密林の秘境・オーシッタイ(1)

「オーシッタイ」という場所をご存知だろうか。沖縄本島で最後に電気が通じた「辺境の地」として知られる一集落の通称だ。名護市源河(げんか)の奥深き密林のなかにある。

オーシッタイの位置

2日間にわたる高江取材を終えたある日。難行苦行から解き放たれた僕は、少しばかり軽やかな気持ちでハンドルを握った。こんなとき県道70号線から国道58号線に出て、本島西海岸を南下するありきたりの進路を取ってはいけない。東海岸に沿って山間をうねうねと縫う国道331号線を走ることにした。時間はかかるが、この道のりならキャンプ・シュワブ(辺野古)のゲート前も通ることができる。

331を南に向かって車を駆っていると、東村有銘(あるめ)付近で県道14号線との交差点が現れた。ここを右に曲がって途中林道に入れば「オーシッタイ」に出る。「オーシッタイ」を漢字で書けば「大湿帯」だ。鰐(ワニ)が出るか蛇が出るか、といった趣のある地名だから、これまでも心を惹かれてきたが、残念なことに僕にとって未踏の地だ。那覇には日没までに到着すればいい。だが、未知の「オーシッタイ」でとんでもない魔物に取り憑かれないとも限らない。そうなれば今夜の予定はメチャクチャだ。

「ええい、ままよ」 僕はハンドルを右に切った。

すれ違う車もない14号線を5分も走ると、「オーシッタイ ここから3.5キロ」という手書きの表示板のある林道の入口に出くわした。魔境に迷いこむ気分で林道に入る。密林を強引に切り拓いたような道だから、薄暗く道幅も狭い。車二台がすれ違うことなど到底不可能だ。行く手を遮るように生い茂る亜熱帯の草木をかき分けながらアクセルをゆっくり踏みこむ。この手の林道では、所々に設けられた待避所を記憶に刻んでおくことが肝心だ。前方から車が来たら直近の待避所まで後退しなければならない。林道は数箇所で枝別れしていたが、分岐点には「オーシッタイまで●キロ」という表示板、おかげで迷うことなく集落の入口と思しきところに辿り着くことができた。群馬や山梨の山中なら珍しくもない林道だが、思ったより消耗は激しかった。県道から30分以上走ったつもりだったが、時計を見るとまだ10分程度しか経っていない。

表示板しゃしくまーる

集落の入口に「しゃし☆くま~る」があることは知っていた。ネットで「オーシッタイ」と検索すれば、この「しゃし☆くま〜る」と地元紙の記事をきっかけに有名になった梅並木のことが真っ先に出てくる。「しゃし☆くま~る」はヒンディー語で「月の男の子」すなわち釈迦を指す言葉だという。密林のなかに佇むこぢんまりしたカフェだが、果たして僕は歓迎される客なのだろうか。

全長15センチはあろうかと思われる、軒下の巨大な蜘蛛を避けながら恐る恐る玄関をくぐる。店内は東南アジア風あるいは南アジア風の民具で溢れ、土間には手作りの木製テーブルとチェアが並んでいるが、人の気配はない。不安になるが、耳を澄ますと店の奥の方から、鰐でもない蛇でもない、人の話し声が聞こえてくる。ホッとして「こんにちは」と声をかける。その途端会話は途切れ、「あ、いらっしゃいませ」といいながら、僕よりもいくらか年輩の女性が上がりかまちのところまで出てきた。後ろには20代後半の男性もいる。

「すみません。お茶を頂きたいのですが」

「どうぞどうぞ。そこにメニューがありますから、ご覧になってください」

「コーヒー 無農薬・有機栽培・フェアトレード」「紅茶ーEM栽培・無農薬・沖縄県産べにふうき100%」「すももジュース 国内産濃縮100%」といったメニューが並んでいる。いかにもこのカフェに相応しいメニューばかりだ。昼も過ぎて小腹が空いてきたところだったので、「手作りケーキ・セット」を注文し、島バナナのケーキとコーヒーを選んだ。

