【新刊『はっぴいえんどの原像』番外編 (4) 】サエキけんぞう×篠原章「『ゆでめん』の暗さはどこから来たのか」

『ゆでめん』から53年、はっぴいえんどとは何だったのか?……
『はっぴいえんどの原像』発売記念トークスペシャル

2023年1月20日、リットーミュージックからサエキけんぞう×篠原章『はっぴいえんどの原像』が発売される。

当サイトでは、サエキ・篠原による〝はっぴいえんど〟をめぐる対談を6回にわたって掲載したが(2015年)、その内容は『はっぴいえんどの原像』の土台の一部になっている。そこで、今回この対談を編集したうえ『はっぴいえんどの原像』番外編トークとして分割再掲載する。
番外編(4)は「『ゆでめん』の暗さはどこから来たのか」

『ゆでめん』の発する暗さはどこからやって来たのか

篠原「今回ね(『レコード・コレクターズ』の〈特集はっぴいえんどー2015年1月号〉の企画)、はっぴいえんどの全曲全音源を聴き直したんですよ。38曲127音源全部」

サエキ「いかがでしたか!?」

篠原「今までわからなかったこともあらためて“わかったつもり”になりました。はっぴいえんどが当初支持されたのは、必ずしもアメリカン・ウエストコースト的 な音づくりに成功したからじゃないんだ、と思いました。当時は、ウエストコーストVSブリティッシュみたいな図式をもとに書いている雑誌が多く、やがてそれは日本語ロック論争にもつながるわけだけど、そういう視点からのみはっぴいえんどが評価されたわけじゃない、と思ったわけで。鈴木茂さんのギターの音だって、ライヴで聴いた最初の印象はブリティッシュ・ロックだったし。だからこそ<12月の雨の日>とか<春よ来い>とか、けっこう広い層に衝撃を与えられたんだと思います。当時クリームなんかの音に慣れていたロック・ファンにも訴える要素があったんですね」

サエキ「ああ、それはそう思います。ウエストコーストは『風街ろまん』で、『ゆでめん』は、どの国由来か、なんとも分析が難しかった」

篠原小倉エージさんや北中正和さんは、当時からアメリカの様々なロックを聴いていたから、サウンドの微細な違いもよくわかってたんでしょうけど、一般のリスナーはそこまで情報量がない。バッファロー・スプリングフィールドモビー・グレープの名前を、はっぴいえんどに関する雑誌の記事で初めて知る人も多かっ たと思う。当時、ベーシストとして山内哲(後にフリーに加入)もいたサムライというロック・バンドをやっていたミッキー・カーチスさんも、はっぴいえんどを高く評価していたけれど、ミッキーさんウエストコースト系のサウンドだと思ってはっぴいえんどを聴いていたわけじゃないと思います。はっぴいえんどのサウンド自体がロックだったんですよ」

サエキ「ふ~ん。そのロックが当時は、ブルース的ハードロック中心だったからな」

篠原「つまり、『ゆでめん』の場合、ブリティッシュ・ロックをふだん聴いている人の耳であっても、割合素直に受け入れられた、ってこと。ただ、その後、ミッキーさんも『風街ろまん』みたいなカントリー・ロック調にシフトするんですけどね」

サエキ「今回レコード・コレクターズで僕が行ったインタビューで、鈴木茂さんも、自分のギターは「ゆでめん」ではジミヘンだった、バッファローじゃないと(笑)おっしゃってました」

篠原「ああそうですか。それはそう思います。今回の原稿でも強調しました。茂さんはまるでジミヘンだと」

サエキ「今日、聴きたいことがあって、それは『ゆでめん』の持つ“暗さ”についてなんですよ」

篠原「凄くいいポイントだと思います。もともとはっぴいえんどは、細野さんと松本さんのバンドですが、60年代末的な、ある種の世紀末的な暗さを引き摺りながらスタートしたんだと思います。これには、冷戦やベトナム戦争を主な理由として60年代アメリカン・ドリームが崩壊してしまったことも関係があります。目標とすべきカルチャーのモデルがなくなったような状態ですからね。が、松本さんは、早々突破口を見つけたんですね。『ガロ』とかの世界もありますが、詩人で建築家の渡辺武信さんなどの影響もあって、新しい時代の都市論あるいは日本語表現にたどりつきつつあった。松本さんは言葉の人でもあったから」

サエキ「それは、わかります。」

篠原「ところが、根っからの音楽人である細野さんは、はっぴいえんど結成の頃、まだその突破口を見つけられていなかったんだと思います。アメリカとイギリスのあいだで彷徨うような状態というべきか。“楽しいポップス”がなくなり、深夜に黙りこくって一人で聴くようなロックも台頭してきたなかで、自分はどうふるまうべきかという壁にぶち当たってた。はっぴいえんどは、その壁を壊す舞台として用意されたんだと思いますが、なんと細野さんよりも先に大滝さんのが開眼してしまうんです。それが<12月の雨の日>とか<春よ来い>に結実してるわけです。ぼくは細野さんの『ゆでめん』の曲も大好きなんですけど、大滝さんのこの2曲は、時代に風穴を開けるような迫力があった。一方の細野さんはまだ焦燥感を抱えたままで、そこからなかなか前に進めないって状態だったんじゃないでしょうか。それが『ゆでめん』の持つ暗さの一因だと思います。じゃあ、大滝さんはどうだったかというと、<12月の雨の日>とか<春よ来い>とか いった傑作をつくってもなお、はっぴいえんどの中での居場所を探すような状態だったんじゃないでしょうか。岩手から出て来て、東京のど真ん中で生まれたようなバンドに入ってちゃったわけですから、その孤立感は今ぼくたちが想像する以上に大きかったんだと思います。大滝さんのこの孤立感も、はっぴいえんどが 成功する原動力のひとつになったわけですが、大滝さん自身はその孤立感をもてあましていたんだと思います。大滝さんのこの孤立感も『ゆでめん』の持つ暗さの一因だと思います」

サエキ「「12月の雨の日」の暗さは、まさに、そこを代表していて、あれを聴くと僕は、雨の日の新宿西口の外出たと」ころの人の流れを思い出します。今でも雨の日に新宿に行けば感じる。とにかく湿ってて、暗い」

篠原「ぼくはなぜか赤坂見附だったんですけど(笑)」

サエキ「赤坂見附って、人が流れてますか?」

篠原「東急ホテルのある赤坂東急プラザ(1969年9月開業)から見る赤坂見附ですけど」

サエキ「あそこも昔の匂いのする東京ですね〜。1970年当時、時代が大きく変わろうとしていて、そこに盲目的に人が流れる感じを新宿に感じました。今の世相とちょっと似ているところがある」

篠原「赤坂東急プラザから見ると、赤坂見附の人の流れがとてもよく見えるんです。たぶん今でも。歩道橋を人が流れていく。ま、それはそれとして、『ゆでめん』の暗さを理解するポイントは、大滝さんの孤立感細野さんの焦燥感なんだと思います」

〈つづく〉

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