『リテラ』の椎名林檎批判に見るメディアの劣化

『リテラ』って、世界認識に乏しく、表層的な知性主義に焦がれた方々がうごめいているサイトだというのがぼくの評価です。最近では、つるの剛士、百田尚樹が「私人」(個人)として自説を述べることにかみつくのが「ジャーナリズム」だと思いこんでいるところが、なんとも貧しい。日本の「知の貧困」を体現するかのようなネット論壇を形成しようという「意欲」には呆れてしまいます。100年後はおろか、10年後には壊滅するような思想の普及に血道を上げているわけです。

で、その『リテラ』が、椎名林檎が自民党の文化伝統調査会という会合で、「日本文化は世界の最新トレンド」といった内容の講演をしたことを強く非難していました。見出しは「椎名林檎のウヨ化が止まらない」。『リテラ』によれば、自民党の文化伝統調査会は「日本会議の巣窟」なんだそうです。

「日本文化は世界の最新トレンド」という椎名林檎の主張は間違っている、と批判するならわかります。ぼくも「最新」などと思ったりしていません。日本の表現者たちの中には、ユニークなアーティストがたくさんいるとは思いますが、それを「官製文化」に仕立て上げ、輸出しようという動きには疑問を持っています。

ただ、そうしたやり方は、自民党とか日本会議云々の問題ではなく、官僚主義や補助金行政に対する批判として取り上げるべきでしょう。民進党や共産党が政権を担っても、同じことは十分起こりますからね。

ところが『リテラ』は、「椎名林檎は安倍政権の協力者」といいたいばかりに、彼女の主張やクールジャパン的な官製文化観にはほとんど触れないまま、「日本会議と椎名林檎は蜜月」というどうでもいいことばかり強調しています。

椎名林檎が登場し、人気が沸騰していた頃(2000年)、批評家・平井玄さんも同席した早稲田大学の講演会で「椎名林檎には復古的な天皇制の臭いがする」としゃべりましたし、その講演会を主催した吉田大介さんが編集したミニコミ『チョイプレ』(Choice & Place)にも同様の趣旨の評論を掲載しました。「カウンターカルチャーとしてのポジション」や「思想的な高邁さ」をかなぐり捨てような椎名林檎のラディカリズムには敬服しましたが、好き嫌いでいえば好きではありません。僕はそれを椎名林檎独自の「ビジネスモデル」だと思っています。ですから、僕は椎名林檎の批判者です。誰も椎名林檎に関する原稿を依頼してくれないから、有力メディアにちゃんと発表したことはありませんが。

そんな僕ですが、リオ五輪閉会式の椎名林檎の演出力には脱帽しました。とくに不協和音で構成した「君が代」には心を奪われました。「君が代」に「文化的価値の多様性」に対する畏敬の念を込めていると感じたからです。並みのアーティストではけっしてできない「偉業」です。戦前・戦中・戦後の豊饒さと貧しさのすべてを認めた上で未来を指向する演出だと思いました。「伝統的な日本の文化的価値」に対するネガティブな思想も含んでいました。別の面から見れば、「万世一系の天皇制の下に統一された日本イメージ」を否定したともいえます。

僕は、それこそ右翼、正統的なクラシック音楽家、邦楽界などから猛烈な批判が来ると思いました。そしていわゆる「リベラル」や「左翼」から大絶賛されると思いました。

ふたを開けてみれば、右寄りといわれる人たちは大人しく「よかったね」といい、左寄りの人たちは、安倍政権下で「君が代」を取り上げる仕事をしたというだけで「右翼化」というレッテルを貼り、椎名林檎を激しくなじりました。

まるで逆じゃん。

いわゆる左寄りの人たちは、何も見ていない、何も聞いていない。椎名林檎を批判する資格もなければ、文化を語る資格もない。彼らには政治も文化も語る能力がないことがすっかり露呈したと思っています。

『リテラ』は、左寄りの人びとの劣化の現状を見事に象徴するサイトだと思います。「よくやった」と褒めてあげたいくらいです。

批評.COM  篠原章
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