見えてきた落としどころ〜安倍=翁長会談

A Compromise of the Henoko Problem Having a Glimpse --- ABE= Onaga Meeting on April 17

4月17日、安倍首相と翁長沖縄県知事の会談が行われた。会談を受けて、18日付けの琉球新報(電子版)は「翁長知事、首相に辺野古断念迫る 初会談」、同じく沖縄タイムス(同)は「翁長知事、辺野古で民意訴え 安倍首相と初会談」という見出しの下、号外・速報扱いで伝えている。

「辺野古移設は無理という沖縄の民意」をしっかりと伝えた、というのが知事側の説明で、首相側は「辺野古移設について県民の理解を丁寧に求める」という立場を堅持した。「会談は平行線」で「対話の継続が求められる」というのが県内外のメディアの評価だが、マスコミに公開された会談冒頭6分間の対話について沖縄タイムスが掲載した記録によれば、「落としどころ」はすでに見え始めているというのが篠原の評価である。ヒントになるのは、以下のような翁長知事の発言だ。

総理も官房長官も16年前、当時の稲嶺(恵一)知事、地元名護市長も辺野古基地を受け入れたとおっしゃっていますけれども、しかしながら稲嶺知事は代替施設は軍民共用施設として、そして米軍による施設の使用については15年の期限を設けることを条件として受け入れを認めたわけです。
それから岸本(建男)名護市長は日米地位協定の改善、それから施設の使用期限、それから基地使用協定等の前提条件が満たされなければ容認は撤回すると言っておりました。
当時の政府は平成11(1999)年12月、稲嶺知事と岸本市長はこれを重く受け止め、米国政府と話し合う旨、閣議決定を認めました。しかし、その閣議決定は平成18(2006)年に沖縄県と十分な協議がないまま廃止されました。
従って16年前に知事や市長が受け入れを決めたというのは前提条件がなくなったことで、受け入れたというのは私たちとしては間違えだというふうに思っています。

翁長知事がいう「1999年の閣議決定」とは、同年12月28日の「普天間代替施設をキャンプ・シュワブ水域内名護市辺野古沿岸域に移設する」というものだが、これは前月11月の稲嶺知事(当時)の辺野古への移設受け入れ表明を受けてなされたものだ。12月17日には北部地域振興予算1000億円という特別枠が示され、閣議決定の前日27日には岸本名護市長(当時)に、移設受け入れを表明している。ただし、受け入れに際して稲嶺知事と岸本名護市長は「軍民共用空港とする」「使用期限は15年とする」といった条件を付しているが、翁長知事は、この閣議決定は、日米安全保障協議委員会による米軍再編をめぐるロードマップの策定を受けて、2006年5月30日の閣議決定で廃止されているので、その時点で沖縄側に移設受け入れを撤回する権利が生じた、という見解を開陳している。

型どおりに解釈すれば翁長知事に分があるように見えるが、当時のやり取りを振り返ると、稲嶺知事の了解の下に5月30日の閣議決定が行われたことは明らかだ。稲嶺知事は5月11日の時点で「沖縄県は移設をめぐる国の方針を受け入れる」という確認書に署名をしている。直後に稲嶺知事本人は、確認書は国と県が協議をするという確認書であって移設を容認した確認書ではない、と言いだしたが、地元紙さえ稲嶺知事のくるくる変わる姿勢に疑問を呈している。

そもそも「軍民共用」「使用期限15年」といった条件が非現実的であることは、当時、政府側も沖縄県側も十分承知していた。ヘリ基地を軍民共用とすることに海兵隊側の同意が得られる見込みはないし、本島北部地域(山原)にとっての経済的社会的な貢献も認められない。15年で閉鎖する軍事施設に3000億円もの公金を投入する計画に財務省が簡単にOKを出すわけがない。これらの条件は、さらなる振興資金を獲得するためのツールに過ぎなかったのである。実際、政府によって移設条件が反故にされた2006年5月以降も、滑走路建設の際の工法をめぐって翁長現知事を含む沖縄県の政治家や土建業者が水面下で暗躍し、L字型案でまとまりかけていた滑走路をV字型案に変更させるなど、利権をめぐる争闘は激しさを増した。移設条件を本気で実現するつもりで行動する政治家などほとんど存在しなかったといっていいだろう。

翁長発言は「この期に及んで何を今さら」かもしれない。が、知事が過去の条件を蒸し返したことには何らかの思惑が隠されている、と見たほうが自然ではないか。もっといえば、この発言を「落としどころのサイン」と見たほうが適切ではないか。「軍民共用」「使用期限15年」そのものは非現実的な条件だが、辺野古移設に自衛隊を絡ませることによって、妥協点が見いだされる可能性は大きい。たとえば、「これまでの移設条件を実現するのは困難だが、辺野古の滑走路は15年後に自衛隊との共用とする」と政府が言いだしたらどうなるのか。

翁長知事は以前から「日米同盟の重要性については理解している」という立場であり、「復帰後40年以上も経つのに米軍基地負担は今なお大きい」と主張する。もし米軍専用基地を自衛隊共用基地に変えることができれば、日米同盟を維持しつつ沖縄の米軍基地負担を減らすことができる。「日米の負担のバランスに配慮しながら日米同盟を堅持する」という安倍政権の基本的な方針とも合致する。海兵隊がおいそれとこのプランを認めるとは思えないが、予算上の制約もあって沖縄の海兵隊の役割を見直しつつあるアメリカの軍事戦略ともけっして矛盾するわけではない。しかも「15年後」を目途に共用基地にするということであれば、自衛隊側の運用能力も含めて日米ともに調整する時間はある。翁長知事にとっても安倍政権にとっても、この手の打開策であれば十分受け入れ可能である。これこそまさに「落としどころ」になりうる。

もちろん、この策には落とし穴がある。「オール沖縄」を掲げて辺野古移設反対に取り組んでいる翁長知事にとって、有力な支援者である共産党や社民党を失うことになりかねないからだ。共産党や社民党の言う「安倍政権の軍国化」には「自衛隊の再編・強化」も含まれているから、自衛隊が米軍に取って代わっても、彼らの「基地反対」の姿勢は変化しないだろう。翁長知事が「自衛隊共用」を受け入れれば、「オール沖縄」は分断されることになりかねない。したがって、翁長知事にとってここは決断のしどころだが、移設反対を緩く唱えながら(たとえば「自衛隊は歓迎だが、政府や米軍を信頼してよいものか」といった消極的な反対へのシフト)、事実上、辺野古移設を黙認するというのらりくらりした姿勢に転ずるという「抜け道」もある。政府との関係も曖昧、共産・社民との関係も曖昧という最悪の政治手法だが、政府からのアメ(振興策)も継続して受け取ることはできる。政府にとって、翁長知事の「のらりくらり」は少々厄介だが、「アメさえ差し出せば知事は無害になる。少なくとも有害ではない」と判断してこれまで同様の「アメとムチの沖縄政策」を繰り返せば良いのだから、悪い筋書きではない。

しかしながら、これは「望ましい解決」なのだろうか。安保をめぐる議論も起こらなければ、沖縄経済の補助金依存・振興資金依存という体質が好転するきっかけともならない。国民も県民も置いてけぼりのままだ。翁長知事が、「振興策はいらない」「すべての基地はいらない」と言いだせば、議論は沸騰し、問題は一気に普遍化するのだが、今のところその兆しは見えない。
さて、どうなることやら。

批評.COM  篠原章
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