中村とうようの負の遺産〜13回忌に起こった高橋健太郎と田中勝則の「論争」

音楽評論家の中村とうようさんが亡くなって早くも12年。いわゆる13回忌である(命日は2011年7月21日)。

「それにあわせて」ということだろうが、『ミュージック・マガジン』7月号に深沢美樹(よしき)さんの〈中村とうようを再評価する〜リイシューと「中村とうようコレクション」の現状〉という論考が掲載された。深沢さんには『リアル・カリプソ入門』というとうようさんとの共著がある。

その論考のなかで深沢さんは、武蔵野美術大学にとうようさんから寄贈された約5万点の「中村とうようコレクション」が十分活用されていない現状を訴え、同大学に「アフリカ音楽」のシンポジウムの開催を働きかけることを予告している。すでに関係者のあいだには、〈「文科省補助金の活用によるシンポジウム(年5回〜10回)の開催」を武蔵野美術大学に求める要望書に賛同してもらいたい〉というメールが送られているという。発信人は〈「中村とうようコレクション」シンポジウム実行委員会 関谷元子 田中勝則 原田尊志 深沢美樹〉となっている。ちなみに、田中さんも深沢さんもとうようさん「直系」の弟子筋である。

この論考に対して、音楽評論家の高橋健太郎さんが自身のFacebookで、次のような疑問を呈した。

本件、武蔵美の「中村とうようコレクション」の現状は憂慮すべきものだと思う。こうなることは当初から危惧されていたことだけれど。 が、武蔵美に対する要望には賛同するものの、この「中村とうようを再評価する」という記事には首を傾げざるを得なかった。だって、タイトルは「再評価」だよ? 従前からの評価とは違う位相の評価を加えなければ、「再評価」など起こりうる訳がない。容赦なく中村とうようを批判してくれる新しい書き手にこそ、「再評価」を預けるべき。そういう人が見つけられるかどうかだと思うよ、本件の行方も。

さらにコメント欄で、健太郎さんは「何か凄い人の凄いコレクションらしい。じゃあ預かろう。でしかなかったんでしょうね。で、今はそれが死蔵状態である」と書き加えた。ぼくも「再評価」については健太郎さんのいうとおりだと思うが、「何か凄い人のコレクションらしい」はちょいと余計だった。

これを読んで、シンポジウム実行委員会に名を連ねている田中勝則さん(『中村とうよう 音楽評論家の時代』『中村とうようコレクション総合目録』などの著者)は気分を害したのだろう。Facebookに次のようなコメントを書いた。

健太郎さん、相変わらず、あまり冷静ではないようですね。興奮して書きなぐったような文章のようにお見受けします。

冷静さを失っているのは田中さんに思えるが、今度はこれにカチンときたらしい健太郎さんが田中さんのコメント欄に次のように書きこんだ。

勝則さんは私の文章をちゃんと読んだのですか?「武蔵美に対する要望には賛同する」と書いています。「文化庁がお金出してくれるからシンポジウムをやる、というのもいいけれど」と書いています。何も反対していないんですよ?何を興奮して、私のところに武蔵美の内情、派閥や私怨などについて、長々と書いたものを送ってきたのですか? 私は関係ないじゃないですか?

憶測に過ぎないが、1500ページもの『中村とうようコレクション総合目録』を作った田中さんとしては、自分のやって来たこと、やっていることにケチをつけられた、と感じたのだろうと思う。

一連のやり取りを「すわ論争だ!」と思い、注視している人も多いようだが、私信であるFacebookメッセンジャーの部分を健太郎さんが公開しているので、それが田中さんの怒りに拍車をかけてしまったような印象もある。

ぼくは高橋健太郎さんとは政治的なレベルで相いれない部分があり、けっして「仲が良い」とはいえないのだが、この件については、田中さんには分がないと思う。健太郎さんが正論を述べ、その正論に噛みついて立ち往生しているのが田中さんに見える。深沢さんもそれを感じたのか、極力、巻き込まれないようにしている。

そもそも「中村とうようコレクション」が、とうようさんと美術評論家で武蔵美の教授だった故・柏木博さんとの私的なつき合いをきっかけに武蔵美に寄贈されたことが間違いの元なのだが、いまさらそんなことをいっても始まらない。柏木さんが大学を退職されてから、コレクションの整理に全力で当たってきた田中さんが大学から縁を切られ(具体的には研究員から外され)、「デジタル化」や「オープンリソース化」が滞ってしまったのだろうが、そのあたりの経緯は不明であり、また知ることにあまり価値はない。

中村とうようコレクションを生かすためには、武蔵美が研究所でもつくって、数人の音楽の専門家を雇い入れるほかないが、現在の美術大学にそんな余裕はない。音楽系、社会学系、文学系の学部や研究所を持つ他の大学が譲り受けることが叶えばそれに越したことはないが、今のところその可能性はきわめて低い。健太郎さんが指摘するように、コレクションが中古盤・古書市場・古楽器市場で切り売りされる方が、よっぼどマシだと思う。

ついでに、大学勤務20年のぼくの経験からいうと、ドイツから高額で購入した金融財政分野の「古書コレクション」を生かしてくれる可能性があるということで専任教員として雇用された。ところが、新学部設立(大学改革)や地域貢献活動に忙しく、実際にはそんな暇はまるでなかった。挙げ句の果ては内部抗争で大学から切り捨てられる始末となったが、今さら「あの古書コレクションはどうするんだ」と恨み言を唱えても死んだ子の年を数えるようなものだから、恨み言はけっして口にしないことにしている。専門家が雇用されるまで、あのコレクションは「死蔵」されるほかないのである。

田中さんや深沢さんが提案するシンポジウムが「中村コレクションの死蔵」を回避する手段になるかどうかは怪しい。田中さんや深沢さんの提案によれば、「年に5回から10回」の開催するという計画だが、セミナーや勉強会ならともかく、シンポジウムをそれだけの回数こなせる研究機関なんて、この世にまず存在しない。また田中さんは、「補助金を活用するから大学には負担をかけない」というが、そのような言い分を信ずる大学関係者がいるならお目にかかりたいくらいだ。大学とはそういう保守的な組織なのである。その手のシンポなら(セミナーでもいいが)、赤字覚悟で民間でやるほかないが、それだけの覚悟のある民間研究者も滅多にいない。それなりの「成果」が挙がればいいが、現状ではそれとてもきわめて困難だ。

失礼ながら、田中さんたちは「研究機関としての大学」あるいは「研究資料活用組織としての大学」に過剰な期待を抱いていると思う。結局は各個人の覚悟と創意が必須だということに気づかされるだけで、誰も得をしない。

ぼくもとうようさんを敬愛して止まないが(『ミュージック・マガジン』の2011年10月号所収の篠原による追悼記事「日本のロック・ジャーナリズムの草分けとして」を参照)、晩年は自らのコレクションの保存・継承に執着しすぎていたと思う。それを受け継いだ「直系のお弟子さん」たちの苦労はよくわかるが、コレクション保存・継承への思いに足を取られて、「ロックはポピュラー・ミュージックの新機軸」という半ば普遍的な真理からどんどん遠ざかることになりはしないか。ホント、とうようさんも罪なお人だ。

批評.COM  篠原章
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