日本のシステム問う沖縄の「独立」構想(1996年・朝日新聞)
朝日新聞 1996 年 10 月 8 日(火)夕刊掲載
この秋で丸一年がたった沖縄問題は、県民投票をへて、国も沖縄県も互いに譲歩しあいながら、より具体的な基地縮小策を模索する段階に入った。だが、沖縄(あるいは県当局)の最終的な目標が「基地の全面返還」にとどまらないようだ。注目すべきは、日本の一地域にすぎない沖縄が、県民投票という示威行動を契機に、彼ら自身も、また日本のいかなる地域もこれまで経験したことのない、もっといえば、近代国家・日本が経験したことのない新しい歴史的局面を切り開こうとしている、という点なのである。
ここに『二十一世紀・沖縄のグランドデザイン』という報告書がある。今年の4月に沖縄県が作成した将来構想なのだが、驚いたことにそこには行政単位としての「県」という表現はほとんど見あたらない。未来の沖縄は、アメリカともアジア諸国とも日本とも等距離にある「国際都市OKINAWA」として描かれ、もはや「沖縄県」ではない。一方、「本土」はすべて「日本」と表現されている。まるで「日本をやめよう」と宣言しているのかのようだ。
【基地返還後にめざすもの】
誤解を恐れずにいえば、この構想は「沖縄独立宣言」の草稿なのである。実際、この構想の策定に関わった県の担当者からも、基地返還後の沖縄が目指すのはたんなる経済的自立などではなく、それ以上のもの(独立)という感触を得ている。
基地の跡地利用を見据えて沖縄県がとりまとめた『規制緩和等産業振興特別措置に関する要望書』(同8月)をみても、日本というシステムから離脱したいという彼らの意志が伝わってくる。たとえば「独自関税制度の導入」や外国人に対する「ノービザ制の拡充」といった要求項目がそれである。国の権限である関税権や出入国管理権の一部を沖縄に委ねるということは、一国二制度どころか国境の変更を意味している。これはまさに「独立」のための下地づくりを企図したものといってよい。
【集権的規制体系が邪魔に】
さらに、那覇空港のハブ化や那覇港のベースポート化といった要求の背景にも、香港やシンガポールといったフリーポートを参考にして創られたという「国際都市OKINAWA」構想、つまり独立国・沖縄のイメージがある。沖縄は、日本の枠内での特別扱いを求めているのではなく、あくまで日本の枠外においてほしいと主張しているのである。
要は、基地返還後に沖縄経済の自立化を図ろうとしても、強力な集権的規制体系を備えた日本というシステムが邪魔をしてうまくいきそうにないということなのである。ならば、いっそのこと琉球王朝時代を見習って、カネやモノやヒトの流れについて日本から自由な自立的経済圏を構築したらどうか、というのが一連のプランを発想した原点だろう。「アメリカ統治も散々だったが、日本復帰後もろくなことはなかった」という声さえ聴こえてきそうである。
【実現には障害や危険多く】
県当局のこうした構想を「薩摩侵攻以来初の本格的沖縄独立論」ともてはやすのはたやすいが、その実現にはあまりにも多くの障害が伴うだろう。たとえ沖縄が独立を勝ち得るとしても、その間に日本からの途方もない財政援助が必要となろう。アジア各国の資本と労働者が大量に流入し、沖縄の人々が主役の座から引きずりおろされる可能性も危惧されよう。むろん、外交や安全保障の問題もまったく手つかずである。
「自立」のための構想の中に見え隠れするこの「独立」については、まだ一般県民を含め広く論議される段階には至っていない。なによりも重大なのは、これが今後果たして県民全体の総意となるか、そして日本国民全体の承認を得られるかという点であろう。
もっとも、私たちはこうした構想を絵空事とばかりせせら笑ってはいられない。沖縄が提起したのは、日本の一地域として脇役に甘んずるか、独立して主役を張るかという主権をめぐる普遍的な問題だからだ。強力な集権システムと引き替えに多くを失ってきた日本の各地域にとっても、これはきわめて切実な問題である。
沖縄問題は、日本という国家、日本というシステムへの問いかけでもあるのだ。
1996 年 10 月 8 日