拒絶されたヒジャイさんの自費出版

〜沖縄に言論の自由はあるのか〜

1.「沖縄に内なる民主主義はあるのか」

沖縄民族主義や反日主義の人たちは、「本土では本当の沖縄の姿が伝えられていない」としばしば問題にする。彼らは「ネットでは基地容認派の攻勢が強まっている」ともいう。だが、普通の感覚でネットを見れば、<知念ウシさん派>の人たちの論調が圧倒的に優勢だ。ほとんどの本土の人たちは、「沖縄の問題になんか関心はない」というのはやはり前提だが、沖縄に関心のある人たちの大半は、普天間基地の県内移設に「沖縄の人たちはノーを突きつけている」「日本人による基地の持ち帰りが問題の核心だ」と考えている。県内移設容認派は少数派だし、ぼくのようにリベラリズムの立場から、「沖縄問題は基地問題」という現状認識に異議を唱える人などほぼ皆無だ。

県内移設反対派も賛成派も注目しているネット論者に、ヒジャイさんというブロガーがいる。そのタイトルは「沖縄に内なる民主主義はあるのか」。ステキなタイトルだ。

ヒジャイさんは、沖縄で起こる様々な問題は民主主義の問題だと主張している。その立場から、「辺野古移設以外の選択肢はない」「八重山教科書問題に対する県教委対応は法治国家の否定だ」といった主張を展開する。県内移設反対派も斬るが、土建業者も斬り、保守政治家も斬る。もちろん、役人もやり玉に挙げられている。その論旨は明快で一貫している。ヒジャイさんの情報源は地元の新聞とネットだけだというが、沖縄の現状に関してこれほど豊富な情報を与えてくれるサイトは少ない。ぼくはヒジャイさんとは考え方が異なる点も多いが、彼のおかげでずいぶん勉強させてもらっている。同意できなくても、こんな見方があったんだ、とハッとさせられることもたびたびだ。おそらくそういう人は多いはずだ。

ヒジャイさんは小説も書き、コザのパルミラ通りで尺八も吹く。小説や尺八もネットにアップしている。今年で64才になるが、ますます意気軒昂だ。なによりも「自由人」であることが伝わってくるところがいい。ブログには誤字脱字や繰り返しも少なくないが(人のことはいえないけど)、自由にモノを考え、自由に生きることの大切さも、ぼくはヒジャイさんに教えてもらっている。会ったことはないが、照屋林助などと同じように、新しい視点と一緒に東シナ海の潮香も届けてくれるような沖縄の大人ではないかと勝手に想像している。

2.ボーダーインクはヒジャイさんの自費出版を拒んだ

そのヒジャイさんが自費出版を企てた。「沖縄に内なる民主主義はあるのか」の内容を編集した本であるらしい。彼独自の視点は、商業出版物としての可能性も十分あると思うが、最初から自費出版というところがいい。「インディーズ」好きとしては、ヒジャイさんの、自分でリスクをとる潔い姿勢がまた魅力だ。いかにも孤高のストリート・ミュージシャンっぽい。ヒジャイさんの音楽はロックではないが 、気分はゴー!ゴー!ロックンロールだ。

その企画を沖縄県内の出版社に持ち込んだという。以下はヒジャイさんのブログから引用した顛末である(改行などは批評.COMで編集)。

信じられないことが起きた。
自費出版しようと県内のある出版社に原稿を送ったら、なんと出版を断られた。(中略)

先週の火曜日の朝に、ネットで自費出版を募集している県内のある出版社に、自費出版したいから見積もりをお願いしますという文章を携えて原稿を送った。翌日の水曜日には出版社に届いたはずなのに、出版社からは原稿が届いたという連絡はなかった。木曜日にはあるだろうと思ったが、出版社からは電話もメールもなかった。もしかしたら届かなかったのだろうかという不安が脳裏をかすめたが、まさかそんなことはないだろうと、出版社からの連絡を待ったが、出版社からは木曜日だけでなく金曜日も土曜日も連絡が来なかった。月曜日は公休日だったので、火曜日に出版社に電話をした。受付けの女性に私の名前を告げ、私の原稿は届いたのかどうかを聞くと、受付けの女性は原稿は編集部の人しか分からないが、編集部の人は会社に居ないといい、私の電話番号を聞いた。

