【新刊『はっぴいえんどの原像』番外編 (7) 】サエキけんぞう×篠原章「『ゆでめん』の1970年は音楽業界の“明治維新”だった!?」

『ゆでめん』から53年、はっぴいえんどとは何だったのか?……
『はっぴいえんどの原像』発売記念トークスペシャル

2023年1月20日、リットーミュージックからサエキけんぞう×篠原章『はっぴいえんどの原像』が発売される。

当サイトでは、サエキ・篠原による〝はっぴいえんど〟をめぐる対談を6回にわたって掲載したが(2015年)、その内容は『はっぴいえんどの原像』の土台の一部になっている。そこで、今回この対談を編集したうえ『はっぴいえんどの原像』番外編トークとして分割再掲載する。
番外編(7)は「『ゆでめん』の1970年は音楽業界の“明治維新”だった!?」

はっぴいえんどの4人は明治維新の志士たちに似ている

篠原章「ぼくは“人は演ずるものだ”だと思います。役割を与えられたと思いこんでいる人たちが演じているんだと。真面目にやってきた人たちは、とても苦労したと思います。より暗くなったり、自死に追いこまれたり。でも、71年頃に運動が収束して、大半の“卒業生”は、役人や大学教師になるとか、企業の先兵として 世界各地で日本製品を売るとか、そういうメインストリームの仕事に就いたわけですからね。」

サエキけんぞう「なるほど、僕は、手塚治虫の漫画誌『COM』永島慎二「フーテン」)の中にも潜んでいた“ホロ苦い暗さ”にとても感じ入りました。この絵の持つ、焦がれるような寂しさは、あの時代独特のメランコリーだけど、これが行き場がなくなり、村上春樹『ノルウェーの森』に描かれるような、70年代前半に自殺する若者達にもつながる。永島慎二については、歌詞カー ドの感謝の人選(『はっぴいえんどの原像』では「ゆでめんリスト」と呼んでいる)にもでてたし、メンバーの証言もある。それは『ゆでめん』そのものだし、そうした若者の流れの中のひとつだった」

篠原「それはわかりますよ。僕もそう思っていた」

サエキ「企業の尖兵が時代の先端に立つのはちょっと後だと思うんですね。60年代末から、70年代はじめにかけて、日本の若者は、思想からエンターテインメントへと大変なカーヴを曲がった。それは、60年代『ガロ』や『COM』的なものが1972年には跡形もなくなったことでもわかると思います、そうしたカーヴが、全く内容が異なる『ゆでめん』から『風街ろまん』の変化で象徴的に描かれている」

篠原「その流れはわかるけれども、あの頃の多くの若者は“何かを変えられる”という希望も持っていたんじゃないかと思うのです。都会と地方の温度差は、今からでは想像がつかないほど大きかったとか、思想なんかとは異なるそういう要素の方が、学生運動そのものよりも、政治・社会・文化のあり方に大きなインパクトをもたらしていたんじゃないか、って気がします。だから、学生運動やその周辺の気分っていうのは、時代の流れとしては大した潮流じゃなかったんだという気がするんですね。学生運動自体は。日本史的に見れば数行の出来事なんですよ。チョンマゲの時代から、文明開化に入った頃の激変に比べれば、という意味なんですけど」

サエキ「69年当時のロックシーンの香りがする細野さんと松本さんのエイプリル・フールから『ゆでめん』が、作られるまで、1年かかっていない。また、『ゆでめん』はたったの4日で録音されている。このことも1969年~70年の急流を現している。常々、大滝さんは、時代は変わる時にはあっという間に変わるといわれていたが、『ゆでめん』制作の前と後では、メンバー4人が生まれ変わったに等しい急流だった」

篠原「そういう急流が存在したことは確かで、ぼくははっぴいえんどの四人が果たした役割って、明治維新のときの志士たちと同じくらい大きな意義があったと 思っています。政治や社会とはあまり関係ない、あくまでも音楽とか文化の領域での役割ですけどね。明治維新の時って、欧米から何を採り入れ、何を採り入れないかっていう決断については、あまり議論する暇もないくらいのスピード感があった。でも、決断は外人が下すんじゃなくて、若き明治の志士たちでしょう。ところが、太平洋戦争で敗北した後は、被占領国になって、文化的な領域でも取捨選択はアメリカ人に委ねられてしまった。入ってくる欧米カルチャーの大半が米国発か米国経由。で、ようやく自分たちである程度判断できるようになったのが60年代。独自のものへの覚醒が芽生えたのが60年代末から70年代初めじゃないかと思ってるんです。欧米カルチャーの受け入れ、変形を経て、欧米カルチャーと同質の音楽を創ろうという時期に生まれたのがはっぴいえんどじゃな いか。録音環境も、音楽情報も圧倒的に英米と差があったにもかかわらず、あの4人は、たとえば、リトルフィートなんかと同じところに立って音楽を創ろうとしたんじゃないか」

サエキ「ホントにそうですね」

〈つづく〉

批評.COM  篠原章
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