東京地検特捜部「暴走」説の検証 (1) リニア談合はほんとうに犯罪だったのか

事件の概要

森本宏氏が2017年9月に東京地方検察庁特捜部(以下「特捜」)の部長に就任してから、特捜は次々に大型の事件に取り組んでいる。最初の大型事件はいわゆる「リニア談合」だ。これは、建設中のリニア中央新幹線の駅舎新設工事(品川駅・名古屋駅)の受注をめぐり、大手ゼネコン4社(鹿島建設、大成建設、大林組、清水建設)が談合し、入札前にそれぞれが受注する工区を決めていたとして摘発されたもので、特捜は2018年3月2日、大成建設元常務の大川孝容疑者と鹿島の営業担当部長大沢一郎容疑者を独占禁止法違反(不当な取引制限)の疑いで逮捕し、否認した大川元常務と大沢元部長を9カ月以上勾留して取り調べた上、法人としての大成、鹿島とともに起訴している。他方、談合を認め、捜査に協力した大林組と清水建設の役員らは逮捕を免れただけではなく不起訴(起訴猶予)処分となり、法人としての大林組と清水建設には2018年10月に有罪判決が確定している(独禁法上の課徴金については減額措置がとられた)。

被害者のみえない事件

独禁法について主管官庁の公正取引委員会は、以下のように説明している(公正取引委員会ホームページ)。

独占禁止法の正式名称は,「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律」です。この独占禁止法の目的は,公正かつ自由な競争を促進し,事業者が自主的な判断で自由に活動できるようにすることです。市場メカニズムが正しく機能していれば,事業者は,自らの創意工夫によって,より安くて優れた商品を提供して売上高を伸ばそうとしますし,消費者は,ニーズに合った商品を選択することができ,事業者間の競争によって,消費者の利益が確保されることになります。このような考え方に基づいて競争を維持・促進する政策は「競争政策」と呼ばれています。

この法の趣旨に沿って「リニア談合」の加害者は誰かを考えると、「談合」に参加して入札前に請け負う工区を決めていたゼネコン4社だ。4社は談合によって「不当な利益」を得たことになる。他方、被害者は誰かというとまずは発注者であるJR東海とその利用者である。入札に参加したものの、落札できなかった建設会社があれば、こうした企業も被害者に加えられるだろう。リニア建設9兆円の総事業費のうち3兆円については国費が低利で貸し付けられるので(財政投融資)、利用者に加えて国民も被害者になるかもしれない。被害者の範囲をこのように捉えると、談合した4社は「極悪企業」の誹りを免れない。

ところが、である。最大の被害者と想定されるJR東海に被害者意識は乏しい。特捜・公取委の捜査が入ってから、当局に対して協力(迎合?)する姿勢はみられるが、この工事案件は、そもそもJR東海が品川駅新設工事を計画した段階で、大林組に無償での調査を委託したところから始まっている。大林組は受注競争上有利になるとの判断から10億円の調査費を自社で負担し、JR東海側に積極的にプロポーザルを出していたという。が、JR東海側は、大林との随意契約ではなく、工区を分けた上で各社の技術などを勘案して複数社を指名し価格などを交渉する「指名競争見積方式」を選んだため、指名された大林以外の3社も入札することになり、大林が事前調査で得た情報を3社が共有した上で、同時期に「指名競争見積方式」で発注された名古屋駅新設工事と併せて、4社間で請け負う予定の工区を配分したという。JR東海が工区配分を事前に承知していたか否かは不明だが、この「談合」によって4社側に有利なように価格上乗せが行われる余地はほとんどなかったのだから、JR東海に被害者意識が乏しいのは当然だろう。

結果的に、品川駅は2015年9月に清水建設JVが予定通り北工区を、同年10月に大林組JVが予定通り南工区を受注、大成建設JVが受注する予定だった名古屋駅中央西工区は大林組JVが2016年9月に受注(大成・大林が見積もり合わせに失敗)、鹿島建設JVが受注する予定だった名古屋駅の中央東工区は、随意契約でJR東海建設(JR東海の100%子会社)JVが受注している。大成と鹿島は落札できなかったことになる。談合は未遂でも成立するとされているので、JR東海建設が受注した工区を除いた品川・名古屋の全工区が4社の容疑の対象となっているが、受注した大林、清水に対する罰は軽く(確定済)、なんの利益も得ていない大成、鹿島に対する罰は重い(未確定)というのも、大成、鹿島にすれば釈然としないところで、この2社は徹底抗戦の構えだ。

