オスプレイと787〜絶頂期を迎えた沖縄のマキャベリズム

1.ぼくが航空会社オタクだった頃

 ぼくはかつて航空会社オタクで、大学生の頃から JALネットに参加し、自宅からパソコン通信(当時はインターネットはなかった)でフライトを予約するのが「趣味」だった。「趣味」だったと書いたのには 理由がある。当時は、正規の格安運賃はほとんどなかったから、予約した記録は直前でも取消料なしでキャンセルできた。JALネットは主要航空会社をカバー していたので、「来週はウィーン・カイロ経由でナイロビまで行き、ヨハネスブルクを目的地に設定しよう。帰りはボンベイ・カルカッタを経由して、バンコッ クでもストップオーバー。バンコックからサムイ往復もオプションでつけ、香港・那覇経由で羽田に戻ろう」なんていうちょっと複雑な旅程を考えたあげく、予 約を実行するのが楽しみだった。主要航空会社が加盟する業界団体・IATAのマニュアルを手元に置き、運賃の計算も一通りやってみるのだが(これが結構難 しい)、実際に搭乗することはない。直前にキャンセルするのである。これが楽しくてしょうがなかった。何度徹夜を繰り返したことか。

 思えば、JALネットを使った自宅からの予約で飛行 機に乗ったことは一度もなかった。実際に旅をするときは、当時、新橋あたりにあった怪しげな旅行代理店(それも中国人が経営する会社ばかり)を歩いて、い ちばん安い航空会社のいちばん安い便を選んだ。バルク発券で、団体旅行用のチケットを横流しして貰うのである。違法ではなかったが、法律すれすれだったと 思う。実際に搭乗する前に、航空会社の友人に電話して若干の「お礼」を約束すれば、ビジネスクラスに無料でアップグレードされた。このアップグレードは航 空会社を問わなかった。たとえば、ANAのアップグレードをキャセイの友人に頼むこともできた。

 インターネットの普及に伴ってJALネットはなくな り、航空便の予約は、旅行代理店などに設置されている航空会社グループ毎の予約端末を操作しなければできなくなったから、「趣味の予約」の楽しみは奪われ てしまった。規制緩和で航空料金も安くなったので、怪しげな旅行代理店に足を運ぶスリルもなくなった。航空会社の内規も厳しくなり、個人的な関係での無料 アップグレードも遠い昔の話になってしまった。つまらん時代になったもんだ。

2.787:長期化するの事故原因の究明

 おっと。こんなどうでもいい思い出話に花を咲かせている場合ではない。今日の主テーマはボーイング787である。

 ボーイング787はもちろんボーイング社の最新鋭機 である。徹底した軽量化とデジタル化により、中型機としては前例のないほど航続距離が長く、短中距離はもちろん、大型機では採算がとれなかった長距離の路 線もカバーできる航空機として次世代航空機の主力になるといわれている。

 トータルで850機近くの受注があるというが、航空 機リース業のILFC社を除けばいちばんの発注先はANAで66機。これにカンタス50機、ユナイテッド50機、JAL45機が続く。1機体当たりの平均 価格は787-8という標準機種で1億8500万米ドル、787-9というロングボディタイプは2億2000万ドル。単純平均で1機体2億ドルとすると、 1米ドル90円換算で180億円。ANAは2021年度までに66機を導入する予定だから、1兆2000億円近くの投資額になる。45機のJALの投資額 は8100億円。両社併せて2兆円という金額になる。部品の35%は日本企業が製造しているとのことだから(ボーイング社自身の部品比率と同じであるとい われる)、日本企業の売上げもバカにならないだろう。今回の一連の事故で問題視されているリチウム・イオン・バッテリーも国産で、GSバッテリー(ジーエ ス・ユアサ・コーポレーション)製造品である。

 種々の情報を整理すると、電気系統そのものに問題が あり、バッテリーの不良が事故の直接的な原因ではなさそうだが、いずれにせよ事故原因の究明にはまだまだ時間がかかることは間違いない。原因究明とその対 策が長期化すれば、787を主力と決め、すでに17機を導入しているANAに対する影響は大きく(JALは7機を導入済。納入された787の約半数が ANAとJALの保有機である)、ヘタをすれば、経営問題になりかねない。機体の生産も止まるだろうから、部品を供給する日本企業の業績にも響く。すで に、ANAだけでなく部品供給企業の株価にも影響が出始めている。

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3.ネット上で指摘される787の危険性

 一方で、787は効率や製造企業のリスクの分散を重視してつくられているため、航空機史上もっともクズな旅客機だという評価もある。ネット上では以下のような指摘が散見される。

・従来はボーイングが詳細な設計書を描いて下請けに生産を依頼していたが、787の場合、予算節約のため、設計工程の段階から下請けに丸投げ(アウトソーシング)されているから、ボーイング社自身が設計上の責任を放棄している。

・アウトソーシングは、設計をボーイング社が一元管理できていないということも意味する。

・下請けの中には受注してから初めて設計部門を起ち上げた会社すらある。

・各社の製造したモジュールをボーイング社のシアトル工場で組み立てているだけだから、モジュール間の整合性が十分とれていない。

 こうした指摘を読むと、今回の問題が解決したとして も、787などおそろしくて搭乗する気分にはなれない。旅客機の場合、ひとたび墜落事故でも起こせば、オスプレイどころの騒ぎではない。国民的・国際的な 大問題になる。だから、「787導入反対運動」が起きてもおかしくはないはずだが、その可能性はきわめて薄い。解決が長引いたとしても、最終的には「最新 鋭の航空機とはそういうものさ。原因を究明して、対策を講ずればいい」という話に皆が納得してしまうはずだ。787は何事もなかったかのように飛び続ける だろう。別言すれば、オスプレイよりもボーイング787のほうが信頼されているということだ。

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4.787反対運動はなぜ起こらないのか

 だが、どうにも釈然としない。なにしろオスプレイの 製造元は、787と同じボーイング社である。正確にいえば、オスプレイは「ベルヘリコプター」(ベル・ヘリコプター・テキストロン)とボーイング社の持株 会社でありヘリ製造管理部門でもある「ボーイング・ロータークラフト・システムズ」が共同開発した“最新鋭機”である。いずれにせよ製造元は同じ。「効率 と経費削減ばかりを強調する」と批判されることも多い軍事企業・ボーイング社である。787もオスプレイも、それぞれ500機以上は売りつづけないと、高 額に膨らんだ開発コストをカバーできないといわれる。多少の欠陥があっても強引に売られつづける可能性が高いというわけだ。これが正しいとすればずいぶん おっかない話ではある。

 そもそも、日本で危険が顕在化していないオスプレイには反対するのに、日本で危険が顕在化している787には反対しないのはおかしいではないか、といいたくなってしまう。787導入反対運動のほうがより優先順位が高くてもおかしくはない。どうでもいい問題だという気もするが、その理由をマジメに考えてみたい。

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2013年1月9日付け『琉球新報WEB版』(上記画像参照)によれば、2013年度沖縄振 興予算3000億円という仲井眞知事の要求を安倍政権は“言い値”で受け入れるらしい。満額回答だ。現在の関心は、「那覇空港の拡張」に十分な予算が付く かどうかという局面に移行している。要するに上乗せ分の大型公共事業が獲得できるかどうかが沖縄の補助金集金システムの課題なのだ。おそらくそれも最終的 に“言い値”で認められることになるだろう。沖縄の“特別扱い”、すなわち沖縄の補助金漬け体質は、2013年度もつづくのである。予想されたことだが、 沖縄の自立はまた一歩遠のいたといっていいだろう。が、今回はこの補助金体質そのものがテーマでない。

 問題は、沖縄の政治指導者はオスプレイには大反対だが、787については事実上「大歓迎」という点だ。

 上記の記事によれば、「那覇空港の拡張」(滑走路増設)も「オスプレイ反対」と同様「県民の総意」だと仲井眞さんはいっている。ほーっ、 そういうことだったのか。今さらびっくりはしないが、これは露骨だ。「新規の大規模公共事業」をはっきり要求している。「基地問題はとりあえず置いとい て、お金の話をしましょう」といっているに等しい。左手で基地問題をしっかりと握りしめながら後ろ手に隠し、右手を振り上げてお金を要求しているという構 図だ。

 那覇空港が過密なのは知っているが、その拡張が「県民の総意」という話は初耳だ。夏期などのピーク時の旅客数をさらに伸ばすために、空港拡張が必要だという要請は5年ほど前からあるが、沖縄県民は空港が狭いことでそれほどまでに困窮しているのだろうか。

 いやいや、もっと勘ぐってみよう。仲井眞さんは沖縄の土建業界が困窮している点を捉えて「県民の総意」と主張しているのだ。これを露骨といわずして何を露骨というのか。

 なにしろ那覇空港の拡張整備には2000億円からの お金が動く。拡張後の増便などによる経済効果は年間100億〜350億の範囲といわれるが、これは水物だ。観光業界の景況はさまざまな要因に左右されるか ら、観光に関わる経済効果の事前予想などアテにはできない。これに対して空港拡張に伴う2000億円の土木建設経費は「確実」に落ちるお金である。仲井眞 さんや“沖縄独立派”の那覇市長・翁長さんがアテにしているのは、まさにこの2000億円だ(翁長さんは朝日新聞紙上で「補助金なんていらん、沖縄は独立 する」といいながら、那覇空港拡張のための補助金はほしくてたまらないのだ。が、その点は今は不問にしておく)。しかも、政府は「工期7年間で2000 億」と考えているが、沖縄県は「工期5年で2000億」という要求を掲げている。なんじゃい、それ。

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 実は今年3月の新石垣空港が開港する。これは八重山 地方の人たちにとって慶事だ。常識的に考えれば観光客は増加するだろう。古い石垣空港の、なんともいえぬ田舎風へのノスタルジーはあるが、滑走路長 2000メートルの新空港なら、問題の787も離発着できる(ANAの国際線仕様787なら余裕で離発着・国内線仕様ならギリギリ離発着)。旧空港では小 型機の737(標準タイプで輸送人員130人程度)しか離発着できなかったことを考えれば、羽田や関西から1便で2倍の観光客(国内線タイプで250人程 度)を直行で輸送できる787は魅力だ。順当に行けば実質運賃も下がるだろう。東京ライクな沖縄本島に飽き足らない観光客が、これまでより気軽に、しかも 那覇に立ち寄らずに石垣を旅することができるようになる。

 那覇空港の拡張が石垣新空港の開港に伴う航空便や観 光客の動向とリンクすることは明らかだ。石垣新空港の動向を見極めてから、那覇空港の拡張を考えるのが当たり前の手順だが、仲井眞さんは「石垣新空港など カンケーねえ」とばかり、那覇空港の拡張を「県民の総意=最優先課題」といい、工期5年の2000億を要求する。いつものことながら、無理を通そうとする 沖縄の政治家の露骨な論法・手法には「参った」というほかない。

 繰り返しになるが、ここで絶対に忘れてはいけないこ とがある。那覇空港の場合、拡張工事が完了すれば、危険な787が数え切れないほどやってくるということだ。拡張がなくとも、現行の767、747、 737は順次787に代替されるだろうが(ANAの場合)、拡張されればその数は激増する。オスプレイが危険なら787も同様に危険なはずだ。両機は危険 という意味においてまったく等価である。だが、仲井眞知事も翁長那覇市長もその点にはけっして触れず、滑走路拡張を要求する。そう、先に述べたように、沖 縄の政治指導者は「787大歓迎」なのだ。

 仲井眞さんや翁長さんがオスプレイに「反対」してい る理由は、「オスプレイは県民の命を危険にさらす可能性が強い」からである。彼らは「県民の命」が大切だと言い続けている。「オスプレイ配備は沖縄県民の 命を軽視することになる」から、オスプレイの導入に反対なのだ。787も県民の命を危険にさらす可能性はあるのだから、その文脈でいえば沖縄の政治指導者 は787にも反対すべきだ。ひとたび事故が起これば、オスプレイよりも787の事故のほうがより多くの人命を危険にさらすに決まっている。命の問題を重視 するなら、787導入にも反対しないとつじつまが合わない。オスプレイは軍用機だからダメ、787は民間機だからOKということなのだろうか。彼らはそん なことはいっていない。仲井眞さんも翁長さんも、米軍基地の撤去は求めるが、米軍のプレゼンスは必要だといっている。米軍駐留そのものに反対なのではな い。県民の命を危険にさらすオスプレイに反対しているのである。だが、787導入にはけっして反対しない。

 沖縄の政治指導者は、命の問題を掲げてオスプレイに 反対しながら、一方で「滑走路増設=危険な787就航」を推進している。明らかに矛盾する言動・行動だが、その矛盾の背景をさぐっていくと、「オスプレイ はお金にならないからダメ、787はお金に直結するからOK」という構図にたどりついてしまう。彼らの問題は「命ではなくてお金」なのだ。

 オスプレイと787(=那覇空港拡張)をめぐる沖縄のこうした動きを観ていると、まさに「政治は権謀術数」だということがよくわかる。沖縄の政治指導者のマキャベリズムは今や絶頂期だ。彼らは「お金」という目的のためなら手段は選ばない。誰も命の問題なんて本気で考えていやしない。命はダシにされているにすぎない。沖縄のリーダーたちの二枚舌もここまで図々しければ、もう「ご立派」というほかないが、ここでいう「お金」の大部分が、国民・県民・市民の税金を財源としているという事実だけははっきりさせておきたい。

 税金は民主主義の財政・経済的核心である。もし、そ の税金が一部政治家の「二枚舌」によって、いいように使われているとすれば、我々の民主主義が裏切られているということにほかならない。命を大義名分にし ながら財政資金をもぎとるという手法が“民主主義的に”許されるかどうかは歴然としている。もし、彼らがもぎ取ったお金が、沖縄内の差別や格差の解消に使 われるのであれば、それはそれでよしとしてもいい。だが、過去の経緯からいって、けっしてそうはならない、と予言しておこう。差別も格差も温存され、公務 員や土建業者が跋扈する。沖縄の既得権の構造、支配構造はけっして変わることはないのである。この状態を放置し続け、お金を出し続ける政府の責任も重い。 県民も国民もすっかりコケにされているのだ。 嗚呼、またまた腹が立ってきた。

批評.COM  篠原章
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