平野悠 × 足立正生@Rock Cafe Loft(2024年10月1日)

ライブハウス「ロフト」の創業者・平野悠さんのトークライブ(生配信あり)が始まった(Rock Cafe Loft 新宿・歌舞伎町)。

初回のゲストは、平野さんがプロデューサーを務める映画『逃走』(配給元・公開日は未定)の監督・脚本を担った足立正生さん(85歳)。

赤軍派のスポークスマンとして30年間にわたりパレスチナに滞在していた映画監督である。
足立監督の最新作『逃走』は、今年1月29日に鎌倉の病院で、本名を名乗った上で亡くなった逃亡者・桐島聡東アジア反日武装戦線)の最後の4日間を描いた作品で、主演は古舘寛治。編集作業はこれからで、ストーリー、助演、スタッフの氏名はほとんど公表されていないが、数枚のスチール写真だけがこの日公開された。

ぼくは中学生の頃、足立さんの関わっていた国際赤軍(重信房子の組織)にオルグされた(誘われた)経験があり(当然断った)、友人のひとりはパレスチナ・ゲリラ(PFLP)の一員となるためパレスチナに渡ってしまったので、足立さんの動向には深い関心を寄せていた。

30年のパレスチナ滞在後、帰国した足立さんが逮捕されたことは知っていたものの、その容疑事実が「偽造私文書の行使」だったことはまるで知らなかった。外国政府が発行したように見せかけた「偽造パスポート」は私文書に当たるとのことだった。

連続企業爆破事件や『腹腹時計』(爆弾製造マニュアル)の製作で知られる東アジア反日武装戦線のメンバーだった桐島聡の容疑は殺人未遂と爆発物取締罰則。予想される量刑は7年から10年だったが、桐島は49年にわたる逃亡生活を選び、最期のときは(刑務所ではなく)病院で迎えた。「なぜ服役より辛い逃亡生活を選んだか」について足立さんは、「逃亡(逃走)も闘争だった」という。

足立さんはさらに、「赤軍は、(民間人や仲間を殺傷しても良いという)闘争方針の反省会をするために(ダッカ事件を起こし)、メンバーを(当時の福田赳夫首相による「超法規的措置」により)取り戻した」という。ダッカ事件の際の釈放要求にはたんなる殺人犯も含まれていたので、「反省会をするために」という釈明はにわかに信じがたいが、「反省して部隊を再編する」という意図はどこかにあったのかもしれない。

油断していると、85歳とは思えない足立さんの明晰さに誤魔化されてしまいそうだったが、元ブント(共産主義者同盟)の一員だった平野さんには「政治信条のために人を傷つけてはならない、テロを起こしてはならない」という強い矜恃があるようで、赤軍派や東アジア反日武装戦線の行動には、終始批判的な立場だった。

平野さんの関心も足立さんの関心も、「桐島聡という、矛盾だらけのひとりの人間」の生涯に向けられていた。その点を共有したうえに、映画『逃走』がはじめて製作されたのだと推測している。

これも「昭和のあとしまつ」のひとつのあり方だと思えば納得できる。

足立正生(右)と平野悠

足立正生監督(右)と平野悠さん

批評.COM  篠原章
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket