素晴らしかったThe Waltzのジャングル・ビート—嘉手納ロックフェス観戦記
11月9日(土)に行われたKadena Rock Festival(@道の駅かでな/沖縄県嘉手納町)におけるフル編成のThe Waltzのステージを観た。久々の野外ライヴは120%のパフォーマンスだった。
以前から感じていることだが、結成から38年を経てWaltzは明らかに巧くなっている。いまやほとんどのメンバーが兼業ミュージシャンで、この日のステージもドラムとサックスはトラ(都合の悪いメンバーに代わるミュージシャン)。にもかかわらず、ジャングル・ビートを演らせたら、これほど巧みなバンドはいないんじゃないか(山下達郎「ジャングル・スウィング」級という意味)、と思わせる実演も含み、正味45分のステージは高密度で圧巻としかいいようがなかった。
驚いたのは、演奏が始まった途端、ステージ直下のダンシング・スペースに、30人余りの観客が「我先に」とばかり集まってきて踊り始めたこと。演出でも何でもなく、チョンダラー(エイサーのときに演者や観客を盛り上げる役割を担った道化師のような人)を演ずる観客まで登場、実にオキナワ的なロック空間が嘉手納の地に現出した。その音は、隣地の米空軍嘉手納飛行場にまで滲みだしている。米軍基地から滲みだしたロックが日本の音楽を革新して「日本のロックとポップス」を育ててきた歴史を思うと感慨深い。これぞ日米の互恵関係(笑)。素晴らしいことじゃないか。
The Waltzは80年代末から90年代前半にかけて沖縄を席巻したロック・バンドだが、本土でそのことを知る人は少ない。沖縄といえば、「紫」「喜納昌吉&チャンプルーズ」「りんけんバンド」「ネーネーズ」「BEGIN」などを連想する人(ナイチャー)が多いが、当時の沖縄の若者にとってのWaltz人気はそれをはるかに上回っていたと思う。
幅広い音楽性が彼らの特徴だが、ウチナーポップの本土の愛好者にしてみれば、その長所が「沖縄」または「OKINAWA」という既存の枠に収まらなかったので、結果、無視されてきたのだと思う。音楽配信の時代に入った2000年代、Waltz(やリーダーのローリー)が自ら積極的に配信してこなかったのも負の要素として働いてしまった。
ライブを生で聴けば、The Waltzこそ「沖縄初の本格的な日本語ロック」「沖縄初の本格的なリズム・アンド・ブルース」「沖縄初の本格的ブラスロック」「沖縄初の本格的スカ」、もっといえば「日本初の本格的なミクスチャー」だったことは一聴して明らかだが、いまも配信がない以上、それらの長所は本土までなかなか届かない。
なんとも歯がゆいところだが、結成周年40年に向けて、The Waltzの音楽を広く深く本土にまで浸透させたいと思うのは、ぼくだけではないはずだ。