ケーキセットが来るまで店内をうろうろ歩き回った。といってもテーブルのある土間部分は十畳敷き程度の広さだ。「しゃし☆くま~る」のご家族は養蜂も営んでいるらしく(蜜蜂ファームときわ)、瓶入りのはちみつも置かれていた。商品の中にはラオスの民芸品もあったが、同じテーブルに並んでいた『オーシッタイ自治会30年史』という小冊子が気になった。冊子を開いてみると、そこには簡単な年表と1983年以降2011年までの各年「10大ニュース」が収録されていた。この小冊子から読み取れるのはおよそ以下のような事実である。

オーシッタイ30年史

1894年   最初の入植(3名)
1910ー45年 集落最盛期
1945ー71年 集落衰退・過疎化期
1972年   事実上の廃村状態に(崎山朝吉氏のみ在住)
1973ー77年 他村・他集落から通いながら、集落の再建に挑戦する人たちが出現
1977年   共同作業で「おおみどり橋」を架橋
※以後、平良熱帯果樹園、やんばる共同農場など造成
1980年    大宜味村から通っていた上山氏夫妻が転居/オーシッタイ自治会の結成
1982年   沖縄電力、NTT、名護市などと交渉の末、電気と電話が開通
※市水道などは現在もなし。高低差を利用して引いた川の水で代用
1988年   主要農道の舗装工事完工/「梅の里」づくりに着手
1989年   源河=有銘林道の舗装工事完工
1990年   舗装農道(オーシッタイ=底仁屋)完工
1991年   第1回オーシッタイ20キロマラソン開催
※マラソンは2010年まで計20回開催して終了
2000年   初のインターネット導入
2010年   光ケーブル工事決定

10大ニュースはときとして「12大ニュース」「17大ニュース」となることもあるが、住民や研修生の転入転出や家族構成の変化、結婚、死亡、子弟の学校入学やスポーツ大会への参加、住民の受賞・出品など、手触り感の強いニュースに加えて、災害や事故、産廃処分場建や団地造成、助成金の受給、辺野古移設に関する情報なども幅広く網羅されていてとても興味深い。

そうこうするうちに、注文したコーヒーとケーキが運ばれてきた。

「お待たせしました。ケーキにはぜひ蜂蜜をかけて召し上がってくださいね」

「ありがとうございます。こちらは養蜂もやっておられるのですね。オーシッタイには養蜂家が多いんですか?」

「いえいえ。そんなことはないんですよ。養蜂は2〜3軒でしょうか。全部で14世帯ほどあるんですが、果樹や野菜の生産農家もありますし、藍染め工房、陶芸家の方もいらっしゃいます」

「農業と工芸の村なんですね。あとで散策してみようと思うんですが、お店の前の道を歩いて行けば、農園や工房があるってことですか?」

「そうですね。そこがメインストリートになります。ただ、ここはたんなる集落で、名所のようなものがあるわけじゃありませんし、住民の方も外部の人たちをとくに歓迎しているわけじゃないんですよ。そのつもりで歩いてくださいね」

挽きたてのコーヒーはほんのり甘く、甘味を抑えたバナナケーキは意外なほどさっぱりしている。洗練された「やんばるの味」だ。ネットや『オーシッタイ自治会30年史』を後から調べてわかったことだが、「しゃし☆くま~る」と蜜蜂ファームときわを経営されているのは静岡県出身の常盤さんご一家。お店にいたのは奥様とご子息だろう。「10大ニュース」によれば、常盤家が転居してきたのは1994年、「しゃし☆くま~る」の開店はその2年後だ。蜜蜂ファームの開業は2007年となっていたが、ご子息のオランダ留学もこの年の10大ニュースのひとつだった。

密林の秘境・オーシッタイ(2) に続く)

批評.COM  篠原章
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