『ニュース女子』批判に欠けている姿勢(追記あり—2月7日)

新年1月2日に放映されたMXテレビ『ニュース女子』の番組内容が未だに問題になっています。たしかに取材姿勢や編集方法に改善すべき点があったことは否定できません。しかしながら、同番組を「沖縄に対するヘイトスピーチ」の象徴のごとく批判する姿勢が目立つことには閉口します。

ジャーナリズムに「基地反対」に親和的な立場、敵対的な立場の両方があること自体は健全だと思います。が、双方の立場から発せされる情報が、共に「沖縄の実情」を的確に伝えていないことが最大の問題だと思います。

たとえば、沖縄のメディアも本土のメディアも、沖縄にも「基地容認」が根強く存在することはあまり伝えません。土建業、保守政治家などの「基地利権」が問題視されることはありますが、「基地反対」を唱えることで組織としての命脈を保っている政党や労組の「組織利権」が注目されたことはありません。他方、基地反対に敵対的なジャーナリズムも、「沖縄は実は基地賛成」と世論を一括りにしたり、「基地反対派は皆テロリスト」といった印象が根づくような手法で発信することを慎まなければなりません。

沖縄にも多様な考え方があります。しかしながら、特有の「同調圧力」によってその多様性の露出が阻まれています。その結果、「ニュース女子」のような、「基地反対一色はおかしいじゃないか」という問題を提起した番組が過剰に注目されてしまいます。こうした番組が生まれた土壌にもしっかり目を向けないと、「賛成か反対か」という二者択一の実りのない議論に成り果ててしまいます。

これまで、「ニュース番組」では「基地反対」が大勢であると伝える一方、「報道バラエティ」では、「基地容認」が「沖縄の隠れた声」だと伝えるのは、関西地方のメディア(とくにテレビ)独自の手法でした。そうした「自己分裂」を何とも思わないテレビ局にも問題はありますが、「沖縄の多様な意見が否定されていない」という意味では、一定の意義がありました。その同じ手法を東京ローカルであるMXテレビが東京に持ち込んだ途端、当該番組が批判の矢面に立つというのは、「多様性の否定」、もっといえば「報道や表現の自由の否定」につながりかねません。批判者は「内容や表現が沖縄ヘイトだからいけない」といいますが、何をもって「沖縄ヘイト」というかは、「何を基準に物事を見るか」という物差しの問題に還元されてしまいます。

ちなみに私自身も、2015年10月に出演した「正義のミカタ」(朝日放送)での発言をめぐって、「沖縄ヘイトスピーカー」の烙印を押されました。その折には、「辺野古移設に反対する(常駐の)活動家には本土から来た人が多い」という発言が「沖縄ヘイト」だと批判されました。今では「本土の活動家が主翼を担っている」という事実は常識となり、反対派も否定していません。反対派自身の「ヘイト」の基準も変化しているのです。事実は一つですが、事実の評価には主観が伴い、事実そのものを見ようとしない、あるいは見誤るケースがいくらでもあるのです。先の例でいえば、「県民が一丸となったオール沖縄」に本土の活動家が含まれているという事実を、当時の反対派は認めたくなかったのでしょう。そうした誤謬からは、私自身も含めて誰しも自由ではありませんが、不都合な事実でも受け入れようとする姿勢は必要です。

『ニュース女子』では、長谷川幸洋東京新聞論説副主幹が司会を務めていましたが、この一件で同社は以下の画像のような謝罪文を掲載しました(長谷川論説副主幹を解任した、あるい辞任させたという情報もあります)。「安倍政権打倒・基地反対」に偏りすぎた報道姿勢を取る同紙において、社の方針とは逆の立場を取る長谷川論説副主幹は、「社内にも主張の多様性=言論の自由がある」ことの免罪符でした。そうした意味でも同紙は長谷川氏をさんざん利用してきたのに、「ここにきて切り捨てるのかよ」と思います。なんとも「情けない新聞」です。

【追記 2月7日】
長谷川論説副主幹は、2月6日に放送されたニッポン放送のラジオ番組「ザ・ボイス そこまで言うか!」に出演し、
「番組についてはあえて論評しない」
「はっきり言って、とんでもない問題だ。私に対して処分をするということは、言論の自由の侵害になる」
「東京新聞は(今回の問題と)何の関係もないし、私が社外で発言することが東京新聞の報道姿勢と違っていても、何の問題もない。それを保障すること自体が言論の自由を守ることだ」
「安全保障など、私の意見は論説主幹や他の論説委員と合わないことが多く、よく議論になる。ただ、多様な視点でものを見ることは健全なこと。論説主幹の意見を忖度し、他の意見を排除していたら、北朝鮮と同じになってしまう」
「社からは内示のようなものはあるが、私から(論説副主幹を)辞めることは500%ない」
などと話しました(以上の内容は朝日新聞、産経新聞などの報道による)。また、現段階で長谷川氏は、「ニュース女子」の司会も降板していません。
長谷川氏の行為が明らかな違法行為であるならともかく、議論の余地のある「倫理」が絡む問題ですから、社として長谷川氏を「処分」することには様々な問題があります。「ニュース女子」が東京新聞とは何の関係もないことははっきりしていますから、長谷川氏の指摘を待つまでもなく、東京新聞が社として謝罪することは「異常」です。ただし、会社員としての新聞記者の個人的活動(表現の自由・思想の自由)をどこまで認めるかについて、東京新聞が明確な就業規則(あるいは雇用契約に明示された条項)を備えていれば、その規程に照らして長谷川氏を処分し、社としての責任を明らかにすることはできるかもしれません。しかしながら、その可能性はきわめて低いと思います。どの新聞社も、社員の社外における活動を、曖昧なかたちでしか取り扱ってこなかったからです。社名が個人の活動を支えることもありますが、逆に個人の活動が社の価値を高めることもあります。よくいえば「臨機応変」に対応してきたのでしょう。いずれにせよ就業規則や雇用契約に明確な定めがあるとは考えにくく、もしそうした規則があったとしても、厳格に適用したことはなかったと思います。したがって、社としてお詫びを出すことも長谷川氏を処分することも、「異常」なことだと考えざるをえません。
先にも触れたように長谷川氏は、政府批判を社の方針としている(と思われる)東京新聞が、「社内にも思想・表現の自由はある」とエクスキューズするために不可欠の存在でしたが、その長谷川氏が、社の方針に反した姿勢を「個人のジャーナリストとして」社外で示すことで「罰」を受けるとすれば、東京新聞は「社の方針に反した主義主張の持ち主は排除する」ことを宣言したに等しいことになります。長谷川氏を「論説副主幹」に就任させた責任も問われることになるでしょう。長谷川氏の行為は「報道の自由・表現の自由・思想の自由」ではなく倫理の問題(人権無視・捏造情報の拡散)である、という主張もありますが、そのことを社として「証明」するのもまた容易ではないでしょう。
率直にいって、今回の東京新聞の行動に擁護できる点はありません。ホントにダメだなあ、東京新聞。
東京新聞(2017年2月2日付朝刊1面)

東京新聞(2017年2月2日朝刊1面)

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批評.COM  篠原章
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