橋下大阪市長の目配り〜現代遊廓異聞

例によって橋下徹大阪市長の発言が、物議を醸している。この人は、自分の政治的立場と政治的主張のバランスも考えながら、計算ずくで「問題発言」をするので、いちいち反応していては身が持たない。が、気になることもあるので、今回はちょっとだけ触れておきたい。ただし、橋下批判ではない。批判を期待している向きには期待外れとなる。あしからず。

まずは、橋本発言を引用しておきたい。

日本維新の会の橋下徹共同代表の13日の発言要旨は次のとおり。

【午前】
侵略の定義について学術上、きちんと定義がないことは安倍首相が言われているとおりだが、日本は敗戦国。敗戦の結果として侵略だということはしっかりと受け止めないといけない。実際に多大な苦痛と損害を周 辺諸国に与えたことも間違いない。反省とおわびはしなければいけない。

ただ、事実と違うことで日本国が不当に侮辱を受けていることにはしっかりと主張しなければいけない。

なぜ日本の慰安婦問題だけが世界的に取り上げられるのか。日本は「レイプ国家」だと、国をあげて強制的に慰安婦を拉致し、職業に就かせたと世界は非難している。その点についてはやっぱり、違うところは違うと言わないといけない。

意に反して慰安婦になってしまった方は、戦争の悲劇の結果でもある。戦争の責任は日本国にもある。心情をしっかりと理解して、優しく配慮していくことが必要だ。

当時は日本だけじゃなくいろんな軍で慰安婦制度を活用していた。あれだけ銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で命をかけて走っていくときに、そんな猛者集団というか、精神的にも高ぶっている集団は、どこかで休息 をさせてあげようと思ったら慰安婦制度は必要なのはこれは誰だってわかる。

ただ、日本国が、韓国とかいろんなところの宣伝の効果があって、レイプ国家だと見られてしまっている。ここが一番問題。証拠が出てくれば認めなきゃいけないが、今のところ2007年の(第1次安倍内閣の)閣議決定ではそういう証拠がないとなっている。そこはしっかり言っていかなきゃいけない。

【午後】
慰安婦制度じゃなくても、風俗業っていうものは必要だと思う。だから沖縄の海兵隊・普天間に行ったとき、司令官に「もっと風俗業を活用してほしい」と言った。司令官は凍り付いたように苦笑いになって「米軍ではオフリミッツ(出入り禁止)だ」と。(ぼくは)「そんな建前みたいなことを言うからおかしくなるんですよ。法律の範囲内で認められている中で、いわゆるそういう性的なエネルギーを合法的に解消できる場所は日本にあるわけだから、もっと真正面からそういう所を活用してもらわないと、海兵隊の猛者の性的な エネルギーをきちんとコントロールできない」と言った。(司令官からは)「行くなと通達を出しているし、これ以上この話はやめよう」と打ち切られた。

兵士なんていうのは、命を落とすかも分からない極限の状況まで追い込まれるような任務のわけで、どっかで発散するとか、そういうことはしっかり考えないといけない。建前論ばかりでは人間社会は回らない。

(慰安婦制度は)朝鮮戦争の時もあった。沖縄占領時代だって、日本人の女性が米軍基地の周辺でそういうところに携わっていた。良いか悪いかは別で、あったのは間違いない。戦争責任の一環としてそういう女性たちに配慮しなければいけないが、そういう仕事があったことまでは否定できない。

歴史をひもといたら、いろんな戦争で、勝った側が負 けた側をレイプするだのなんだのっていうのは、山ほどある。そういうのを抑えていくためには、一定の慰安婦みたいな制度が必要だったのも厳然たる事実だ。 そんな中で、なぜ日本が世界から非難されているのかを、日本国民は知っておかないといけない。

(以上『朝日新聞デジタル』 2013年5月13日)

