新型肺炎狂騒曲:保守派識者の変節とリーダーたちの経年劣化

変節した保守派識者

これまで安倍政権を積極的に支持してきた保守派識者の一部が、ここにきて「政権批判」の側に回り始めている。新型肺炎への対応が大きなきっかけだが、「取り巻き中心の政権運営」「司法・行政手続きの無視・軽視」あるいは「アベノミクスの失敗」といった点を捉えて安倍政権を批判する向きもある。

これだけの長期政権になれば、当然のことながら綻びは出る。2年ほど前から呆れるような問題がさまざまなかたちで発覚してきたことは触れるまでもない。

とはいえ、政権の運営を任せるにあたってあまり本質的ではないと思われる批判や意図的に歪められた問題提起も多かったので、ぼく自身はその多くをあまり重視してこなかった。

新型肺炎をめぐる空騒ぎ

ぼくは第1次安倍晋三政権はまったく評価しなかったが、第2次安倍政権はほどほど評価してきた。だが、それも「是々非々」である。沖縄政策(辺野古移設)や労働政策(働き方改革)などについては完全な落第点だ。安保や外交に対する姿勢は及第点を取ってきたが、資源配分政策(産業政策・金融政策など)や所得分配政策(社会保障政策など)には失政も少なくない。国民のなかには、安倍政権の視野に入らずに取り残された人も多い。要は、いいものもあればダメなものもある、というのがぼくのスタンスだ。

が、ここ2年余り、政権の劣化が目に余ることは否定できない。新型肺炎への対応で、野党は「場当たり的」であるとの批判を強めているが、場当たり的というより意思決定プロセスが粗っぽく見える。未知の病だから対応策は限られるとしても、丁寧に考えたとはいいにくい対応が含まれている。もっとも、「首相の判断は間違っている」と断言するだけの材料はない。未知のウイルスだから手探りでやるほかない。現状の医療資源と行政の態勢を前提条件と考えると、誰がやっても大差ないかもしれない。新型肺炎については皆大騒ぎしすぎだと思う。なんでもかんでも「安倍が悪い」というのは、責任回避みたいなものだ。しわ寄せを受ける人がいるのはわかるが、多くは非常時のコンプライアンスとして受け入れるほかない。

政権と野党の同時劣化

他方、桜を見る会を執拗に追及する野党にも正直ウンザリしているが、野党に隙を見せるような情けない答弁や対応にも腹が立ってくる。「上様」領収書に関する首相の発言にはびっくりしたが、首相の発言に合わせて周りが取り繕う様子にはもっと呆れた。東京地検検事長の定年延長や政権内部の不倫出張の黙認などには開いた口が塞がらない。経年劣化は相当なものだが、政権の経年劣化に野党も引き摺られている。はっきりいって野党も共犯者だ。政権も野党も、また関係する官公庁や企業も含めて、いい加減次のステップに移行してほしいというのが本音である。

安倍さんは来年退くことになっている。新型肺炎に由来する恐慌に陥ったり、五輪ができないような事態になれば、「犯人捜し」が始まって、まちがいなく首相が血祭りに上げられるだろうが、それもなんだか大人げない。退くことになっている方にはできるだけ静かに、速やかに退いていただいたほうがよい。お祭りのように騒いでもろくなことはない。

安倍政権を語るとき、常に問題になるのは「受け皿がない」ということだが、受け皿は皆で育てるほかない。石破さんでも岸田さんでも河野さんでも構わない。大きく成長してもらって、前に進めてほしい。さすがに立憲民主党などから首相が出る可能性はない。立民から首相が出たら出たで驚きだが、彼らに「改革」は無理だ。むしろ後ろに下がる時代がくるだろう。伏兵が現れることに少しだけ期待したいが、裏切られることも多いからなるべくストイックに眺めていたい。

商売なのか政治戦略なのか

さて、冒頭のテーマに戻ろう。保守派で安倍批判に回った人々の言説は浮ついたものだらけだ。「安倍さんならなんでもOK」という盲目的姿勢でないのは歓迎すべきことかもしれないが、どこまで信じてよいのやらわからない。ポジションの変更によって生き残ろうとしているのか(商売なのか)、安倍政権と阿吽の呼吸で政治空間のバランスを取ろうとしているのか(高度な政治戦略なのか)よくわからないが、額面通り受け取れない批判も少なくない。

好きなようにやってくれていい。が、保守派も反安倍派も反自民派も、自らの言論についての責任はしっかり取ってもらいたい。ぼくらにはもはや彼らの言論遊戯に付き合っている余裕などない。やるべきことに粛々と取り組みながら、次の時代のことを真剣に考えるのがぼくらの仕事である。

批評.COM  篠原章
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