どんと追悼

ローザ・ルクセンブルク、ボ・ガンボスといった日本のロック史に残るバンドで活躍し、沖縄を拠点に楽しい音楽をつくりつづけていた“どんと”が、日本時間の1月28日早朝、滞在先のハワイで亡くなっ た。最初に連絡をくれたのはやちむんの奈須重樹。信じられなかったので、宝島の市川清師さんなど関係者に電話して確認してもらった。ほんとうのことだった。享年37歳。奇才の早すぎる死、相当なショックを受けている。

ローザ・ ルクセンブルクの時代からどんとには注目していたが、正直にいって何組かの注目アーティストのひとりといった程度の位置づけだった。ボ・ガンボスの音楽はセカンド・ライン好きだったぼくの趣味にはあっていたが、どんとのステージでのパフォーマンスにはあまり共感できなかった。昔のパンタの再来みたいでもあり、お洒落な江戸アケミみたいでもあり、いずれにせよ、パンクな革命家を自ら演出するようなメッセージはもうやめましょうよ、と進言したくなることもあった。

やがてどんとはよりにもよって沖縄に移住してしまった。

その頃の ぼくは『ハイサイ沖縄読本』という本を出していた。この本の第一部は沖縄のディープなカルチャーのガイドであり、第二部はシャレでつくった「沖縄移住の手引き」だった。第二部を読んで沖縄に移住した人が何十人かいるという噂を聴き、「沖縄を神聖視して沖縄にからめ取られてしまうのは問題だ。ぼくたちは沖縄のようなエスニシティの強い土地では一観光客以上のものにはけっしてなれない。沖縄移住はぼくたちの問題を解決しない」と自戒をこめた一文を地元紙や宝島などに発表した。このときはThe Boomを批判し、さらにどんとのことにも触れた。「沖縄移住がどんとの問題を解決するとは思えない」と。

時が経ち沖縄でどんとと会う機会が生まれた。浜辺の茶屋でのことだったと思う。ぼくはおそるおそる名乗りでた。

「初めまして。篠原といいます」
「えっ?篠原章さん?『ハイサイ沖縄読本』はぼくとチホの愛読書だったんですよ」

ぼくもヤワなオトコだ。この一言でどんとを認めてしまったのである。どんとの移住に対して呈した苦言もすっかり棚上げして。

楽屋裏のどんとは知的なエンターテイナーだった。で、ときどきピントのずれてしまうクレイジーなステージでのパフォーマンスも、すっかり許そうという気分になった。その時、数カ月後に予定された沖縄でのライヴに招待してくれたので、ぼくも招待に応えてわざわざ沖縄まで足を運んだ。どんととチホさんはものすごく喜 んでくれた。

以来、頻繁ではなかったが、心の通うやりとりをしてきたつもりだ。どんとの苦しみもよくわかるようになった。いつか一緒に本をつくりたいねなどという話もした。

どんとは沖縄で3枚のソロCDをリリースしている。一作目は、沖縄移住直後の作品で、案の定、沖縄という落とし穴にはまった、あまりいい作品とはいえなかったが、二作目、三作目はいずれも秀作。沖縄の呪縛が薄れ、とても楽しく聴けるロックンロール・アルバムに仕上がっていた。とくに二作目の『Deep  South』がいい。さすがどんとと感心した。音は稚拙だったが、ボ・ガンボス時代よりはるかにのびのびとしたどんとが聴ける。ボ・ガンボスをやめてほんとうによかったと思った。

今はどんとを失って、自分の未来の一部が消えたような気分だ。追悼の言葉もろくに思い浮かばない。ぼくがどんとと共有したかった未来、しばらくはそれを探してみようと思う。見つかったらカタチにしておくつもりだ。今のぼくにできることはそれぐらいしかない。

どんと、ありがとう。

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批評.COM  篠原章
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