孔子廟違憲訴訟が結審—最高裁大法廷の判決は2月24日

孔子廟違憲訴訟のあらまし

本欄で何度も取り上げてきた孔子廟違憲訴訟の上告審(最高裁大法廷)が1月20日に結審した。最高裁から原告側に伝えられた判決期日は2月24日である。

この訴訟については、昨年8月2日付で本欄に掲載した「那覇孔子廟 違憲訴訟をめぐる新展開—最高裁小法廷から大法廷へ」に詳しいので、興味のある向きはそちらを参照してもらいたいが、ここでも少々おさらいしておこう。

事の発端は、翁長雄志市長時代の那覇市が、市が管理する松山公園内の市有地を久米崇聖会(くめそうせいかい)に無償貸与したことに始まる。この事実を知って、那覇市民である金城テル氏(原告。代理人:徳永信一弁護士)が、「那覇市が久米崇聖会に市有地を無償で貸与したことは、憲法に基づく政教分離の原則に違反している」として那覇地裁に住民訴訟を起こしたのである。

一審では原告敗訴の判決が出たが、控訴審(福岡高裁那覇支部)では原告の主張が認められて那覇地裁に差し戻された。差し戻し審では原告勝訴、続く福岡高裁那覇支部も原告勝訴の判決を下して、決着は最高裁に委ねられた。これまで地裁・高裁とも、儒教の宗教性を認め、那覇市の行政処分(無償貸与)は違憲であり、久米崇聖会は賃料を支払えとの判決を下しているが、最高裁が「儒教の宗教性」にいかなる判断を示すかが注目されている。

久米崇聖会とは、久米人あるいは久米36姓(くにんだ/琉球王朝時代に渡来した中国人)を祖に持つ人びとの血縁団体である。王朝時代の久米人は士族身分であり、王朝の国内行政・貿易・外交・学問・文化・芸術に深く関与した支配階層である。同会はその支配階層の末裔が集まって結成した団体だが、200名あまりの会員のなかには、いまも沖縄の各界各層に影響力のある人びとが多い。前述の翁長雄志氏(全県知事・逝去)や仲井眞弘多氏(元県知事)も会員である。ただし、女人禁制という会則があり、女性会員は1人もいない(後述するが、これが同会の「公共性」を疑わせる最大の要因のひとつである)。

争点は、宗教色が濃い血縁団体に那覇市がを無償で貸し出したことが、政教分離の原則(日本国憲法第20条・第89条)に抵触するか否かである。

最高裁による事件の説明

初めての最高裁大法廷

1月20日水曜日の東京は青空、昼過ぎの気温は摂氏9度。最高裁は皇居を取り囲む内堀通りの西側、千代田区隼人町にある。ふだんは用事などないから、最高裁訪れるのは初めてだ。タクシーを正門に付けたが閉門していた。守衛によれば来庁者は南門から入庁することになっているらしい。正門から南門までは徒歩で5〜6分である。傍聴券は抽選に当たれば入手できる。そのための整理券の配布は12時20分から、開廷は13時半からという予定だった。

最高裁判所(最高裁ホームページより)

整理券配布の列に並ぶ。審理が行われる大法廷の一般傍聴席は166席。それとは別に記者席が42。目下、コロナによる傍聴制限が行われており、傍聴席は半分の83席に減らされていた。傍聴希望者が83名を超えれば抽選が行われるが、この日並んだのは60名程度だったので、希望者は全員傍聴券を手に入れることができた。

傍聴券は12時50分頃配布され、その直後に入場を許されたが、一般家屋の4〜5階分ほどに高さに相当する外階段を昇って、ようやく庁内に入れる。ちょっとした山登りだ。セキュリティチェックを経てロッカーに私物を預ける。筆記具以外は持ち込み禁止である。庁内は壁面も床面も花崗岩仕様で、さすがに最高裁となると一国の司法の元締めとしての「権威」を示す必要があるのだな、と痛感する。写真を撮りたいが、庁内は撮影禁止である。

