黒川疑惑が生みだした「珍妙」な検察法改正反対運動

すでに終わった案件に今さら反対?

検察官の定年を63歳から65歳にまで段階的に引き上げる検察法改正案への反対運動が広がっている。きゃりいぱみゅぱみゅが「反対」を表明するに至り、ちょっとした社会現象になってしまったが、この問題をめぐる賛否両論の多くが誤解あるいは曲解に基づくものである。

ネット上の反応を見ると、多数の人々が「黒川弘務東京高検検事長の定年を延長するためのエコ贔屓(ひいき)改正」と誤解している。が、「菅義偉官房長官の大のお気に入り」(週刊文春)とされる黒川検事長を念頭に置いたとされる恣意的な定年延長問題は、この2月にすでに終わっている。当時国会での森雅子法相の矛盾だらけで苦し紛れの答弁が話題になったが、この定年延長は違法性が高い手続きにもとづくものとはいえ(詳しくは2月21日付けの拙稿〈東京高検検事長の「定年延長」は何が問題なのか?〉を参照)、定年延長案件としては決着済みである。要するに、すでに終わったエコ贔屓定年延長に対して、多くの人が今さらのよう反対している構図に見える。過去を蒸し返すような珍妙な反対運動である。

誤解される法案の趣旨

今回の改正法案自体は、高齢社会における年金改革・働き方改革の一環で、2025年の年金支給年齢の引き上げ(65歳)に合わせて、他の公務員の定年と同じく検察官の定年も65歳まで段階的に引き上げようという趣旨にもとづくもので、従来からの国の方針である。趣旨自体は理解できるから、高齢社会の望ましいあり方を冷静に議論しながら改正の是非を国会で決めればいい(ただし、コロナ禍であえてやるようなことではない)。

ところが、安倍政権による2月の強引な定年延長が尾を引いており、多くの人々が「黒川氏のための法改正」と誤解している。しかも、安倍政権を嫌うメディアを中心に、その誤解を積極的に正そうとしない。そのため反対運動がいっそう盛り上がるような事態に至っているのだ。おまけに今回の法改正には、次長検事や高検検事長、地検検事正といった幹部ポストに63歳という「役職定年制」を設ける一方、法務大臣が公務の運営に著しい支障が生ずると法務大臣が認めれば、その職にとどまり続けられるという特例まで設けているから、これが黒川検事長の定年延長を後付けで正当化するものと誤解されているフシもある。

「検察の中立性」という幻想

混乱の発端には、黒川氏を重用したいという官邸の意向があることは間違いないが、主要メディアや一部識者がいうように、安倍内閣による黒川氏のエコ贔屓人事や定年延長措置は「検察の独立性・中立性」を侵している、といった主張には疑問符がつく。

週刊文春など一部で報道されているように、甘利明経済再生相の口利き疑惑や小渕優子元経産相の政治資金疑惑で、官邸の意向を受けた黒川氏が暗躍して捜査に手心を加えたことが事実だとすれば、検事総長というポジションを押さえなくとも、官邸は検察に介入できたことになる。つまり、検察の独立性・中立性などそもそも担保されてはおらず、定年延長などの小細工がなくとも政治家の意向を受けて動く検察庁現役幹部の差配でどうにでもなるということだ。

その背景には、捜査権と公訴権とを併せもつ検察官の絶大な権力があり、その絶大なる権力を制約あるいは監視するメカニズムの欠如こそ問題だという話になる。検察官の権力に歯止めをかけるメカニズムなどいくらでも講ずることができる。米国のような地方検事の公選制もひとつの方法だし、公訴権(起訴する権利)と捜査権を分離し、捜査権を警察の専権とする方法もある。英国のように公訴権まで警察が保持する手もあるだろう。検察官の査察制度を設けることも「検察権力」の濫用を防ぐ手立てとなる。こうした仕組みを欠いているからこそ、近年でいえばカルロス・ゴーン背任事件やIR疑惑、リニア疑惑に見られるような特捜(国策捜査)の暴走が生みだされてしまうのだというのが筆者の立場である。

「検察権力」の見直しこそ急務

定年延長は理解に苦しむが、「検察の独立性・中立性を侵害する」という論調にはまったく同意できない。検事の権限に関する諸制度を据え置いたまま定年延長したとしても、政権が安泰になる保証など実は何一つない。安倍政権も何を考えているのかわからないが、「検察の独立性の侵害」を盾に定年延長に反対する人たちの考え方も皆目理解できない。今回沸騰した議論はあまりにも低レベルだということだ。

たかだか公務員のくせに「国策捜査」とった言葉を自ら平気で使うような権力を有する検察官の存在に、みな疑問を持たないのだろうか。警察官に「すべて検事さんの裁量次第」といわしめ、書類もろくに見ずに、検察官の勾留(拘留)延長要求に同意する裁判官が大半であることを考えると、「検察権力の見直し」こそ本質的な課題だと思う。

「検察=国家権力」というのは検察官に追及された経験のある者でなければわからないかもしれないが、国家権力を恣意的に運用できる検察官の権限を牽制する仕組み、あるいは検察官の権力を裏づける民主的な制度や手続きの見直し、勾留権・拘留権の濫用を防止する方策のほうが定年延長問題よりはるかに重要だ。この問題を通り過ぎて「定年延長」に拘る政権の姿勢やメディアやネットの論調はどう見ても珍妙である。

批評.COM  篠原章
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