那覇孔子廟 違憲訴訟をめぐる新展開—最高裁小法廷から大法廷へ

最高裁大法廷に回付

那覇市と久米人(くにんだ/琉球王朝時代に渡来した中国人)を祖に持つ人びとの血縁組織である一般社団法人久米崇聖(くめそうせい)会を被告とする孔子廟(久米至聖廟)違憲訴訟(上告審)が、最高裁大法廷で審理されることになった。

那覇市民である原告(金城テル氏/代理人:徳永信一弁護士)は、那覇市が久米崇聖会に市有地(松山公園の一部)を無償で貸与したことは、憲法に基づく政教分離の原則に違反しているとの主張で、那覇地裁(差し戻し審)、福岡高裁那覇支部とも、儒教の宗教性を認め、那覇市の行政処分(無償貸与)は違憲であり、久米崇聖会は賃料を支払えとの判決を下している。

この裁判は、孔子廟が竣工する前の2013年5月に公表した、「松山公園の崇聖会に対する貸与には疑問がある」「沖縄は未だに旧支配階層に支配されているのか」といった批評ドットコム(篠原)による問題提起から始まっている。この記事を読んだ那覇市民・金城テルさんが、大江・岩波訴訟で知られる徳永信一弁護士の手を借りて今回の訴訟を提起した。

問題の孔子廟(篠原撮影)

問題の孔子廟(篠原撮影)

裁判の焦点

裁判上、最大の問題は何かと言えば、宗教色が濃い血縁団体に公有地を無償で貸し出したことが、政教分離の原則(日本国憲法第20条・第89条)に抵触する可能性が強いという点である。つまり、公共団体である那覇市が特定の宗教を不当に優遇しているか否かが焦点だ。

被告の那覇市と久米崇聖会は、孔子廟は歴史文化遺産あるいは観光施設としての公共性を備えた施設であって、宗教施設とは見なせないから、那覇市による用地の無償貸与は合憲という立場だ。

原告(金城テル氏/徳永信一弁護士)は、同会が久米36姓の末裔であることが証明できる人びとのみで構成され、血縁者である女性の入会さえも拒否するクローズドな団体であることに加え、古式に則った祖霊崇拝の宗教的行事である釈奠祭礼を挙行するなど、その排他性と宗教性は否定できず、用地の無償貸与は公共性がないから違憲である、という立場だ。

被告、原告とも、福岡高裁那覇支部による2019年4月の違憲判決を不服として最高裁に上告していたが(原告の上告の理由は高裁判決が賃料を算定しなかった点)、審理を進める最高裁第3小法廷(裁判官6名)は、違憲合憲の憲法判断を下す最高裁大法廷(最高裁長官が裁判長/最高裁判事全員15名で構成)にその判断を委ねることとした。大法廷の裁判長は通例最高裁長官が務める。

今後大法廷はあらたな弁論の機会を設けた上で、前例を参考にするかぎり、おそらく1年程度で判断を下すと思われる。

原告の金城テルさんは「忍び寄る中国の影」を懸念してこの訴訟を提起したが、今や問題は「孔子廟は違憲か合憲か」を問う憲法判断へと移行している。

大法廷で原告が勝訴するなら、祖霊崇拝を伴う儒教は宗教であり、孔子廟は違憲、したがって被告である那覇市は、久米崇聖会から相応の賃料を徴収しなければらなない。政教分離の原則は儒教といえども免れないという判例がつくられる。

被告が勝訴するなら、儒教の宗教性は否定され、祖霊崇拝の場である孔子廟も合憲となって、那覇市は現行通り市有地を崇聖会に対して無償で貸与できる。ただし、被告勝訴の場合、祖霊崇拝を旨とする靖国神社という存在も合憲としなければ整合性は保たれない。つまり、しばしば高裁段階まで争われているにもかかわらず、未だに最高裁の判断が下されていない首相の靖国神社参拝や玉串料に対する公金の支出などの問題に、最高裁が決着を付ける礎となる可能性がある。いずれにせよ、最高裁による孔子廟をめぐる憲法判断は、憲法史のなかでもきわめて重要な位置づけを得ることになる。