前段の「慰安婦問題」についてあまりいいたいことはない。この問題について、左右両派から、口角泡を飛ばすような議論というか、非難の応酬が行われいているが、実のところぼくはほとんど関心がない。橋下さんのいうように、「慰安婦問題」が戦争のもたらした大きな悲劇のひとつだということはわかるが、そうであるとするなら、戦争を防ぐ手立てをどう考えるか、それ以外に有効な対策はないと思ってしまう。過去の日本軍の罪状の一つかもしれないが、多くの「軍隊」が同様の罪を犯している。欧州でもアジアでもその例は枚挙にいとまがない。日本だけ責められるのもおかしいと思えるが、「あんたの国でもやってたじゃないの」とか「欧州列強もやってたじゃないの」とかいい返しても、自分たちの「罪」が消えるわけではないし、相手を怒らせるだけだ。だったら、謝っておくのがいちばん合理的な行動である。ただ、戦後生まれた者には責任のとり方がわからない。村山首相時代につくられた「アジア女性基金」が精一杯の謝罪の方法だったとは思う。その方法が、正しいか正しくないかではない。それぐらいしかできなかった、ということだ。それでも勘弁してくれないなら、黙っているほかない。時が経つのをじっとじっと我慢しながら待つ、ということだ。「そんなことをしたら舐められる」「それだけでは不十分だ」という議論もあるだろう。が、ぼくが政治家だったら耐えつづける。耐えるのも政治である。

慰安婦が強制か否かというところに焦点があるようだが、戦時下という特殊な状況の中では、強制か任意か判然としないグレーゾーンも小さくないはずだ。軍命があったかなかったか、強制か任意か、などを議論することも無駄に思える。女性が娼婦という仕事を選ぶその決断は、多かれ少なかれ「追いつめられた」結果である。もっといえば社会経済構造の問題である。女性を娼婦という仕事に追いつめるような社会経済構造を改善することは必要だが、残念ながら過去に遡って改善することは不可能だ。最後は、軍国主義や戦争が悪いという話に収斂する。

若い兵隊の性欲を処理するために軍上層部が女性を手配したとか、業者に女性の手配を委託したとかいう話にもあまり関心はない。慰安所が必要だったのかどうかも正直いってどうでもいい話だ。戦中戦後のドイツでは約200万人のドイツ人女性がロシア軍にレイプされたという。200万人はものすごい数だが、若い兵隊の性欲処理のための慰安所があれば、そのレイプは防げたのだろうか。ソ連の戦没者は軍人・民間人合わせて2000万超といわれている。数が多いのは、スターリンが退却や戦闘回避を許さなかったからだともいわれているが、ドイツ軍が侵略しなければスターリンもそんな命令を出さなかったろう。ソ連軍にとってドイツ人は許しがたき敵だったということだ。慰安所のあるなしの話ではない。規律云々の話でもない。たとえ、スターリンがレイプを厳しく取り締まったとしても、レイプは間違いなく起きただろう。戦争とはそういう悲劇の元凶だということだ。

橋下市長がどこまで本気でしゃべっているのかは知らないが、「もっと風俗業を活用してほしい」などといわれても、米軍側としては「よけいなお世話」といったところだろう。「外出禁止・飲酒禁止」の中止を呼びかけたほうがずっとマシである。今の在日米軍の兵士は「飲んで憂さを晴らす」「飲んでハッピーになる」ことを切実に求めている。

橋下さんの今回の発言はともかく、あの人の偉いところは、大阪の飛田や松島などの「遊廓」(裏風俗)にまったく手をつけていないことだ。手をつけていないとは潰していないということ。実はこれが今日の本題だ。

大阪・飛田新地にある料理屋

大阪・飛田新地にある料理屋「鯛よし百番」。遊廓建築の代表的建物。

今も飛田はホンモノの遊廓である。

この10年間で沖縄や神奈川の遊廓(裏風俗)は全滅した。両県ともソープは残っているが、いわゆる「ちょんの間」という形式のお店が密集していた町はゴーストタウンになってしまった。偶然にも、沖縄も神奈川も米軍基地のある自治体だが、首長たちが、よってたかってそうした遊廓の町を壊滅させたのである。沖縄でいえば、宜野湾市の新町(真栄原)、沖縄市(コザ)の吉原、那覇の栄町といった場所、神奈川でいえば横浜の黄金町ガード下、相模原(JR町田駅近く)の通称・田んぼといった場所だ。

この世界には風俗でしか稼げない女性も少なからずいる。DVや貧困に喘いだ末、こうした街に追いやられ、それでもなんとか糊口をしのいでいた彼女たちは、首長たちの画策した「町の壊滅」によって切り捨てられ、放り出された。