しばらくすると編集部の人間から電話が掛かってきた。彼は沖縄の出版界を盛り上げようと頑張っている人で、新聞にエッセーなども書く、沖縄の出版界では有名な人である。彼はストレートにではなく、間接的に私の自費出版はできないような話をしたので、だらだら話をするのが嫌いな私は、「自費出版ができないということか」とストレートに聞いた。すると彼はそうだと言った。信じられないことであるが、自費出版を宣伝している出版社に自費出版を希望して原稿を送ったら、自費出版できないと言われたのだ。私が自費出版したかった本のタイトルは、ブログでもテーマにしている「沖縄に内なる民主主義はあるか」である。(中略)

出版できない理由は、「四 普天間飛行場の移設は辺野古しかない」の内容が最近出版社から出した本とは反対の内容になっているからと彼は説明した。私は彼の話に文句を言わなかった。「ああ、そうですか」という風に聞いていただけだ。まさか、自費出版が断られるとは全然予想していなかった。断るなら断るでいいが、断るのであれば早く客に連絡するのが当然だと思うのだが、出版社は連絡をしなかった。もしかすると私に電話するつもりはなかったかもしれない。信じられないことだ。会話の中で、彼は出版できないことで私に一度も謝らなかった。もちろん連絡が遅れたことに対する詫びの一言もなかった。

出版社のやり方に怒りは湧いてこない。うまく説明できないが、むなしさやさびしさのような感情があるだけだ。できることなら沖縄の出版社で自費出版したいが、こういう状況になったので、本土の二つの出版社に原稿を送った。するとすぐに原稿を受けたこと、数週間以内に連絡するというメールが来た。あまりにも違いすぎる対応に、本土の業者は素晴らしいという感情ではなく、沖縄の現状へのみじめな気持ちが残った。

ヒジャイ『日々の詩』信じられないことが起きた

話の内容から察するに、ヒジャイさんの自費出版を断ったのはボーダーインクだと思った。後にボーダーインクであることもはっきりした。

ボーダーインクは沖縄でもっとも優れた出版社である。良質の沖縄本も出しているし、本土在住の物書きの本もある。小出版社だが出版業界では有名だ。

電話の相手は新城和博さんだろう。ボーダーインクを社長の宮城正勝さんと一緒に築き上げてきたエディターで、著作も多い。ラジオのパーソナリティとしても人気があった。

ぼくは新城さんとは1992年に知り合った。場所は那覇のオリオンビアフェストの会場、奥武山公園だ。誰の紹介だったかはもう覚えていないが、当時の沖縄の出版業界や音楽業界はとても小さかったので、知り合うのは簡単だった。りんけんバンドの登場で沖縄音楽が盛り上がっている時期で、オリオンビアフェストの目玉もりんけんバンドだった。新城さんと話したのもりんけんバンドが出演するステージの前のテーブルで、オリオンビールをぐびぐび飲みながら語り合った。

新城さんは「基地と戦跡の島・沖縄」という従来の沖縄観を覆す『おきなわキーワードコラムブック』という名著の編集者だった。90年代以降の、いわゆるポップな沖縄のイメージをつくった立役者である。ぼくはこの本からたくさんのことを学び、その勢いで『ハイサイ沖縄読本』という本も作ってしまった。新城さんにも協力してもらった。いやがる新城さんを説き伏せて、素晴らしいライターを何人も紹介してもらい、彼自身にも楽しい記事を書いてもらった。「いやがる新城さん」と書いたのは、新城さんはもうその頃、「ポップな沖縄」という本土向けのイメージづくりに飽き飽きしていたのだ。本当の沖縄はまた別にある、と思っていたのだろう。沖縄人のための沖縄県産本をつくることが、彼の最大の関心事だった。

新城さんの姿勢は、いい意味で「沖縄民族主義的」だったといえるが、彼の感じていることはとてもよくわかった。ぼくらのような本土の沖縄好きが、「沖縄はポップだ」「沖縄は楽しい」などといえばいうほど、「お気楽だね。そんなことはないだろ」という気分になったにちがいない。だが、「ポップな沖縄」は彼が作り始めたイメージだったから、新城さんは、自分の責任を取る意味で、その後も「ポップな沖縄」につながる仕事もたくさんしていた。あの頃はまだ観光客は300万人に満たなかった。現在のように500〜600万と観光客が増加した背景には、新城さんや新城さんの信頼を得て仕事をしていた編集者やライターの良質な仕事がある。県産本にこだわりつづけたボーダーインクの功績も大きい。

