原発事故の記憶と自衛隊 — NHK「原発事故“最悪のシナリオ”」番組評

3月10日の遅い時間(日付は3月11日)、NHK・Eテレ(ETV特集)で「原発事故“最悪のシナリオ”〜そのとき誰が命を懸けるのか〜」を見た(再放送/最初の放映は3月6日)。

「最悪のシナリオ」とは、放射能の拡散が日本の機能を麻痺させるような最悪の事態に備えて練られた、住民などの避難計画をも含む政府などの行動計画だ。もちろん、原発事故前にはそんなシナリオは想定されておらず、米国・米軍にせっつかれるようにして、事故直後に関連部局が作成したものだ。

番組によれば、米軍がまず「最悪のシナリオ」を想定して、関東在住の米国市民の避難計画を作成した。実際に事故後、米国市民、大使館職員などの一部は関西方面に避難したり、帰国したりしたという記憶がある。

米国に示唆されて、「日米同盟」には日米防災同盟的な意味合いがあるといちはやく察した北澤俊美防衛相は、防衛省・自衛隊に「最悪のシナリオ」を作らせ、国土交通省など政府を挙げてこのシナリオを共有するよう菅直人首相に進言したが、受け入れられなかった。が、官邸の一部には防衛相の危機感を共有したスタッフがおり、独自に「最悪のシナリオ」を作成したが、これも菅首相の判断でお蔵入りした。

番組で浮き彫りになったのは、まず「結局は幸運だったのだ」ということだ。現場での努力と苦闘は尊重するが、東京電力の「無力」と「無責任」は否定しようもない。番組最大のトピックと言うべき勝俣社長(当時)の「(すべて)自衛隊にすべて任せたい」という丸投げ発言には驚愕した。正直と言えば正直だが、事故を起こした東電の責任者としての自覚は残念ながらきわめて乏しかった。

事故も東電も満足にコントロールできなかった政府(とくに官邸)の事故対応の失敗は自明のことだが例外もあった。北澤防衛相の現状認識と判断と覚悟は、民主党政権の唯一の救いだったといえよう。とりわけ「誰が命をかけるのか」という場面に向き合ったとき、最後は自衛隊員しかないと腹をくくった北澤氏の覚悟は察して余りある。混乱した政府ではなく国民と自衛隊員に直に向き合った防衛相だった。北澤氏がいなければ、米軍・米国の協力も得られなかったろう。

このドキュメンタリーを最後まで見て、あの事故のような重大な局面に直面したときに日米同盟の真価が問われるということをあらためて認識した。国防・安全保障には明らかに「防災」も含まれているのだ。当時辺野古移設を強く推進した北澤氏の防衛相としてのスタンスは、その限りでは正しかったことになる。日米同盟と米軍基地のマイナス面だけ強調すると、国民をミスリードしかねないのも歴然とした事実だ。メディアも政治家もこの点は重視したほうがいい。

インタビューを受ける北澤俊美氏(番組より)

原発担当だった細野豪志氏の苦渋に満ちた表情も印象に残った。現場と官邸の認識のズレを、事故の国民に対する影響をもっとも懸念した政治家の1人が細野氏だった。彼はこの事故を通じて民主党の裏と表を知りつくし、最後は党を出る道を選んだ。細野氏については、彼を「裏切り者」と非難する野党支持者だけなく、「二階幹事長に救われたアウトサイダー」といったように与党支持者の評判も悪いが、もう少し冷静な評価が必要だろう。

結論的にいうと、安保上・国防上の危機的事態に直面した防衛相・自衛隊の行動について、米国・米軍の関係者へのインタビューも交えて丁寧に描いた番組には好感が持てた。最大の収穫は、「最前線」には事故現場だけではなく、投入される自衛隊も含まれるという事実、その状況は米国・米軍との関係を抜きには語れないという事実をあらためて認識したことだ。政府に準備と展望と覚悟がないのはきわめて残念だったが、これは今も大きな課題として残されていると思う。

蛇足だが、立憲民主党の枝野幸男代表もこの番組を見たらしく、「私も初めて聞く話がたくさんあった力作でした」(3月7日)とTweetして広く視聴を勧めていたが、自分たちの無策ぶりが浮き彫りにされたこの番組を見て反省したということなのだろうか。それとも都合のいい場面しか目に入らなかったのだろうか。

自衛隊機放水の瞬間(番組より)

批評.COM  篠原章
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