松本哲治・浦添市長再選 ! — 変わり始めた「沖縄の潮目」

2月12日に行われた沖縄県浦添市長選挙で、現職の松本哲治候補が、予想以上の大差(8,690票)で新人の又吉健太郎候補を下して再選されました。

まつもと哲治  30,733
又吉ケンタロウ 22,043
無効票       941
合計      53,717
開票率 100%

投票率は61・38%。前回(63・30%)よりも約2ポイント下がりましたが、昨年6月の県議会議員選挙55・92%、同じく7月の参院議員選挙55・35%に比して6%程度高く、人口増があったにせよ、前回の有効得票数52,215票に対して今回は52,776票ですから、市民の関心の高い選挙だったことは間違いないでしょう。

前回(2013年)の選挙での松本氏は、当時の現職市長・儀間光男氏に対抗する候補として、「沖縄県内初」といわれる公開選考会を経て選ばれた「公募候補」でした。その意味で、市政や県政に渦巻くどろどろした利害対立とは無縁の「市民派候補」のはずだったのです。ところが、公開選考会を主催した組織内で選考終了後に衝突が起き、当時の翁長雄志那覇市長(現県知事)が率いるグループが、公開選考会で落選した西原広美氏を強引に擁立しました。松本氏も立候補を取りやめませんでしたから、魑魅魍魎(ちみもうりょう)が暗躍する三つ巴の選挙戦になってしまったのです。

ここまでは「よくある地方政治のゴタゴタ」として片づけてよいかもしれませんが、次の段階で大きな問題が生じました。翁長氏グループは、共産党・社民党・社会大衆党などといった「移設反対派」の「票」欲しさに、当初まったく争点でなかった「那覇軍港の浦添移設問題」を「争点化」してしまったのです。

現職の儀間氏、新人の松本・西原氏の両氏とも、立候補を決めた時点では「移設容認」という立場でした。つまり、移設問題は争点ではなかったのです。ところが翁長氏は、選挙での優位性求めて一計を案じ、共産党・社民党などの票を得るために西原氏を「移設反対派」という立場に転じさせました。西原氏は「移設反対」を標榜する「オール沖縄」の候補として、選挙に臨むことになったのです。

那覇軍港の浦添移設をめぐる「反対」と「容認」の対立は、翁長氏が選挙のために「でっち上げた争点」ですから、「移設反対」という西原氏の公約に正当性を与えるためには、那覇市長だった翁長氏自ら「反対派のふり」をして、西原氏に加勢する必要がありました。選挙戦が始まるまで翁長氏は「那覇軍港の浦添移設」を推進する立場でしたが、選挙に際して「移設反対」に豹変し、「那覇軍港を浦添に移設することはまかりならん。無条件返還だ」と言いだしたのです。それもこれも、西原氏を当選させるための政治的画策でした。

これには翁長那覇市長と手を携えて移設計画を進めてきた現職・儀間氏も驚いたようですが、いちばん当惑したのは組織票に頼ることの難しい松本氏でした。争点でなかった移設問題がいきなり争点化されただけでなく、移設元の那覇市長が「移設反対」を唱えたのですから、松本氏がいくら「移設容認」を唱えても空念仏になってしまいます。結局、公示直前、松本氏も「容認」の看板を降ろして「反対」に転じました。

翁長氏は、役職や資金提供というエサをちらつかせながら、松本氏に立候補を取りやめるよう働きかけましたが、松本氏は翻意せず、選挙は終盤までもつれました。

投票日を迎えると大きな波乱が起きました。組織もカネもない松本氏が予想外に善戦して当選を果たしたのです。「公募による市民派候補」の当選は、保革相乱れて既得権の確保や権益追求のために狂奔してきた沖縄政界を根底から覆すような大事件で、これによって「基地反対・容認」さえ政治的取引の材料に使われてきた沖縄の古い体質が改められる、と期待されました。

ところが、「翁長氏主導の政治劇」はこれでは終わりませんでした。選挙をめぐるゴタゴタは「第1幕」にすぎなかったのです。松本氏が当選を勝ち取ると、選挙期間中に那覇軍港の浦添移設に「反対」していたはずの翁長氏は、何事もなかったかのように「那覇軍港の浦添移設容認という公式の立場は変わらない」と言いだしたのです。翁長政治劇「第2幕」の始まりです。翁長氏の「政治家としての良心」が問われるようなとんでもない話ですが、翁長氏は選挙のためなら何でもやってのける「政治屋」ですから、これくらいの「嘘・偽り」「裏切り」など気にも留めません。「県民・市民のため」ではなく「当選のため」という行動原理で一貫している翁長氏を「政治家の鏡」と褒めそやす人もいますが、「翁長氏のやり口は明らかに度を超えている」と批判する県民も少なくありません。筆者(篠原)も、翁長氏を近現代的な「市民」という概念の「極北」にいる政治家、沖縄アンシャンレジーム(旧体制)の守護神だと考えています。

こうして翁長氏の政治劇第2幕が始まると、松本市長は逡巡した挙げ句、「移設反対」の公約を降ろして再び「移設容認」に転じました。〈那覇市が浦添移設を望んでいる以上、浦添市としても協調するほかない。このまま「反対姿勢」を続けたら、20年近く膠着している普天間飛行場移設問題の二の舞になる〉というのが、松本市長の考え方でした。基地縮小と地域の発展を両立させたい松本市長は、使い古された言葉ですが、まさに「苦渋の決断」を下したのです。