こうした経緯を見ても、JR東海を「被害者」とするのは憚られるが、本件の場合、4社だけの指名入札だったため、競合他社にも被害者はいない。残るは利用者と国民だが、JR東海は見積金額に対する交渉権を伴う「指名競争見積方式」によって発注したのだから、JR東海は明らかな損失を被る可能性はなく、したがって利用者も国民も「被害者」とはいいにくい。はっきりいえば被害者なき事件なのである。

市場環境の変化

被害者がいなくとも、違法行為・脱法行為によって経済的・社会的にネガティブな影響が生ずると予想されるなら、法を犯した者を強く罰することも正当化されるだろう。特捜が今回の「談合」を摘発した背景には、ひょっとしたらこうした動機があったのかもしれない。独禁法の目的は、「公正かつ自由な競争を促進し,事業者が自主的な判断で自由に活動できるようにすること」である。言葉を換えれば、特定の企業が市場を独占するような条件を排除し、競争的な市場の機能が十分に発揮されるよう環境を整えることが独禁法の役割だ。4社による受注工区の配分が市場の機能を撹乱し、「4社独占」という状態を追求する手段になっていれば、これを「談合」として摘発することは合目的的であり正義である。2005年に大手ゼネコン各社は共同で「談合との訣別」を宣言したが、これは特定企業が市場を独占し、高値での入札を誘導するための談合を繰り返してきたことへの反省として行われたものであった。明らかに競争的市場を阻害する談合が横行していたのである。

ところが、その後、市場環境は大きく変化した。公共事業予算の削減、発注者(官公庁など)のコスト意識の高まりを背景に、土木建設市場は(金額的にも発注量的にも)縮小し、多くの中小建設会社、専門工事業者、準大手ゼネコンが経営危機に陥った。倒産・廃業する中小建設業者、専門工事業者も少なくなかった。その結果、大手ゼネコン各社の下に系列化されていた中小業者グループは崩壊し、新規参入業者も減少した。残された業者も、従来のように官公需(公共事業)で収益を上げることが難しくなり、近年では入札を実施しても参加業者が集まらないことも珍しくなくなっている。入札を成立させるために指名入札を行っても、指名された業者が入札を渋るケースもある。第2次安倍政権が誕生してから、ミニ再開発、大型マンション建設などの民需や交通インフラ整備などの半官公需が増大し、東京五輪需要も生まれて建設不況は一転して好況に転じたものの、業者の減少や職人・技術者の減少、さらに資財・人件費などの高騰は如何ともし難く、「仕事はあるのに受注能力がない」状態が生まれている。各社毎に系列化された業者グループも崩れてしまったため、大手ゼネコンといえども業者・職人・技術者を集めきれず、受注や入札を諦めることも少なくない。不足した労働力を外国人や女性によって補ってはいるものの、十分な労働力を集められるわけでもない。中小業者、専門工事業者のなかには、直前の不況期に信用力(銀行借り入れ能力)を失ってしまい、信用力を完全に回復する前に到来した好況の波に乗っかるための運転資金を調達できないところもある。つうまり、仕事はあるのに受注するために必要な運転資金がないのである。五輪好況が終わる2020年下半期には、建設土木業界から撤退する企業数・労働者数はさらに増えると予想され、10年後には業界そのものが成り立つかどうか危ぶまれている。好況であるにもかかわらず、土木建設業界は危機に瀕しているのである。

したがって、業界そのものを再編成し、技術情報の共有化を進めるなど受注・契約システムや調達方式を見直し、質の高い技術と労働力を長期的に維持できるような仕組みを導入しないと、大型案件の事業化やインフラ整備に支障が出て、国土は荒廃しかねないことになる。供給サイドから見れば市場環境はこのように構造的に悪化しているのだから、私利を最大化するような談合はすでに起こりにくくなっている。

