レココレ3月号「アルファレコード特集」こぼれ話
『レコード・コレクターズ』 2021年 3月号の「アルファレコード」特集は、誌面で取り上げた120タイトル余の選盤、アルファレコード前史、シティ・ポップ概要、ロック概要を担当しました。アルファはメジャーとは言えませんが、そこがまたいい。メジャーに果敢に挑戦したレーベルとして歴史に残ると思います。
アルファの創設者・村井邦彦さんや、アルファのもうひとつの顔、村井さんの盟友である川添象郎さんのこれまでの活動については、2年ほど前からいろいろ調べています。今回の原稿にはあまり反映していませんが、彼らの足跡を日本のポップカルチャー史のなかにいずれ正しく位置づけたいと思っています。
村井さんは、在学していた慶應義塾大学のビッグ・バンド・サークル「ライト・ミュージック・ソサイェティ」(これが正しい表記のようです)の先輩の助けもあり、学生時代の1966年に赤坂にレコード屋「ドレミ商会」をオープンしたのが業界入りのきっかけでした。この店はサンバやタンゴといった南米モノの輸入盤屋だったようです。最近になって気づいたんですが、ぼくはその店を見たことがある。小学生の時、赤坂の「花馬車」というナイトクラブの入ったビルの1階にアメリカンファーマシー(日本におけるドラッグストアの草分け)みたいなお店があったんです。ハーシーやリグレーも売っている輸入雑貨店。両親に連れられてその店に入ったら、レコード・コーナーがあってレコードを売っていた。その店が村井さんの店だったんですね(後に飯田橋に移転)。まだGSなど歌謡曲のヒット作家になる前のことで、村井邦彦なんてまだ誰も知らない時代のことです。
その後、村井さんは作家としてテンプターズ「エメラルドの伝説」など数々のヒットを放った後、69年に音楽出版社としてアルファミュージックを起ち上げ、赤い鳥をデビューさせました。会社としての経営的基盤は「学生街の喫茶店」で知られるガロのマッシュルーム(コロムビア)からのリリース、荒井由美との作家契約などによって形づくられました。78年に設立されたアルファレコードの最初のビッグスターはサーカス、その後YMOが世界的にブレイクしました。YMOが売れてまもなく、アメリカでもYMOや日本のポップスやロックを大々的に売ろうとアルファ・アメリカを設立しましたが、これは上手くいかなかった。YMOはミュージシャンズ・ミュージシャンみたいな位置づけで英米でも有名だったのですが、日本以外でのチャートアクションは限定的で、ビジネスとしては失敗でした。でも、村井さんが70年代・80年代の「新しいこと」「新しい音楽」の樹形図のいちばん上のほうにくることは間違いないでしょう。
おもしろいのは川添さんです。村井さんとタッグを組むようなる前の時期ですが、川添さんは60年頃からパリやニューヨークに「遊学」していたようです。その時代に海外での「遊学」を許された日本人なんてほんのひと握りです。外貨の持ち出し制限500ドルの時代ですから。その川添さんがNYにいたころ、フランコ独裁から逃れたスペインのミュージシャンがヴィレッジあたりにたくさん住んでいて、川添さんはフラメンコの伝説的なギタリスト、サビーカスの押しかけ弟子になってギターを学んだとのこと。これだけでもすごいエピソードですが、川添さんのギターの弟子がなんとホセ・フェリシアーノ。当時のヴィレッジってそんなことが普通にあったんでしょうが、それにしてもものすごい話です。
冒頭に書いたアルファのポップカルチャー史上における位置づけにはまだ時間がかかりそうですが、今回のアルファレコード特集に関わり、いままでにない示唆をたくさん受けました。おもしろい特集ですのでご一読ください。