当日の傍聴券(表)

当日の傍聴券(裏)

大法廷は静謐で冷え冷えしていた。傍聴席は木質だが、直径14メートル、地上高52メートルの巨大なガラス天井の吹き抜けがある。大法廷の地上高が23メートルということだから、傍聴席から見上げる吹き抜けの高さは約30メートルということになる。エアコンは入っているのだろうが、外気とあまり変わらない寒さである。

15人の裁判官

傍聴人が着席してしばらくすると、書記官、原告側代理人、被告側代理人、メディア各社の順に入廷し、13時20分過ぎ15人の裁判官全員が入廷して着席する。裁判官の入廷から着席までの間、傍聴人は起立しているよう書記官から指示されている。全員が着席するとメディアが撮影を許される。裁判官15人というのはさすがに壮観だ。撮影が終わると開廷する。裁判長は最高裁長官の大谷直人氏である。

大谷長官が審理の進行役を務め、原告・被告の双方の代理人(弁護士)が、事前に用意した陳述書を、15人の裁判官の前で読み上げるかたちで展開し(各15分ほど)、本日の審理は終わった。審理はたったそれだけだ。なんだか呆気ない。資料や証拠(証人の陳述書など)はすでに最高裁まで送付されており、15人の裁判官全員がこれからそれらを検討して合議する。

大法廷の中

大法廷の中(写真は最高裁サイト「大法廷web見学ツアー」から)

双方の陳述

原告は、「儒教は何よりも先ず宗教である」という儒教研究の第一人者・加地伸行大阪大学名誉教授の所説に基づき、久米崇聖会の「宗教性」を指摘し、宗教性の強い閉鎖的な血縁団体への無償貸与の違憲性を強調した。

被告の那覇市と久米崇聖会は、孔子廟は歴史文化遺産あるいは観光施設としての公共性を備えた施設であって、原告側のいうような宗教施設とは見なせない。崇聖会にとって儒教は学問であって宗教ではない。門扉は市民に開かれており、原告が「秘儀」とする釈奠祭礼(せきてんさいれい)も公開されている。したがって那覇市による用地の無償貸与は合憲という立場だ、という主張を展開した。

判決は2月24日

筆者(篠原)は、問題となっている孔子廟は学問の場として設置されたものではなく、久米人の信仰の場として設けられたものであったという認識である。後になって明倫堂という名の学校が併設され、学問の場としても利用されるようになったが、やがて琉球王府があらたに設置した学校である「国学」に学問の場としての機能を奪われた。

国学にも孔子廟が設けられたが、湯島聖堂と同様学問の神様としての役割を果たした(跡地は沖縄県立芸術大学構内)。久米孔子廟の機能として残されたのは信仰の場としての機能だった。那覇市と崇聖会は「孔子廟の設置管理運営の大元をたどれば琉球王朝であり、本土と同じように学問の場であった。したがって「歴史文化遺産である」との主張は、おそらく琉球・沖縄史の歴史認識としても正しくない。設置場所も建築様式も本来のものとは異なり、「孔子廟は歴史文化遺産」という主張は説得力に乏しい。

門扉が市民に開かれるようになったのも訴訟が起きてからであり、孔子廟ができてから「市民講座」のような公共的な事業もほとんど催されていない。釈奠祭礼も同族と招待客向けのもので、近年のおもな一般参加者は台湾からの観光客である。

判決は2月24日午後3時からの裁判で下される。最高裁の15人の裁判官は、原告・被告いずれの主張を支持するだろうか。筆者は原告勝訴・被告勝訴のどちらであっても、かなりの社会的影響力を持つと思っている。今から楽しみで仕方がない。

篠原章が提起したこの記事をきっかけに孔子廟裁判が始まりました。
那覇・孔子廟移転の謎(改訂版)
 
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批評.COM  篠原章
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