業界の反応

業界関係者は、今回のリニア「談合」が、競争的環境と公正な価格に対して破壊的に働くものだとは考えていない。大規模で難易度の高い工事なのだから、技術情報を共有化しながら、発注者・JR東海の期待に応えるために指名業者間で受注調整(分業)したほうがいよいという見方も根強い。また、国費が投入されるとはいえ、今回の取引の発注者は官公庁ではなく、JR東海という民間業者が発注し、ゼネコンという民間業者が受注するものであり、しかも指名入札である以上、他社に対する公平性も犯してはいない。利用者・国民に損失を与えるものでもないという主張もある。以下は『日経コンストラクション』(2018年2月26日号)が実施した「リニア談合」に関するアンケート調査での回答の一部である。

通常の談合とは異なる。資材、人材が不足しているなかで巨大プロジェクトを進めるのなら、 調整は絶対に必要。談合と決めつけるのはおかしい。(建設会社、50歳代)

ゼネコンが技術力を発揮して成り立つ工事。安全に事業を推進するために技術が 振り分けられることは国民にとってもメリットが大きい。(建設会社、40歳代)

最低札からさらに交渉で価格が引き下げられるので、高価格になったから被害を受けたという論理での立件は難しい。(建設会社、60歳代)

ただ、「土木建設業界のコンプライアンス意識の欠落が引き起こした事件であり、今回の受注調整は談合といわれてもやむをえない」と考える業界関係者も多い。

公取委や東京地検にも務めた経験を持ち、コンプライアンスに詳しい郷原信郎弁護士(郷原総合コンプライアンス法律事務所代表弁護士)は、『日経コンストラクション』(前掲)誌上のインタビューで次のように語っている。

リニア建設工事の発注には施工者の技術を評価する「競争見積もり方式」を用いている。施工に高度な技術が必要で、旧来のように価格だけで受注者を選べないからだ。 技術的な評価が必要なので、建設会社間の相談だけで受注者を決めら れる仕組みではない。発注者と協議のうえで決まるのだ。技術の面で大手建設会社が優位なので、工事を多く受注するのは自然な流れだろう。 特捜部や公取委には、この視点が抜け落ちているのではないか。

(今回の摘発により今後は)技術的に難しいビッグプロジェク トの計画が持ち上がっても、建設会社は動けなくなるだろう。プロジェクトが大きくなるほど、技術や人のやり繰りで他社と協働しなければで きない工事は多くなる。しかし他社に接触すればすぐに「談合だ」、「コンプライアンス違反だ」となるのでは、入札に参加できない。

評価

特捜が「初めに談合ありき」という姿勢で細部まで描いたストーリーは、裁判では有効かもしれない。法理的にも合理性があるかもしれない。しかしながら、市場の機能を維持し、公平な競争を促すという趣旨の独禁法を適用するためには、市場の実態や入札制度の意義や目的まで的確に把握していなけばならないと思う。事業遂行に必要だと思われる受注調整を談合とみなし、社会・経済にネガティブな影響を与えると判断して行われた特捜の摘発は、郷原氏の指摘するとおり、今後のインフラ整備や大型プロジェクトの実現に水を差しかねないもので、中長期的な視点でいえば国民の利益あるいは国益に反する行為であると指摘えざるをえない。今回の受注配分は、市場機能の不完全さを企業自らが補う調整機能を有するものだが、あらたな不正を生みだす余地もあろう。そうした不正は、規制ををいたずらに強化するのではなく市場自体の構造を見直すことによって回避するほかない。これに対して、この受注調整を談合と見なして介入する特捜の正義は、市場に対する撹乱要因として働く可能性が強い。これを「暴走」とまでいえないが、少なくとも大局的な視点を欠いた特捜の「迷走」であるとはいえそうだ。今回の一件を「犯罪」とするなら、これまでに経験したことのない変化に対応しなければならない日本の経済と社会のパフォーマンスを著しく弱めてしまうおそれがある。特捜捜査は市場経済の行く末まである程度見通した上で行われるべきだと思う。

批評.COM  篠原章
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