以後、松本市長は「公約違反」のレッテルを貼られ、市議会などで追及されただけではなく、一部の支援者からも厳しく批判されました。公約違反は事実ですが、もとはといえば「ひとかけらの良心」もない翁長氏グループによる「奸計(かんけい)」が出発点ですから、松本市長を一方的に責めれば済むという話ではありません。すべての候補者が「移設容認」を唱え、それが地域としての「民意」を形成しつつあったとき、共産・社民の組織票欲しさにちゃぶ台をひっくり返すようなことをやったのは翁長氏です。しかも、後になって「俺はちゃぶ台などひっくり返した憶えはない」と強弁する「おまけ」までついてました。なんとも有権者を小バカにした話です。

ところが、松本市長はこうした「圧力」に屈しませんでした。市長としてさまざまな課題を処理しながら、松本氏は知事に君臨する翁長氏に毅然として立ち向かいました。浦添移設容認は「公約違反」ではなく、浦添の未来に対する投資だと市民に丁寧に訴え、「選挙益」「党派益」に凝り固まった「オール沖縄」の矛盾を指摘し続けました。「政治家本位」ではなく「市民本位」を貫こうとしたのです。これによって政治劇は、今年の市長選という「第3幕」を迎えることになりました。

昨年後半には、反松本を掲げる複数の候補が今回の市長選に名乗りを上げた時期もありましたが、結果的に翁長氏と「オール沖縄」は、又吉健太郎市議を統一候補として擁立することになりました。どこをどう切っても「保守」にすぎない又吉氏ですが、共産・社民側はコマ不足で独自候補を立てられなかったのです。驚いたことに、選挙戦終盤になって、維新・下地幹郎衆院議員のグループがこれに相乗りしました。下地氏が浦添市内に「権益」を持つのは周知のことですが、松本市長の下では、自分たちの権益は守られないとの判断が働いたのでしょう。

では、下地氏の守ろうとした権益とは何か?簡単にいえば、那覇軍港の浦添移設に伴う沿岸再開発の「埋立利権」です。松本市長は、那覇軍港の浦添移設に伴う埋立面積を160ヘクタールに抑えるプランを示しています。埋立面積は現行計画より72ヘクタールも少なくなりますから、当然のことながら経費節減にもなりますし、環境保護にもなります。が、これを「よし」としない下地幹郎議員(維新)は、翁長知事+オール沖縄に加勢し、松本市長の追い落としに走りました。翁長知事も松本市長のプランに反対で、これまで、松本市長との面談を拒否するなど、繰り返し嫌がらせしています。要するに政治家本位・利権本位を重視する旧勢力同士が手を握ったということなのです。「浦添移設は市民投票で決しよう」といっていた又吉候補ですが、選挙戦終盤に「浦添移設は現行計画で行く」と主張を変えています。この「変節」は、下地利権に対する配慮以外のなにものでもありません。これもまた、とんでもない話です。

他方、翁長氏との対決姿勢を強める松本氏を、自民党・公明党が応援しないわけがありません。オール沖縄候補が当選すれば、浦添も辺野古や高江と同じ轍を踏んでしまう恐れもあります。自民党・保守層内の良識派は、翁長知事・下地議員の側の政治家本位・利権本位の姿勢にも危機感を抱き、きめこまやかな選挙態勢を整えながら、再選を目指す松本氏を熱心に支援しました。こうした努力の成果が今回の松本市長再選につながったのです。第3幕は松本氏の圧勝に終わりました。いや、もっと厳密にいえば、市民本位の松本氏を選ぶという健全な判断を下した浦添市民の勝利です。

さて、今回の選挙戦における松本氏の「勝因」(翁長知事率いる「オール沖縄」の敗因)にはさまざまな要素があると思いますが、現段階では以下のようなことがいえると思います。

  1. 松本氏の「市民本位」の姿勢が浦添の有権者に評価された。言い換えると、翁長知事や下地衆院議員のような「政治家本位」「利権本位」の姿勢が時代遅れになったことに多くの有権者が気づき始めた。
  2. 旧体制の柵(しがらみ)から比較的自由な立場にあり、フレッシュな見識とビジョンを持ち合わせた政治家や財界人が松本氏を熱心に応援し、それが功を奏した(例:松本氏の選対本部長だった宮崎政久衆院議員、シンバホールディングス代表・安里繁信氏など)。
  3. 「オール沖縄」側が候補者選びや選挙戦略で失敗した。「オール沖縄」は、基地問題とはほとんど無縁の宮古島市長選を、沖縄ローカル・メディアを使って強引に「オール沖縄対アンチ・オール沖縄の選挙戦」に仕立て上げたが、結果的に敗北し、「オール沖縄勢力の退潮」を有権者に強く印象づけることになった。「自業自得」の好例である。
  4. 高江における基地反対運動家の違法な活動や翁長知事を支えていた安慶田副知事辞任など、「オール沖縄」側の不祥事が続き、有権者に愛想を尽かされた。

以上の勝因をあえて一言でいえば、「基地問題から自由な沖縄」を指向する有権者が増えているということを意味すると思います。「基地問題から自由な沖縄」とは、「地縁・血縁・歴史に過度に縛られることなく、現実に対してより柔軟に対応できる沖縄」でもあります。

今回の選挙で「沖縄の潮目」は完全に変わり始めました。これから来年にかけて、うるま市長選、名護市長選、沖縄県知事選と続きますが、翁長知事率いる「オール沖縄」にとって明るい材料は何一つないといってもいいでしょう。翁長知事と「オール沖縄」は県民に見放されつつあります。自民党内部にも翁長知事と同じく「政治家本位」「権益本位」の意思決定を指向する「旧勢力」が存在しますが、こうした勢力の台頭を抑え、松本氏のように「市民本位」(県民本位)を貫く政治姿勢を全面に出すことができれば、沖縄の政治・経済・社会は大きく一皮むけることになると思います。守旧派・オール沖縄の落日はすぐそこまできています。来る第4幕の主題は「新しい沖縄」です。

 

 

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批評.COM  篠原章
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