移設拒否の論理(1)「辺野古の民意は移設容認」なのに「沖縄の民意は移設反対」の矛盾
Consideration About Grounds for "No More U.S.Base In Okinawa" Vol.1 ; Though Henoko People Accept Relocation of U.S.Marine Corps Base, Why Do You Say "Okinawa Is Against Relocation of the Base"?
【全2回のうちの第1回】
4月27日付けの『琉球新報』(電子版)に次のような記事が掲載された。
(見出し)久辺3区と懇談会へ 政府、辺野古で条件整備
【名護】米軍普天間飛行場の移設先に近い名護市辺野古、豊原、久志の3区(久辺3区)と国は近く、3区の振興策に関する懇談会(仮称)を設置する。5月中にも第1回の会合を開く。26日の辺野古区民大会で嘉陽宗克区長が区民らに報告した。
辺野古区などによると、政府側の参加者は防衛省や内閣府など省庁横断的な構成となる予定という。嘉陽区長は「条件整備に向け、ようやく国との協議の場ができた」と懇談会に期待した。
嘉陽区長と宮城安秀市議、豊原区の宮城行雄区長らが22日上京し、菅義偉官房長官と面談して懇談会の設置を確認した。
懇談会の構成員は久辺3区の区長のほか防衛省や内閣府の関係者ら。懇談会は名護市で開かれ、会合の結果は菅官房長官に報告される。
久辺3区はこれまで、移設受け入れの条件として生活基盤整備や住民補償などの振興策を求めており、昨年9月に仲井真弘多知事(当時)と共に上京し、菅官房長官などに要請をしていた。しかし住民補償など、現在の法律上根拠がないことなどを理由に進んでいなかった。今回の懇談会では条件実現に向けて幅広く協議される見通し。
9月に要請して以降、3区は国と水面下での交渉を続けてきたという。嘉陽区長は「作業は進んでいるのに区民への生活補償は進まないことに苦情もあった。区民の生命と財産を守る立場から協議したい」と語った。
辺野古移設の「地元」である久辺三区が、移設容認に際して付した条件を満たしてもらうために、国などと協議する機関を設置するよう官邸に要請し、官邸側がこれを受け入れた、という記事である。沖縄の地元二紙はこのニュースを伝えたが、本土のメディアでは毎日新聞が琉球新報の記事を再掲載するかたちで伝えただけで、新聞もテレビも報道しなかった。
小著『沖縄の不都合な真実』などで再三指摘してきたが、地元・辺野古区(名護市の自治区)はほぼ一貫して「移設容認」の姿勢を示してきた。正確には「振興策による生活基盤整備」という条件が付されているが、辺野古区には米海兵隊キャンプ・シュワブと切っても切れない歴史があり、基地なくして暮らしが成り立たないことは住民なら誰でも承知している。辺野古区のホームページを見れば、同区がいかに海兵隊との結びつきが強いか一目瞭然である。
1970年8月1日に他町村(名護町・屋部村・羽地村・屋我地村)と合併して名護市ができるまで、辺野古区は「久志村」という独立した行政単位だった。久志村(久辺三区)は、辺野古区、久志区、豊原区の三区からなる。が、基地にいちばん近い辺野古区は「基地経済」のおかげで繁栄し、人口も急増した。2015年3月31日時点での人口は、辺野古区1,869人、久志区611人、豊原区419人。名護市東海岸(太平洋岸)には、全部で13の自治区(久志地区と総称)があるが、13区の人口を降順で並べると、1位=辺野古区、2位=久志区、3位=豊原区となる。なかでも辺野古の人口は群を抜いている。辺野古区の人口が圧倒的に多いのは、同地に「メシの種」が多かったからで、そのメシの種はキャンプ・シュワブからもたらされてきた。1955年頃の辺野古区の人口は500人前後、1958年にキャンプ・シュワブが完成すると、奄美群島などからの移民も吸収して2,000人ほどまで膨らんだという。
記事からも類推できるように、現在は、キャンプ・シュワブと境界を接している旧久志村の三区(辺野古区、久志区、豊原区)すべてが条件付きの移設容認である。久志村には、1956〜57年にキャンプ・シュワブを自ら誘致した歴史がある。軍用地料の支払い金額・支払い方法をめぐって本島各地で「島ぐるみ闘争」が行われていた時代に、辺野古区の「基地誘致」はなんとも苦渋の決断だったが、これが成功すると、隣地・隣村にまで基地誘致・基地容認の波は広がり、基地反対運動に変質していた島ぐるみ闘争も終焉に向かったというのは、ちょっとした皮肉である。金武にある巨大な海兵隊基地、キャンプ・ハンセンも、辺野古区を見倣って誘致された基地だが、誘致の事実は沖縄でもあまり知られていない。現在、沖縄各地あるいは本土各地で見られる住民と基地との交流事業の端緒も辺野古にあるという。「基地との共存」によって辺野古区が生きながらえてきた歴史には学ぶべき点が多い。この点を正しく認識しないで沖縄の米軍基地について語ることは不毛だ。
辺野古区を筆頭に移設先の三区が苦渋の歴史を踏まえた上で「容認」の決断を下していることはきわめて重い。加えて、名護市の東海岸地区(久志地区」全13区の内、容認の姿勢を明らかにしているのは旧久志村3区を含む8区、反対の姿勢を明らかにしているのは3区、保留が2区といわれる(参考:平成26年第6回沖縄県議会定例会における又吉清義議員の発言)。 「地元の民意」といったときは、まず辺野古区の民意が尊重され、次にキャンプ・シュワブに隣接した旧久志村の民意が尊重され、さらに拡大が必要となれば久志地区13区の民意が尊重される、というのが順当な「民意」の姿だ。久辺三区が名護市域に含まれるから、名護市が三区の意向を受けて政府や米軍との折衝窓口になるという話なら分かるが、移設の影響をほとんど受けない久志地区以外の「民意」まで考慮しなければならないとなると、民主主義は機能不全に陥ってしまう。受け入れ拒絶を表明している「地元」に廃棄物処分場をつくろうとする自治体と、受け入れを決めている「地元」に地廃棄物処分場をつくろうとする自治体のどちらが民主主義的か、その答えは明らかである。
こうした事実を並べると、「政府の沖縄政策(アメとムチ)にまんまと乗せられてきた辺野古区などの民意は、つくられた民意だ」と批判する人たちがいる。だが、いかなる民意であっても、そもそも「つくられない民意」なるものは存在しない。政府やメディアだけではなく、政治活動や社会調査法(アンケート調査)のあり方などによっても民意をつくることができる。大切なのは、利害関係のある地域や団体が、地域や団体としての意思形成を、公式に発信しているかどうかだ。沖縄県と名護市の民意は「移設反対」だが、いちばん利害関係の深い辺野古区などの民意は「移設容認」だ。これらの民意のうちのどれを尊重べきかは、自ずとはっきりしている。「辺野古移設反対」の根拠として、沖縄県や名護市の「民意」を挙げるのはやはり無理がある。「地元は反対か容認か」と問われれば、利害関係のいちばん深い地元の意思を尊重することに正当性がある。「民意」を盾にして辺野古移設に反対する運動には、大きな疑問を抱かざるをえない。
民意をめぐる移設拒否の論理は、少なくとも辺野古に関する限り破綻している。破綻した論理に依拠して「移設反対」を叫ぶ限り、反対運動に正当性を見いだすことはむずかしい。(続く)
移設拒否の論理(2)非合理で曖昧な「沖縄の心」と「過剰な基地負担」へつづく