東京〜バンコック〜サムイ〜東京〜沖縄〜東京〜沖縄〜東京(1)

東京〜バンコック〜サムイ〜東京〜沖縄〜東京〜沖縄〜東京(1)

東京~バンコク(1998年1月28日)

ドン・ムアン空港に着いたのは1月28日の夜。9時を少し回っていた。1983年に一人旅で訪れて以来、14年ぶりのバンコクである。

あの時は、香港→ジャカルタ→シンガポールという経路でバンコクへ。まさに「這々の体」でたどり着いたバンコクだった。
バンコクに来る前に旅したシンガポールでは、その前の ジャカルタでの安宿暮らしがたたって急性の胃けいれんを起こし、病院とホテルを往復する毎日。快適なホテルのほうが体にいいとの医者の勧めから、途中、安宿からラッフルズへ移っての療養生活。あの頃、ラッフルズは高級ホテルのなかでは安宿の部類。部屋の格調は高かったが、サービスは最低、伝統に胡座をかいただけのつまらないホテルだった。おまけに、隣のラッフルズ・センターが工事中で、24時間騒音が絶えなかったから、部屋代も正規レートの半額以下だった。

ストロカインのおかげで胃炎が治まって、なんとかバンコクへとコマを進めることができたのだが、完治しているわけではないのでここで無茶はできない。欧米人用の英語ツアーに参加したり、サイアム・スクエアあた りを散策したりとおとなしくしていたつもりだったが、ある晩ふらふらと乗り込んだタクシーの運転手がくせ者。気がつくとパッポンの売春クラブの前。屈強そうな男たちが車を取り囲み、襟首をつかまれるように(ほんとうに襟首をつかまれたわけじゃないけど)店のなかへ。いくばくかの入場料を払って、2階の奥で芝居がかった白黒ショーを見学。「おれ、これからどうなっちゃうんだろう」と自分の運命ばかりが気になって、ショーを楽しむどころじゃない。

ショーの部屋はなんとか抜け出せたものの、帰れると思っ たら大間違い。1階のボックスシートに連れて行かれ、「さあ、どの女にする」と堂々たる格幅のマダムらしき中年女が迫る。時代遅れのフィラデルフィア・ソ ウルが目一杯の音量で流れるフロアを、スタイルだけはいい女の子たちが目線も虚ろに踊っているが、選べといわれても金はない。財布には70ドルも入っていないのだ。言い値は100ドル。24時間で100ドルだから日本人には安いだろうと勧められてもない袖は振れぬ。ちょうどあの頃、「日本人はセックス・アニマル」とかいわれて、アジアの目の敵になっていると報じられていたから、「ぼくは日本人だがあんたたちの思っているようなセックス・アニマルなんかじゃない」とマダムに青臭く抗弁を試みるが、「この若造、いったいなにをほざいているのだ」風の目つきで、マダムはひたすら女を買えと迫りつづけ、決着がつくまで小一時間。参りやした。

さて晴れて14年ぶりのバンコク。今回は同行者たちもいたことで、あんな冒険はできないし、日程も短かったから、手配済みのリムジンでオリエンタル・ホテルへ。オリエンタルの周辺は、旧正月ということも手伝ってか、ろくに屋台も食堂もない。しょうがないからルームサービスでタイ風麺類などを注文したが、これが実にうまい。涙がでるほど。ああ、タイに来た甲斐があったてな感じ。食事に満足するなんて体験は久々で、健やかな眠りに。

バンコク~サムイ(1998年1月29日)

暗いうちから目が覚める。水面がきらきらとしてくるまで、窓からチャオプラヤ川をぼーっと眺めながらお茶をすする。いいね、この時間。

明るくなってからひとり散策にでる。オリエンタルの周辺 は、コロニアル建築が多いんだということに初めて気がつく。ほとんどがもうぼろぼろだけど。ホテルの筋向かいにミッション・スクールがあって、しばらく登校風景を楽しむ。たぶん、金持ちの学校なんでしょうね、親の運転する車で乗りつけるセーラー服姿の女子学生が目立つ。小学生ぐらいの子から高校生ぐらいの 子まで、年はさまざま。どうやらカトリック系なので、東京でいえば立教女学院みたいな感じか。
夕方、バンコク・エアウェイズの双発プロペラ機でコ・サ ムイへ。わずか1時間半のフライトだが、じゅうぶんすぎるほどの恐怖を味わう。やはりプロペラ機は命を縮める。迎えのワンボックスは形ばかりの狭い舗装路を疾走、熱帯の闇夜をホテルへ向かう。ここでもまた命を縮める。死ぬほど甘ったるいステーキ・ディナーを途中で断念してビーチ沿いに歩く。暗がりの中に点在するレストランやホテルは、ドイツ人を中心に欧米人で溢れ返っている。ヤモリが跋扈するB級リゾートの湿っぽい部屋で、映りの悪いテレビの歌謡番組をみる。信じがたいほどつまらないタイのポップスに飽き飽きする頃睡魔が襲う。

サムイの日々(1998年1月30日)

予定では移動はタクシー(多くは乗合バスみたいなもの)と決めていたのだが、タクシーをつかまえるにはホテルのロケーションがあまりよくないうえ、例の荒っぽい運転に耐えられそうもなかったので、レンタカーを借りることに。失敗の始まりである。
スズキ・ジムニーがこの島では定番である。マニュアルは 久しぶりだが、なんとかなるだろうとタカを括って出発。ところが、登り坂になると激しくノッキングした末にエンスト。俺の運転が下手なのかなと思うが、登り坂以外は比較的スムース。どうやらどこかに不具合があるらしい。ガイドブックに「レンタカーは要注意。程度の悪い車が多い」とあったのはホントだった。

