沖縄県知事はなぜ「振興策はもういらん」といわないのか?

Why Does the Governor of Okinawa Prefecture Say “No More Governmental Subsidies”?

翁長雄志沖縄県知事が1月5日に上京しましたが、首相始め政府関係者との会談や自民党沖縄振興予算会議への出席を拒否されたということです。

これに対するメディアやネットの論調は「安倍政権はけしからん」「沖縄軽視だ」と憤っています。自民党を割って知事選に出馬・当選した知事でも、沖縄県民の代表なのだから会談を受け入れるのが「当然」という論旨です。

理解されているようで全然理解されていない、と思うのは、翁長知事が要望する会談の目的です。目的はずばり来年度の沖縄振興予算の折衝。現段階での概算要求額は3794億円。本年度の予算は3501億円。沖縄担当相は、当初「満額回答」に前向きでしたが、政府は今年度予算からの1割減を考えているようです。県当局のある関係者は「沖縄にとって振興予算の減額は屈辱だ」と言っていましたが、翁長知事の仕事は、この「屈辱的」な減額をやめさせること、あわよくば増額させることです。

実はここが最大のポイントです。翁長知事は「お金」の話をするために上京したのであって、「辺野古移設反対」の民意を伝えるために上京したのではありません。 会談拒否に憤ることは、振興予算を分捕る機会を失ったことに憤ることと同じです。なんだかおかしくありませんか?

周知のように、振興予算と基地問題ははっきりリンクしています。振興予算は基地負担の代償なのです。これまでの沖縄振興予算の使い途を調べれば簡単にわかることです。

よく引き合いに出される例は、那覇市奥武山公園ある野球場「沖縄セルラースタジアム那覇」の建築(増改築)費用。驚くことに総額68億円のうち51億円は防衛省の予算(基地周辺対策費)で賄われています(画像参照)。野球場さえ基地とリンクしていることを事実上認めた上での予算執行なのに、基地と振興予算のリンクは公式には否定されつづけているのです。

沖縄県のリーダーは「基地容認・反対は命と心の問題であって、振興予算とは無関係」と言いつづけています。無関係というなら、振興予算が減額されても心に は響かないはずです。心に響くのは基地の増減でなければならないはず。そうした建前を前提にするなら、「予算削減は屈辱」などという言葉が出てくるのはとうてい理解できません。基地とお金がリンクしているからこそ「屈辱」という表現になるではないでしょうか。本音では「基地とお金はリンクしている」のです。

本気で辺野古移設を止めさせたいなら、翁長知事は、振興策と基地のリンクを認めた上で、腹をくくって「振興予算の減額は受け入れるから、辺野古移設を断念してほしい」と政府に伝えればいいのです。現に那覇市長時代の翁長さんは、朝日新聞のインタビューに応えて「振興策はいらない。基地を減らせ」と明言しています。その覚悟は天晴れだと私は思いました。

ところが知事になった途端に「振興予算は増やせ(減らすな)。辺野古移設は断念しろ」です。メディアやネットの「会談拒否」を批判する論調は、知事のその姿勢を応援することにほかなりません。

そうじゃないでしょう、と私はいいたいのです。

「基地を減らす、辺野古移設をやめさせる」のが目的なら、「会談拒否大いに結構。振興策は減らしてもらって一向に構わない。その代わり辺野古移設は断念せよ」と声を大にしていえばいいのです。なぜそういわないのか、私にはまるで理解できません。

「権力・権限を握っているのは政府だから、政府が率先して振興予算を減らすべきだ」という見解もあるでしょう。が、安倍首相と仲井眞前知事との約束があるので、3000億円は最低補償額になっています。大幅に減らすことは信義上不可能だし、これまで「ほしい」といってきたのは沖縄ですから、沖縄から「振興予算はもういらない」というのが筋でしょう。第一、安倍政権が仲井眞前知事との約束を反故にしたら、大騒ぎになって収拾がつかなくなります。

そもそも3000億円もの振興予算が必要かどうかについても議論の余地はあります。沖縄の行政担当者なら誰でも知っているように、紐付きでない「一括交付金」など使い途がなくて困っているのが現状です。市民が離島に旅行する際の助成金まで措置されてきましたが、すでにアイデアは枯渇しつつあるのです。年度末になっても十分執行されていない予算費目もあります。余るくらいなら年収300万円以下の世帯に均等に分けた方がはるかに高い経済効果が得られますが、現在のシステム下ではおそらく困難です。

沖縄のほうから「もういらない」といいだしたら、画期的だと思います。激しい議論は巻き起こるでしょうが、基地問題は確実に前進すると思います。 翁長知事はなぜ「振興予算はもういらない」といいださないのでしょうか。

このままでは辺野古移設問題、基地問題の解決は遠のくばかりです。「辺野古移設問題の解決を長引かせ、振興予算を分捕りつづけることが沖縄の目的ではないか」といわせないためにも、振興策と基地問題の関係について(つまりお金の問題について)、今こそ本音で議論することが求められています。振興予算を確保することが沖縄にとって「善」であると考えるのは、もういい加減やめたほうがいいでしょう。

ounoyama

批評.COM  篠原章
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