4,200万円に上る利益供与

ぼくが問題視するのは、久米崇聖会の奉る儒教の宗教性だけではなく、同会が特権的に得ている経済的権益の規模(投入されている公金の額)の大きさである。那覇地裁の判決(差し戻し審)によれば、賃料は月額約45万円(1日あたり約1万6千円)と算定される。孔子廟が開廟してから7年2か月だから、これまで崇聖会が得た利益は約4,200万円と算定される。形式的に言えば、これだけの市費と国費(もともとは市有地ではなく国有地)が崇聖会という民間団体に供与されたことになる。

事務所棟(明倫堂)が併設され、市の負担で隣地には「文化教育施設」が設置されているが、この文化教育施設に入居しているのは事実上民間経営のレストランだけである(賃料は有償)。つまり、「公共性がある」といえるのは明倫堂のトイレぐらいだ。そのトイレももっぱら関係者が利用するだけで、一般の利用者は1日に数組だろう。

過去の判例を点検すると、「公共性」が「宗教性」に優る場合の公金の支出(土地の無償貸与・譲渡を含む)は合憲、「宗教性」が「公共性」に優る場合の公金の支出は違憲となっている事例が多い。後者は宗教の存続に公共団体が力を貸していると見なされるている(目的効果基準)。

孔子廟の公共性と宗教性

本土の場合の儒教は、国民の精神性や思想性に影響を与えているものの、宗教と見なされる要素は少ない。日本全国にあるほとんどすべての孔子廟は、学校(儒教を学ぶ場所)に併設されたものだ。歴史的にも「学」が主であって、「神」(孔子などの祖霊崇拝)は従である。本土のほとんどの孔子廟は学問の場としての公共性を備えてきた歴史文化遺産と見なしてよいだろう。

たとえば、東京の孔子廟である湯島聖堂は、江戸時代は幕府が所有・運営してきたが、明治以降は民間団体・斯文会(斯文学会)の所有の私的施設となった。現在は、その歴史的価値が認められ、湯島聖堂は斯文会から国に所有権は移っており、斯文会が管理運営を任されている。孔子祭(釈奠祭礼)も行われているが、論語講読と儒教研究者の講演が主たる行事だ。「神事」も挙行されるが、古式に則ったものではなく、近隣の神田神社の神職に依頼して祝詞をあげてもらう簡便なもの(地鎮祭のような一般的な習俗に根ざしたもの)である。

湯島聖堂(同施設ホームページより)

長崎にある孔子廟は、在日華僑と台湾政府(中華民国)の資金で造営された中国式の本格的なもので、日本政府あるいは自治体の公金は投入されていない。土地の所有権も在日華僑にある。管理運営費も在日華僑の負担である。釈奠祭礼は古式に則ったもので、その宗教性は強いが、民間団体による宗教行事であって公金とは無関係だから問題はない。

長崎孔子廟(同施設ホームページより)

沖縄の場合事情は異なり、孔子廟は学問の場として設置されたものではない。久米36姓の信仰の場として設けられたものであった。後になって明倫堂という名の学校が併設され、学問の場としても利用されるようになったが、やがて琉球王府があらたに設置した学校である「国学」に学問の場としての機能を奪われた。久米孔子廟の機能として残されたのは信仰の場としての機能であった。那覇市と崇聖会は「孔子廟の設置管理運営の大元をたどれば琉球王朝であり、本土と同じように学問の場であった。したがって歴史文化遺産である」との姿勢をとるが、設置場所も建築様式も本来のものとは異なり、「歴史文化遺産」の主張は説得力に乏しい。

以上のように久米孔子廟の宗教性はやはり否定できない。歴史的な経緯や釈奠祭礼のあり方を見ても、祖霊崇拝の場であるという本質は隠しきれないと思う。そうした施設に4,200万円相当の公的資源を投入してきた現状は、やはり正すべきではないだろうか。

篠原の問題提起をしてから7年が経ち、最高裁大法廷で審理されることが決まりました。
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批評.COM  篠原章
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