佐藤優さんの低レベルな篠原批判
A False Charge At Me by Mr. SATO Masaru
佐藤優さんが琉球新報に連載するコラム「ウチナー評論」で、篠原を槍玉に挙げている(2014年12月6日付)。訴訟を怖れてのことか、篠原の実名は隠されている。篠原もかつて琉球新報で連載コラムを担当していたから、琉球新報の担当者が、種々気遣って実名をはずしたのかもしれない。が、読めば分かる人も多いはずだし、分からなくとも、ネットで検索すれば一発で篠原の名前が判明する。
そこには次のように記されていた(以下引用)。
「東京の大学で詐取事件を起こして、懲役3年の執行猶予付き判決を受け、現在も執行猶予期間中であるにもかかわらず、その事実を明示せずに、県知事選挙の本質はカネと権力をめぐる争奪戦だなどという乱暴な言説を展開している人もいます。僕は、鈴木宗男事件に連座し、刑事裁判を抱え、刑が確定し、執行猶予期間中もその事実を隠して言論活動をしたことはありません。
植民者の視線から、沖縄を見下した言論を展開する日本人学者は、右にも左にもいます。こういう人々に惑わされることのないアイデンティティーを強化していくことが沖縄にとっての最重要課題だと思います」(引用終わり)
篠原がWEBマガジン「ポリタス」に掲載した沖縄県知事選分析(【沖縄県知事選】沖縄は何も変わらない)を取り上げたものだが、これは私の分析に対する批判でも何でもない。はっきりいえば、篠原に対するたんなる「言いがかり」である。なんとも佐藤さんらしくない、低レベルな次元での批判に堕してしまっている。
佐藤さんは「素性を隠して言説を展開する」ことを問題にしているが、そもそも篠原は自分の「前歴」を進んで隠したことはない。「ポリタス」の著者略歴にも、大学をクビになったことは明記している。「懲役3年の執行猶予付き判決」については略歴に書きこんでいないが、そんなこと知事選の分析とは何の関係もないことだから、いちいち説明していない。興味のある読者がネットで調べれば30秒で分かることでもある。隠すまでもないことだ。
しかも篠原は、『季刊レポ』の第15号(2014年3月)に、「大学教授の獄中記~『おいら教授から犯罪者に転落しちゃった』の巻~」を寄稿している。いずれ大学との係争、裁判などの顛末についても一部始終書いてみたいと思っているが、教え子がまだ在籍し、友人が今も在職している上、大学との申し合わせもあるから、それについては遠慮しているだけだ。
むしろ、「外務省のラスプーチン」である佐藤さんのように獄中体験、裁判体験を売り物にしたいくらいだが、上に書いたような事情もあり、売り物に出来ないジレンマを抱えている。それに、佐藤さんのような「一流刑事被告人」とは、身分も扱いも違う「二流刑事被告人」だから、書いたとしても売れ行きはあまり望めない、という問題もある。
いずれにせよ、こんなことは、沖縄問題とはまるで関係がない。佐藤さんのモノの言い方は、読者に対して先入観を与え、拙論に対する評価を意図的に貶めようとする、悪意ある策動にすぎない。呆れるほど低レベルだ。何か原稿を書く度、その冒頭に「私は詐取事件の刑事被告人でした。懲役3年の執行猶予付き判決を受けております」とでも書けば、佐藤さんは満足するのだろうか。
同じコラムで、佐藤さんは、宮台真司さんと仲村清司さんの『これが沖縄の生きる道』(2014年10月刊)も槍玉に挙げているが、これも、佐藤さんの歴史に対する歪んだ見方と経済に対する無知をさらけだすに過ぎない、やはりレベルの低い批判だ。
「植民者の視線」「被植民者の視線」から解放され、アイデンティティーなるものに固執しない沖縄問題の決着を望んでいる、宮台さん、仲村さん、そして篠原のような論者に対する佐藤さんのこうした「侮辱」が、「沖縄VS日本」という構図の下、いたずらにヘイトスピーチを昂ぶらせることに、佐藤さんほどの賢人がどうして気づかないのだろうか。
まことにもって哀しいことである。