「森辞任」で溜飲を下げる人びとの頓珍漢

「女性差別発言」の森喜朗東京五輪・パラリンピック組織委員会委員長(元首相)は、以前からずいぶん嫌われていたようだ。「森辞めろ」ムーブメントは属人的な嫌悪の情もたっぷり吸収して想像以上に膨張し、ついには森氏を辞任に追いこんだ。たしかに森発言は「女性差別的」に聞こえるが、半ばヒステリックに「辞任要求」を叫びつづけた人びとの姿勢にも疑念を抱かざるをえない。率直に言うと「しっくりこない」というのが本音である。森発言の背後にある本質的な問題が覆い隠されてしまっているからだ。

個人的な経験からいえば「女性がメンバーに入ると会議が長引く」のは真理の一つである。ただ、女性がお喋りでいたずら会議を長引かせているのではなく、男性中心社会のなかでは問題にならなかったことが、女性の視点からは問題に見えることが多いからだと思う。要するに女性は、男性社会が気づかなかったことや軽視してきた根本的なことがらについて指摘し、問題提起する能力があるということだ。男性中心社会の弊害が取り除かれ、真の意味での男女平等が実現すれば、会議が長引くことはなくなる。現に、そうしたステップを乗り越え、次のステップに進んでいる組織では「女性が会議を長引かせる」ようなことは起こらない。

最大の女性差別は男女の給与格差だ。会議云々の議論ははっきりいってどうでもよい。「女性を大事にしています。戦力です」といっている会社の経営者が、女性社員に対して男性社員の給与の7割程度しか払っていなかったりする現実のほうがはるかに深刻だと思う。森さんよりずっと悪質だ。制度的に保証されているはずの「男女平等」に現実が追いついていない。給与格差の是正こそ、女性差別の解消に繋がる最善の道だと思う。給与が同等なら、責任や負担についても男女平等が実現する。ついでにいえば会議が長引くこともなくなる。

差別的な発言をした者の言葉尻を徹底追及するやり方は、事の本質をはぐらかすだけだ。言葉尻を捉えるなら、女を三つ書いて「姦(かしま)しい」と読ませることだって大問題だ。強姦・姦淫の「姦」の字じゃないか。「男らしい」「女らしい」という表現はどうする?「美人薄命」だって失礼千万だし、エリザベス「女王」、「女帝」エカテリーナなんて放送禁止用語にすべきじゃないか? と、いろいろある。言葉や表現は大切だが、そこが最大の問題ではない。制度的な平等や公平を皆がしっかり守ることが何より大切だ。

「森辞任」で溜飲を下げているようでは、この国の女性差別は増えることはあってもけっして減りはしない。

批評.COM  篠原章
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