島は起伏にとんでいるので、何回もエンストを繰り返してようやくレンタカー屋のオフィスにもどる。事情を話して代わりの車を要求するが、空きはないという。すぐに修理できるからと、近くの修理工場へ。キャブレター関係の部品を取り替えて10分後には修理完了。おそるおそるエンジンをかけるが、今度はエンストもなく順調。街道沿いをよくみると、1キロ置きぐらい に自動車修理工場がある。なるほどと思う。

島の北西部にあるナトン・タウンはこの島最大の街。飛行機を使わないとなると、本土からナトンの港までの船便に頼ることになる。街では日本人観光客にあまり出会わない。会ったとしてもタイ、マレーシア、シンガポールの日本人駐在員やその家族だったりする。大部分の観光客が欧米人である。

欧米人は島のあちこちに浅く広く根を張っている。観光客はけっして寄りつかないだろうと思えるような小さく貧しい集落にさえ民家を借りて長期滞在していたりする。連中は朽ち果てかけた民家だろうが、白蟻に食いつぶされそうな汚いバンガローだろうが平気である。エアコンも網戸も蚊帳もない生活でも耐えられるのだ。ナトンのスーパーには、こうした欧米人が買い込みそうな食品や生活雑貨が山と積まれている。月に200ドルか300ドルあれば十分暮らせそうだ。道行きの途中で勝手に覗かせてもらった新築のアパートで も、家賃は100ドル未満だったし、エアコンなしの古いバンガローなら1日数百円だ。植民とはこういうことなのだ、植民とは馴染まない環境を克服する体力なのだと感心。かつてジャカルタの旧市街・バタヴィアをふらついたとき、この高温多湿、いってみれば地の果てみたいな土地に、アムステルダムに似せた石造りの町並みを現出させたオランダ人たちのパワーに脱帽したことがあったけど、欧米人の植民力は、観光という衣装をまとって今も健在なのだ。ニッポン人はかないません。よくいえば地元民の生活圏にまでずけずけと入り込めない。旅行社が提供したメニューの範囲内でちまちまと観光している。異文化に半分は同化し、残りの半分は異文化を自らの文化に強引に引きつけようという欧米人的積極性みたいなものが、多くは欠落している。戦争には負けるにきまってる。

ナトンは、昨年訪れたインドネシア・バタム島のナゴヤ・ タウンにどこか似ていたが、ナゴヤより数倍は活気ある街だった。欧米人観光客の存在がこの島を活気あるものにしている。市場のすえた臭いは同じだったが、街で働く人たちの一部は、タイ各地から移動してくる商売人たちだった。「冬はサムイやプーケット、夏になればゴールデン・トライアングル」なのだそうだ。 市場経済は正常に機能している。

車であちこち走り回るうち、田園地帯を貫く広く美しい舗 装路にでて、スピードをあげるが、突然「パオーッ」の声に急ブレーキ。目前を材木を積み込んだ象二頭が横断。「タイは象」というイメージをもっていたはずだったが、公道を横切る象がいるとは予想していなかった。しばし呆然。

夜は最高級ホテルのひとつ、トンサイ・ベイでタイ料理。 美味美味。ナトンの食堂300円也も満足度は高かったが、高級レストランでの1500円超のディナーは性的快楽に近い。このままタイに住んでもよいとご満悦で車に戻るが、イグニッションは反応せず。まったく動かない。バッテリーが上がってしまったのだ。もはやこれまでと車を乗り捨て、ホテルに車を出してもらって宿にもどる。投宿先のボートハウスは隣地なのだが、ジャングルのなかを歩いて30分はちょっと辛い。ヤモリの声を聴きながら浅い眠りに。

サムイの日々(2)(1998年1月31日)

最後の晩だから奮発しようと、ボートハウスを出てトンサ イ・ベイにチェックイン。値段も高いが、価格差をはるかに凌駕する高いクオリティのサービス。仕事もないので、日がな一日ビーチですごす。季節の変わり目だが、まだモンスーンは収まらないらしく、海は澱んでいて波は高い。が、東京での日常からもアジア的喧噪からもまったく隔絶されたリゾートのビーチチェア でまどろんでいると、ストレスなるものが消滅していくようすが手に取るようにわかる。アジアではこういう過ごし方もあったんだなあと、今更のように自戒。 歩き続けるだけが能じゃない。

サムイ~東京(1998年2月1日)

夕方近くまでトンサイ・ベイでのんびりと過ごす。なによりも携帯電話のベルが聴こえないところがいい。久々の南国三昧。沖縄でも最近は落ちつかない日々が多い。北部・やんばるのビーチであわただしく磯遊びすることはあっても、のんびりと海を眺めることはない。街の喧噪の方が落ち着くといえばたしかにそうなのだが、リゾートで体を休める術も少しは学ばなきゃね。 もっとも、沖縄にはろくなリゾートはないし、周囲の日本人の動きを見る度に自分の「日常」を意識してしまうにちがいない。

夜、バンコク乗り継ぎの全日空で成田へ。ほとんど眠れないまま2日早朝に到着。どうやって家までたどりついたのか、あまりよく覚えていないありさま。

批評.COM  篠原章
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