民は基地に「慣れて」しまっているのだ。そのなかには基地から恩恵を受けている地主や出入り業者も多い。海兵隊のなかにも「短いV字型滑走路では使いようがない」という意見が根強いから、普天間の継続使用は歓迎されるはずだ。
自公政権はいったん面子を失うが、トータルでみて相応の実益が得られる。失敗は、玉城知事と基地反対運動の「せい」にしておけばよい。現時点での敗北は、最終的には大勝利につながる。
このシナリオを選ぶと菅義偉官房長官や岩屋毅防衛大臣は、最悪の場合、腹を切らなければならないが、辺野古撤退で得られるものは想像以上に大きい。
ひょっとしたら、玉城知事はこうしたシナリオを政府関係者に見せつけられて青ざめ、コメントを拒否したのではないか、というのが私の邪推である。国後島・択捉島を半ば切り捨てた現政権だから、そのくらいのことをやってのける可能性は否定できない。あくまで個人的な邪推にすぎないが‥。