追悼・谷川俊太郎 「ごあいさつ」と「ワイセツについて」

ぼくに現代詩というものを教えてくれたのは、高田渡の名盤『ごあいさつ』(1971年/キング)だった。前作(デビュー・アルバム)『汽車が田舎を通るその時』(1969年/URC)は、すべて自作詞で構成されていたが、日本やアメリカの詩人の作品を引用して、オリジナル・ソングに仕立てあげてしまった『ごあいさつ』には随分驚いた記憶がある(むろん自作詞もある)。

このアルバムのA面1曲目は♬どうも どうも やぁどうも♬で始まるタイトル・チューン「ごあいさつ」。11月13日に亡くなった谷川俊太郎の詩集『落首九十九』(1964年)に収録されている詩篇が出典である。

ぼくらが子どものに歌っていたフジテレビのアニメ『鉄腕アトム』(1963年〜)の主題歌の歌詞を書いた谷川俊太郎と「ごあいさつ」の谷川俊太郎が同一人物だと知るのに大した時間はかからなかった。

その後、中学、高校、大学と谷川俊太郎の詩集を読み漁ったが、他の現代詩の詩人とはまるで作風が異なり、誰でもわかる平易な言葉を使って、奥行きの深い世界を表現するその技法には舌を巻いた。
いまでも記憶に深く刻まれているのは「ワイセツについて」という作品。

どんなエロ映画も
愛し合う夫婦ほどワイセツにはなり得ない
愛が人間のものならば
ワイセツもまた人間のものだ
ロレンスが ミラーが ロダンが
ピカソが 歌麿が 万葉の歌人達が
ワイセツを恐れた事があったろうか
 

この作品を知った頃、作家の野坂昭如が編集長を務めていたミニコミ誌『面白半分』に、永井荷風の作と伝えられる春本『四畳半襖の下張』が再録され、物議を醸したことがあった。警視庁に猥褻文書として摘発されたのだ。野坂と発行人が起訴されたが、最高裁まで進み、結果的に「猥褻」と認定されてしまった。

「四畳半襖の下張」事件の前後だったと思うが、杉並と思しき自宅の縁側で撮った谷川夫妻の写真を、雑誌か本でたまたま見た(当時の谷川夫人は女優の大久保知子だったと思う)。60年代後半の真夏に撮影された写真らしく、夫人は普段着らしきノースリーブの涼しげなワンピースを着て縁側に座っていたが、その写真を見た途端、まだハナタレ小僧の域を出ていないぼくの頭のなかに、「愛し合う夫婦ほどワイセツにはなり得ない」という一節が鳴り響いた。

夫婦のイトナミを想像したのではない。まるでその反対である。「この涼やかな、いかにも生活感の薄い女性が谷川さんのご飯を作ってるんだ!」と驚き、谷川俊太郎の「ワイセツ観」にすっかり憧れてしまった。

それ以来「谷川夫婦像」を追求する日々がつづいた。

が、幸か不幸か、いまだに涼しげなワンピースがよく似合う、生活感の薄い伴侶には巡り会えていない。求めたことがぼくの器を超えていたのか、それともぼくの日々の行いが悪かったのか…巡り会えなかった原因はよくわからない。

谷川さん、安らかにお休みください。

批評.COM  篠原章
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket