首里城と錦帯橋—政府補助金による再建は必ずしも良策ではない

「不謹慎」の誹りを免れないので火災当日の昨日は云わなかったが、首里城焼失の映像を見ながら「美しい」と思う自分がいた。

人知と歴史の結晶が怖ろしいほどの炎にのみこまれていく。悲痛、悲嘆の域を超え、私たちにはけっして抗えないものがあるという真理を、首里城が身をもって教えてくれている気がした。覚悟の上の焼失ではないのか。筋立てもディテールもまるで違うが、三島由紀夫の『金閣寺』を思いだしてぼくはひとり泣いた。首里城の炎は、三島の悲しくも崇高な人生も映しだしていた。

Facebookを見たら、首里城の隣地に住む人が、首里城を包む業火を「とても美しく感じた」と素直な感情を吐露していた。火の粉で自宅が延焼する可能性さえあったのに、その人は三島の『金閣寺』を引き合いに出して感慨にふけっていた。同じような人がいるものだな、と少しだけ心が和らいだ。

首里城 2011年4月16日

首里城 2011年4月16日

 

 

これから原因究明がなされ、「犯人捜し」が始まるかもしれない。だが、犯人捜しよりも大切なのは、これを機に人知を磨きあげて、新しい未来を創ることだと思う。

政府関係者は首里城の再興に力を尽くすという。首里城は「国有財産」だし、「情け」のつもりだろうからあまり責めたてる気はないが、全面支援を決める前に考えなければならないことがあるはずだ。

海兵隊基地のある岩国市には「錦帯橋」(きんたいきょう)という名勝がある。この橋は1674年に創建され、1950年のキジア台風によって流されるまでの276年間「不落」を誇った。不落の橋が流出した背景には米軍による砂利採取などがあるといわれているが、岩国市民は犯人を捜すよりも「再建」に全力を尽くした。国庫の補助もあったが、市民の募金も大きな力になった。

錦帯橋2017年3月

 

旧橋の設計を重視してできた新しい木造橋は、木造だけに多額のメンテナンス費用がかかる。市の財政力では資金を調達しきれないから、1966年からは観光客から入橋料を徴収して積み立て、メンテナンス費用に充てるようにしている。平成に入って全面的な付け替えが行われたが、その時に要した費用26億円のうち23億円は入橋料の積み立てと市民からの寄付で賄われている。国庫からの支出(政府補助金)はわずか3億円にすぎない。

錦帯橋は世界遺産ではないが(申請中)、江戸時代の土木技術に現代の土木技術を折衷した橋梁工法で造られた、きわめて貴重な構造物だ。使用されている木材も江戸時代の仕様が尊重されている。注目すべきは、その貴重な橋の付け替え経費の大半が、公的資金ではなく募金と入橋料で賄われているところだ。錦帯橋が真に岩国の象徴であり続けているのは、市民が皆で力を合わせて守ってきたからである。でなければ、江戸時代から今日まで継承できたはずもない。

首里城再建募金が始まったことは喜ばしいが、「政府が全額出す」となれば、この自助努力はたちまち力を失ってしまう。首里城再建を県民の募金や民間の資金で賄えれば、これは沖縄県民にとって大きな自信となり、自分たちの手で未来を切り拓くという意識を根づかせるきっかけになるが、政府が全額負担するとなれば、沖縄は変わらないままに終わる。

基地問題が容易に解決しない大きな原因のひとつは、本土依存の経済構造と社会意識である。美徳は沖縄から生まれ、悪徳は本土からやってくると嘯きながら、左手で拳を作って振り上げ、右手で補助金や特別扱い(優遇措置)を受け取るという構図は、この火災を機にことごとく壊したほうがよい。公や官に最初から依存する仕組みを温存するのではなく、民で足りないところを公と官で補うというあたりまえの仕組みに置き換える絶好の機会だ。

「災いを転じて福に」ができるかどうか。首里城が身をもって示してくれた「暗黙知」を前提に、これから初心に戻って考えてみたい。

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批評.COM  篠原章
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