「野良ロボ」って何だ?

「野良ロボ」という言葉を最初に聴いたとき、オーナーを失って野良となったAIBOとかPepperクンがまちなかを彷徨っている姿が頭に浮かんだ。錆びついて薄汚れたAIBOやPepperくんが、シャッター商店街をぎこちなく歩き、町の人に疎まれる。なんとももの悲しい姿だ。『鉄腕アトム』にもスクラップ化したロボットの話があったような気がする。

現実社会での「野良ロボ」は手も足も頭もない。つまりヒューマノイド(人型ロボット)ではなく、管理者がいなくなったRPAのことを指している。RPAと聞いてもピンとこない人が相変わらず多いようだが、パソコンの入力作業などの定型的な業務を一括してプログラムに組み込み、事務作業を大幅に自動化する「ロボティクス・プロセス・オートメーション」の略語だ。業務のAI化と言い換えてもいい。

大企業では何年も前からRPAに取り組み、主要企業は独自のRPAを使って仕事を進めている。省力化の達成はもちろんのこと、事務作業はより正確になり、余剰となった人員を他の業務に回すことで生産性も大きく改善する。RPA導入は、ここ数年、中小企業やベンチャー企業の最大の課題となっており、生き残りをかけた業務のRPA化が進められている。

大半のRPAは、IT企業への外注や専門的な派遣社員の力を借りることによって導入されている。ひとたびRPAが導入されると、外部の企業や派遣社員は不要になる。つまりRPAの管理者がいなくなるわけだ。その分、業務は従来とは比較にならないほどローコストでまわすことが可能となるが、企業の経営システムや業務内容が変更されると、RPAのプログラムも変更しなければならなくなる。

ところが、RPAを管理できる人材が社内にはいないわけだから、「変更の必要性」に気づかないまま、RPAを使い続けることになる。そうなると、RPAで達成した効率化が裏目となり、想定外の非効率があらたに生まれてしまう。しかも、あらたに生まれた非効率に気づく人さえいない。管理者不在という事態がRPAを暴走させてしまうのである。

社内にちょっとだけ気の利いた人がいると、RPAが陳腐化したことには気づくが、変更にコストがかかることをおそれて、改良改善よりも「RPAを使わない」という判断を選ぶこともある。その結果、RPA導入以前の状態に戻ってしまう。管理者不在という事態がRPAをスクラップ化してしまうのである。

このように管理者不在で企業のお荷物となったRPAを一般に「野良ロボ」と呼び、日本経済新聞などは将来の野良ロボ対策まで想定したRPA導入を呼びかけている。

大都市のある地域では中小企業のRPA化が進みつつあり、「野良ロボ」に対する認識も徐々に深まっているが、地方のなかにはRPAという言葉にさえまだ馴染んでいないところがある。沖縄でもRPA導入は不可欠だと思うが、まだまだ十分普及していない。沖縄タイムスにはRPAに関する記事がしばしば掲載されているが、琉球新報では、RPAという言葉自体がキーワードあるいはタグとしてまだ登録されていない。インバウンドだけに気を取られて、気がついたら日本標準・世界標準から取り残されていた、なんてことがないような姿勢が求められる。

 

批評.COM  篠原章
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