今年の雙十節(中華民国国慶日)はいつもと違った ! 横浜中華街の台湾と香港

10月10日(木)は、台湾(中華民国)の建国を慶賀する雙十節(双十節)だった。横浜中華街(主催:横浜華僑総会)も街を挙げてのお祝いムードに包まれ、横浜中華学院の生徒をコア・メンバーとするパレードや獅子舞が賑やかに行われたが、今年の盛り上がりは例年以上だった。

雙十節の祝賀パレード at 横浜中華街

雙十節の祝賀パレード at 横浜中華街 先頭は中華民国と日本の旗が並ぶ

「中華街」というと最近では中国(中華人民共和国)を思い浮かべる人も多くなっているが、横浜中華街は伝統的に台湾の影響力が強い。開国の時期から、英国人、米国人、フランス人などともに来日した中国人が横浜に多数居住し、いわゆる「華僑」として貿易業、建築業、製造業などに従事していたが、その多くは香港などを経由して横浜に辿り着いた広東省出身者だった。中華民国建国の父といわれる孫文(孫中山)も広東省出身で、日本への亡命時代の一時期、山下町121番地(居留地内)に住まいを定め、横浜の女性とのあいだに一女をもうけている。

蔡英文総統の大きなポートレート

蔡英文総統の大きなポートレート

日清戦争後の日本による台湾統治(1895年)に伴い、居留地に居を構える横浜の華僑人口は5000人程度まで増えたため、1899年に居留地制度は撤廃されて、華僑の居住地は横浜各所に分散したが、その中心はやはり旧居留地・山下町だった。1923年の関東震災で横浜は壊滅的な被害を被り、多くの華僑が帰国し、一部は神戸の中華街に転居したため、横浜の華僑人口は200人まで激減した。が、復興とともに横浜に戻る華僑も増え、横浜市や市民も華僑の回帰を歓迎したと言われている。

これだけたくさんの青天白日満地紅旗が見られるのは珍しい

これだけたくさんの青天白日満地紅旗が見られるのは珍しい

台湾に由来を持つ横浜の華僑の多くは、日本による台湾統治の間日本国籍だったが、1945年の日本の敗戦で「戦勝国」となった中華民国の国籍に変わり、その後、1949年の中華人民共和国の成立とともに中国国籍に変わる者も現れた。この時期、横浜(日本)の華僑のあいだに激しい対立も見られ、二重国籍や無国籍の者も少なからず生まれたという。

時の経過とともに、日本生まれで日本語を母語とする世代が華僑(あるいは華人)の中心となり、必ずしも「台湾(または中華民国)VS中国」という対立の構図のなかに収まりきらない時代を迎える一方で、今年になってからは香港における不安定な情勢を受けて「自由をめぐる争闘」があらためてテーマとして浮上しつつある。

これを従来通り「アイデンティティ」の問題としてとらえる論調もあるようだが、世界第二の経済大国となった中国を統治する中国共産党が国民に求める最大の「政治的規律」は、一党独裁による指導体制を受け入れることであり、その指導体制に反発する者から政治的自由、表現の自由も含むほとんどの人権を奪い取ることが正当化されている。こうした「自由の剥奪」に対する危機感こそ、若い世代を中心に香港市民のあいだで広く共有されているもので、横浜中華街でも香港市民に対する共感は大きな広がりを見せている。言い換えると、今や「中国か台湾か」ではなく、横浜中華街では「自由を選ぶか否か」こそ主題となっているということだ。香港における政治的決着が見えないなか、人々は香港市民の自由の行方を注視しているのである。

「加油台湾!」「加油台湾!」の声をあげながら横浜中華街を練り歩く

「加油台湾!」「加油台湾!」の声をあげながら横浜中華街を練り歩く

香港のこうした情勢も受けて、今年の雙十節は、自由への象徴として中華民国国旗が選ばれ、「加油台湾!」(台湾頑張れ!)が最大のスローガンとなった。近年、これほどの政治性を帯びた雙十節はなかったと思う。自由の恩恵を享受する中華街の人々にとって「自由」は切実なテーマであり、中共系華僑といわれる人々も「加油台湾!」というスローガンに反発している気配はない。パレードや獅子舞の主役である横浜中華学院は台湾系の学校だが、中共系の横浜山手中華学校の生徒も横浜中華学院の生徒の活動に積極的に協力するのが横浜中華街の祭りの近年の特徴となっている。今年は香港での「市民対中共」という対立が、横浜中華街における雙十節の挙行に何らかの影を落とすのではないかと冷や冷やしていたが、街全体がこれを温かく受け入れていたのには感動を禁じえなかった。

横浜中華街歴史の地、会芳亭の前

横浜中華街歴史の地、会芳亭の前

雙十節当日、台湾の蔡英文総統は香港市民を支持すると同時に、中国が台湾に提案する「一国二制度」を強く拒絶する方針を明らかにした。中国、香港市民、台湾という3つ軸の力関係が今後どのように推移するかはまったく予断を許さないが、横浜中華街(または華僑・華人)とともに長く共存してきた私たちは、彼らが「日本」と「日本人」を受け入れ、私たちと「共に生きる」ことを選ぶ限り、これからも彼らを受け入れ、彼らと「共に生きる」時代を末永く続けていくという「ささやかな決心」に身を委ねたいと思う。

 

こちらはドラゴンの行進

こちらはドラゴンの行進

 

国旗隊、獅子舞に続いて、舞踊団

国旗隊、獅子舞に続いて、舞踊団

 

とても華やかな中華舞踊団

とても華やかな中華舞踊団

 

夜まで採青(ツァイチン)に回る獅子たち

夜まで採青(ツァイチン)に回る獅子たち。横浜の獅子舞は広東風。

 

ミニ獅子がゆく

ミニ獅子がゆく

 

横浜の記事いろいろあります→ 横浜、山下町あたりの記事 を見てみる

批評.COM  篠原章
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