新城さんが「民族主義的」にみえたことはたしかだが、一方でその姿勢と文体は外に向かっても開かれていたから、彼が何をいっても、何をつくっても、共感する部分は多かった。おまけに彼は大瀧詠一の熱心なファンだったから、大瀧詠一の弟子を自認するぼくとは、その点で“同志”だった。同じ血が流れていると感じたものだ。大瀧さんに関する本を作ろうとして、彼にエッセーを依頼しようと思ったこともあったが、企画そのものが潰えてしまったので、いまだにそれは実現できていない。

こういう付き合いの経緯があるから、新城さんがヒジャイさんの自費出版を拒んだのはショックだった。ヒジャイさんのショックとはもちろん比べものにならないが、新城さんがヒジャイさんに対して寛容ではなかったことはちょっと驚いた。

3.沖縄に言論の自由はあるのか

沖縄の友人・知人たちは、「新城さんは沖縄民族主義者の代表の1人なんだから、それに対立するヒジャイさんの本は引き受けないよ」という見方だったが、ボーダーインクはなにも沖縄民族主義的な傾向の本を出版しているわけではない。さまざまな著者がさまざまな立場で本を書いている。政治色が強い出版社でもない。たしかに基地問題について、ヒジャイさんとは逆の主張をする本は何冊も出しているが、基地反対派の人たちがしばしば批判する歴史家の上里隆史さんの本もたくさん出している。それになによりも、ヒジャイさんの本は自費出版で、編集や流通などにボーダーインクが力を貸すとしても、リスクも責任もヒジャイさんが引き受けるシロモノである。

にもかかわらず、ヒジャイさんの自費出版を断ったのは、ひょっとしたら 県外移設派の人たちからの攻撃にさらされるをの回避しようとした経営政策的な判断かもしれない。それとも新城さんは、自費出版とはいえ、主張の異なるヒジャイさんの本を出したくなかったのか?今はただただ想像するしかないが、自主規制にせよ、自分が気に入らなかったにせよ、自費出版をうたっている以上、「引き受け」が原則であり、引き受けないとしたらお客が納得するような説明は必要だろう。

ヒジャイさんの本は東京新宿にある文芸社に持ち込まれ、素早い対応を経て、出版の段取りは整えられるようになっているが、ヒジャイさんはどうやら沖縄の出版社から出版したいと思っているようだ。文芸社と同時に八重山日報にも持ち込んだが、すげなく断られている。「印刷はしますよ」という対応だったというが、八重山日報の真意まではわからない。

沖縄のことを沖縄の人が本気で心配するエッセーを書き、それを少しでも多くの人に読んでもらおうと思っているだけで、どのような勢力にも加担していないヒジャイさんに党派的な思惑などまったくない。ヒジャイさんの主張は個性的だが、けっして支離滅裂ではなく、それを読んで腹を立てる人もいるだろうが、大きく肯く人だって少なくない。

自分の本を地元の出版社から自費出版しようという思いも叶えられないほど、沖縄の出版界には「自由な言論」を抑える傾向が強くなっているのか?ついつい大政翼賛会が幅をきかせた時代を思いだしてしまうが、それは沖縄で反基地運動を展開する人たちが、いちばん嫌っている時代でもある。 かつてベイジル・ホールが感動した「沖縄人の礼儀正しさと寛容さ」はいったいどこにいったのか?

ヒジャイさんの本は、目下、沖縄タイムスに持ち込まれているという。まだ返事は来ていないらしい。沖縄のジャーナリズムでは、排他的な沖縄民族主義の思潮が強まる一方だが、それでも沖縄タイムスは琉球新報と違って、ときとして「良心」も垣間見せてくれる。

多くは期待はしてはいないが、沖縄タイムスの判断は、「沖縄における言論の自由」にとって、大きな分岐点になる。たんなる自費出版の問題だというなかれ。その諾否は、沖縄のジャーナリズムや出版業界の命運を左右しかねない、とぼくは思っている。

批評.COM  篠原章
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