BCGがコロナに効く?その可能性と気になる沖縄の接種状況(訂正あり)

【訂正とお詫び】4月3日
本記事掲載後、池田信夫氏より日本人全体のBCG接種率の見方について誤りがあるとのご指摘がありました。関連資料を見直したうえ、ご指摘を参考に内容を訂正しました。

本稿では当初「国民に対するBCG接種率30%」と想定しましたが、池田氏のご指摘通りおそらく90%を越えると思われます。ご指摘ありがとうございました。「国民に対するBCG接種率30%」」は誤りでしたので、訂正してお詫び申し上げます。

比較的最近のことですが、病院職員を対象とした成人のツベルクリン反応を調べたところ、「陰性者2割」という結果を得た研究もありました。この調査では高齢者になると半数がツ反応に陰性を示したようです。つまり、BCGにコロナに対する免疫効果があったとしても、国民全てがその恩恵を受けるわけではない可能性があるということです。この点には留意する必要があると思います。

BCGはコロナの免疫となるのか

池田信夫氏が『アゴラ』で紹介しているように(「日本型BCGで新型コロナの免疫ができる?」3月27日)、結核予防に使用されるBCGワクチンが新コロナウイルスに対する防遏(ぼうあつ)策として注目されている。オーストラリアでは、医療関係者4000人を対象にBCGの臨床試験が行われるようだ。

池田氏によれば、BCG接種が義務化されている国(たとえば日本)とそうでない国(たとえばイタリアや米国)とでは感染爆発の程度に差があり、BCGを義務化している国のほうが感染拡大が緩やかだという。しかも、日本で使用されているBCG株に、コロナに対するより高い免疫力がある可能性が指摘されている。

ぼく自身はBCGのコロナに対する効果について評価する立場にないが、「日本人がなぜ感染しにくいか」という理由の説明については、池田氏の考察に一定の説得力があるように見える。

目下、東京などでは感染者が急増している。「ロックダウン」(首都閉鎖)も選択肢としては十分ありうる。東京の新規感染者が1日あたり100人を超える日が続いたらまちがいなくロックダウンになると思う。

事態はこのように深刻な局面に入っているとはいえ、日々、数百人、数千人の新規感染者が出ている欧米の主要都市に比べて、東京の感染拡大が異例に緩やかなペースであることは確かだ。「なぜ日本(東京)は緩やかなのか」を理解しようとするとき、池田氏が引用したBCG世界マップとマップの解説を読むと、「日本におけるBCG接種の義務化」という事実で日本の緩慢な感染を合理的に説明できそうだが、わかる範囲でその合理性を見ていきたい。

※BCGとは「Bacille de Calmette et Guérin」(仏語:カルメットとゲランの菌)の略語

BCG接種経験者は国民の90%超

「結核予防に対してBCGワクチンが効果を発揮する」という点については、戦前のBCG導入時(1942年)から繰り返し異論も唱えられているようだが、一般に小児結核に対する予防効果は高いとされ、BCG接種が一般化していなかった戦前と一般化した戦後を比較すると、結核罹患率が大幅に違うことはよく知られている。欧米でもBCG推進派とBCG反対派が存在し、戦後日本に派遣された米軍の公衆衛生担当のクロフォード・サムズ准将(Sams, Crawford F. )がたまたまBCG推進派だったことから、GHQによってBCG接種が義務化されたといわれている。

ただ、ひとくちにBCG接種といっても、実は年代(生年)により接種の有無や方法に微妙な差がある。以下はBCG接種に関する年表である。

1924年 赤痢菌の発見者・志賀潔が、開発者のカルメットからBCGを分与される
1942年 日本におけるBCGの限定的な接種が始まる
1949年 BCG接種の法制化:30歳未満に毎年ツベルクリン検査を行い、BCGによる免疫が確認されなかった場合は繰り返しBCGワクチン接種を行う
1951年 「結核予防法」施行
1974年 BCG接種の定期化 乳幼児(4歳未満)、小学校1年生、中学校2年生の3回に定期化
2005年 接種対象者が生後6ヵ月までに変更され、事前のツベルクリン反応検査を省略する直接接種に変わる
2007年 結核予防法が感染症法に併合される
2013年 接種対象者が今の生後1歳に達するまでに変更

1949年にツベルクリン反応の陰性者に対するBCG接種が法制化・義務化され、1951年の結核予防法で強制接種が強化されたとはいえ、当時(昭和20年代)の年間接種人員は600万人程度であった。しかもツ反応が陽性になるまで繰り返しBCG接種が行われていたので、この600万人のなかには再接種者(二度目三度目の接種)も含まれている。当時の30歳以下の人口が4000万人から5000万人だったことを考えると、対象人口の十数%がカバーされていたに過ぎない。1974年以降は乳幼児(4歳未満)、小学校1年生、中学校2年生の3回に定期化されるが、これもツ反応陰性者が対象で、ツ反応検査を省略してBCG全員接種になったのは2005年以降のことだ。厚生省の資料(第19回厚生科学審議会感染症分科会結核部会資料)などによれば、現在のBCGの全人口カバー率は人口の90%を越えると思われる。

BCG効果は15年で消滅する?