神奈川の場合、先頭に立ったのは知事だった松沢成文さんだ。「禁煙条例」はいいとしても、彼のピントのずれた正義感は、遊廓潰しにまで及んだ。たしかに、近隣に迷惑がかかっているという側面はあったろう。マンションや住宅が増え、苦情を言う人もいただろう。だが、この街でしか所得を得られない女性も少なからず存在するという事実は尊重すべきだ。こうした場所に追いやられてしまった彼女たちの人生のことを、松沢さんは一度でも考えたことがあるのだろうか?違法な仕事だから配慮する必要はなかったのだろうか?それとも、今どきの娼婦はルイ・ヴュトンのバッグがほしくて春をひさいでいるとでも思ったのだろうか?

ぼくはふざけた話だと思う。思いやりがない、といっているのではない。物事の因果関係を把握していないといっているのである。こうした街の存在は、DVや貧困や外国人の受入の問題が深く絡んでいる。そのことに彼は気づかなかったか、気づかないフリをしたのだ。

その点では、宜野湾市の真栄原社交街(新町)を壊滅させた伊波洋一さん(当時宜野湾市長)のやり方も酷かった。真栄原といえば、日本のなかでも巨大な裏風俗街のひとつで、200〜300人の女性が働いていた。若い女性だけではない。40代、50代の女性も少なくなかった。それだけの規模の遊廓を、伊波さんは警察、教育委員会、PTA、町会などを巻きこんで一気に潰したのである。

沖縄の場合、神奈川よりも女性の置かれている立場は深刻だ。貧困の度合いも全国一だが、DVの被害も全国一だといわれている。こうした裏風俗街で働くしか選択肢がない女性はいる。真栄原社交街という街は、まさに沖縄という社会のひずみが集中している場所だ。そんなことは伊波さんだって十分承知しているはずだ。過去の市長や警察署長も承知しているからこそ黙認してきた。

だが、伊波さんは、普天間基地の移設問題で注目を集めたこの街に、違法な売春街を残しておくことを認めなかった。彼にとっては、普天間基地の騒音も、真栄原の遊廓も等しく邪悪な存在だったのだろう。米兵も通う売春地帯を黙認することは、米軍を黙認することと等価だったのかもしれない。でも、真栄原社交街を壊滅させれば、真栄原で働く女性たちを苦しめている不幸は取り除けるのだろうか。「普天間基地さえ撤去すれば宜野湾市民は幸福になる」という幻想と同じ類の愚考だ。街を潰すよりも前に、雇用創出や所得再分配やDV防止など、彼女たちのために首長として何をしたのだろうか。が、そういう配慮を欠いたまま、伊波さんは街を潰した。あっという間に真栄原が潰れて、そこにいた女性たちの多くは沖縄市の吉原社交街に流れた。米兵も通う裏風俗街として沖縄ではよく知られた場所だ。しかし、沖縄市の東門美津子市長も、伊波さんに倣って吉原社交街を壊滅させてしまった。

行き場を失った彼女たちは、今、どうしているのだろうか。那覇市波之上(辻)にあるソープ街に移った女性もいると聴いたが、波之上は暴力団・旭琉会の完全な縄張りだ。暴力団の締め付け、搾取は真栄原や吉原の比ではないという話もある。デリヘルなど無店舗型風俗に移った女性もいるだろうが、店を移れる女性はまだ幸運である。真栄原や吉原を放り出された40代、50代の女性たちはどうやって生計を立てているのだろうか。彼女たちにはそもそも仕事があるのだろうか。

こんなことで首長を比較するのは不謹慎だといわれる のを覚悟していえば、飛田新地や松島新地といった現代の遊廓を温存している橋下市長のほうが、伊波元市長や東門現市長よりも、政治家としてはるかに上等で ある。橋下市長には、遊廓や風俗で働かざるをえない女性たちに対する目配りはある。橋下さんが彼女たちをその境遇から救いだせるかどうかはわからないが、 少なくとも仕事は奪わなかった。そうした目配りのない政治家を、ぼくは信じない。

批評.COM  篠原章
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