また、研究によって異なるようだが、BCGの効果は最低で15年、長くとも50〜60年で消滅するとされる。結核に対する予防効果の消滅とコロナウイルスに対する予防効果の消滅が必ずしも同じメカニズムで生ずるとは限らないから断定はできないが、「BCGを接種しているから安心」というわけではなさそうだ。

一般にBCG接種経験者はツベルクリン反応が陽性となるが、BCGを接種しなくとも陽性(結核に対する免疫)示す者もあり、またBCG接種を受けた者の中にも免疫効果が薄れてしまうケースも少なくないという。BCGがコロナウイルスに対して効果があったとしても、これらの人々は除外される可能性がある。

徳島赤十字病院が職員を対象としたツベルクリン検査を実施したところ、2割の職員が陰性を示したと報告されている。この調査によれば陰性比率は年齢とともに高まり60代になると4割以上が陰性を示したという。

平成1年と平成20年に当院職員に対して行われたツベルクリン反応(ツ反)の成績をあわせて報告する.平成1年度 には全職員に対して行われ,総数62名の内,陽性者は507名で陽性率は81.5%であった.陰性者は15名(18.5%)み られた.年齢別にみると20歳代75.5%,30歳代81.1%,40歳代83.6%,50歳代8.6%と順次上昇して行き,60歳以上に なると57.1%と急激に低下していた.一方,平成20年度は新規採用者および既職員でも「陽性」と確認されていない者 に対して行われ,陽性率は76.2%(157/206名)と低く,陰性者は49名(23.8%)みられた.
徳島赤十字病院調査「当院職員に対するツベルクリン反応の成績」(Tokushima Red Cross Hospital Medical Journal, Vol.14, No.1, 2009

BCGのコロナに対する一定の免疫効果が確認される日が来るかもしれないが、一部の人々が除外される恐れはやはり想定しておいたほうが良いだろう。

BCGワクチン日本株の有効性

BCGを義務化している国のなかにも感染拡大が急なところもあるので、先にも触れたようにBCG株の品質の差が日本の緩慢な感染拡大の要因だともいわれている。日本で使用されているBCG株は、継代代数172代目の種株(172株)を元に作成された「シードロットTokyo 172」といわれるワクチンで1964年に開発された。現在はその改良型「シードロットTokyo 172-1」でWHOから国際参照品に認定されている。「シードロットTokyo 172」あるいは「シードロットTokyo 172-1」は発展途上国向けにも出荷されており、たとえばWHOなどの予算を使って日本からこのワクチンを供与されているイラクやアフリカ諸国の一部は、感染拡大が緩慢であり、死亡率も低いとされているようだ。したがって、こうした国々のBCGに関するデータを精密に検証しないと、BCG日本株の効果の実態は明らかにならないだろう。

以上のように、BCGのコロナウイルスに対する効果または社会的有用性を判断するにはまだ時間がかかりそうだ。ぼく自身もBCGは接種しているので、ついつい免疫効果を期待してしまうが、糠喜びになる可能性もないとはいえない。

本土より低い沖縄のBCG接種率

仮にBCG日本株に免疫効果が発見されたとしても、沖縄を本土と同じ扱いにはできない。BCG接種の歴史が本土とはまるで異なるからだ。

戦前は生ワクチンを輸送する技術がなかったため(戦後は冷凍乾燥ワクチンが主体なので輸送できるようになった)、沖縄でBCG接種が行われなかったが、米軍統治下の戦後も引き続きBCG接種は実施されなかった。

本土の公衆衛生担当者・感染症対策担当者はBCG推進派のサムズ准将だったが、沖縄ではプエルトリコ出身の軍医で、BCG反対派だったペスケラ(Pesqera, Gilberto S.)が結核について主導的な立場にあった(1951年〜52年)。

ペスケラは、米本土の主潮流に倣って、BCGの結核予防効果よりも、結核患者の治療や治療施設の充実、医師や看護師の能力の改善を重視したため、BCG接種を政策として選択しなかったが、ペスケラの離任後も同じ方針が継続された(ただし、結核感染を突き止めるためにツ反応検査は実施)。1953年12月に那覇で国際結核学術会議が開催された折、来沖した国立衛生研究所所長の柳沢謙は、予定していたBCGについての講演を他のテーマに差し替えるよう米軍から命じられたという。「沖縄ではBCGはタブー」だったということらしい(米軍には「BCGを使用した日本本土での防疫とBCGを使用しない沖縄での防疫活動を比較対照する実験を行う意図があったともいわれている)。

沖縄で初めてBCG接種が行われたのは1965年のことだが、これは本土の結核予防会の援助によるものだった。1967年に中学生へのBCG接種が義務化され、その後、接種対象は乳幼児まで広げられたという。したがって1960年代中盤までに中学生だった県民のなかにはBCG接種を経験しない者が数多く存在することになる。たとえば1967年を基準とすると、1951年以前に生まれた沖縄県民の大半はBCG接種未経験となり、本土よりもBCGカバー率は劣る(BCGカバー率に関する沖縄の資料は見あたらなかった)。つまり、BCGの効果(有用性)について、沖縄と本土を同等に扱うことはできないということだ。

BCGのコロナウイルス対する免疫効果や日本における有用性を論ずるのはまだ時期尚早だが、「藁にでもすがりたい」という思いはある。本当に厄介な病である。

参考資料:
国際協力事業団国際協力総合研究所『援助手法調査研究「沖縄の地域保健医療における開発経験と途上国への適用」報告書』(2000年3月)
戸井田一郎「BCGの歴史 — 過去の研究から何を学ぶべきか」『資料と展望』No.48(2004年)所収
泉水英計「現代沖縄結核史ー防遏は米国式技術によるものか」『生物学史研究』第93巻(2015年)所収

批評.COM  篠原章
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