「手紙の手渡し」には呆れるが、「山本叩き」も度を超えている

篠原は山本太郎参院議員の支援者でも味方でもなく、むしろ彼の主張に批判的な考え方を持っていますが、山本議員が天皇に手紙を渡した行為については、「非常識」だということ以外に責めるべきポイントが見つかりません。それ以上でもそれ以下でもないということです。つまり、フツーの人ならまずやらないことですが、合法的な行為だということです。天皇の訪問先で、何も知らぬ小学生が用意してきた手紙を天皇に渡したらちょっとした美談になりますが、国会議員が同じことをしたら、皆に笑われたり、誰かの怒りを買ったりする、が、小学生同様、罰すべき行為には値しない、という意味です。辞職の勧告もアホらしいと思っています。ぼくも腹を立てた口ですが、「不敬罪」なんてものはないご時世ですから、山本議員に罰を与えることはできませんし、「辞めろ」というのもピントがずれています。マナー違反に罰を与えるなら、ぼくたちはいつも罰せられていなければなりません。

ぼくが自民党の関係者なら、山本議員の行為をどうやって処罰しようかなどと考えたりはしません。山本議員ご本人は「マスコミが騒いだからコトが拡大した」といいますが、そうはいっても彼の狙いは政治的パフォーマンスというところにあるのは明らかですから、自民党が問題にすればするほど山本議員の術中にはまることになります。ぼくからすれば、辞職勧告に熱心な議員も「お笑い」のうちです。山本議員の「新党今はひとり」は文字どおり「ひとり政党」ですから、国会では圧倒的に無力です。無力な蟻を巨象が踏みつぶそうとするような態度は醜いものです。それとも自民党は「新党今はひとり」を恐れているのでしょうか? 彼の掲げる脱原発の火がやがては燎原の火になりかねないので、今のうちに山本議員をたたきつぶしておいたほうが得策とでも思っているのでしょうか?

山本議員を批判するなら正攻法でいくべきでしょう。

山本議員のホームページなどは折に触れてチェックしていますが、彼の「脱原発の思想」には、危機管理という発想や経済的な観点がほぼ欠落しているからダメだと判断しています。不完全な論拠や不正確なデータに依拠した論が多すぎるという欠点もずいぶん目立ちます。同じ「脱原発」でも、小泉純一郎さんの脱原発論のほうがはるかに説得力がありますね。国会に提出された山本議員の質問主意書もすべて読みましたが、既成政党が提出した質問主意書とまったく区別のつかない、創造性のないものばかりでした。つまり、今のところその政治活動にはほとんど新味が感じられないということです。彼の展開する秘密保護法反対キャンペーンも、「権力が大衆の知る権利を侵す」といった旧来の共産党の主張とほとんど変わりがありません。「天皇への手紙の手渡し」は禁じ手ですが、あのパフォーマンス以上に目立つものはないのです。

けれども、ポジティブなものもネガティブなものも含めて、これまで気づかなかったことに気がつかせてくれるという点では、山本議員もある程度の役割は果たしています。だから、彼の政治活動は今後もモニターしていくつもりですが、期待はしていない、というのが正直なところです。行動パターンや問題提起のスタイルはいくらか新しいのですが、中身がない。中身は社民党や共産党とほとんど変わり映えがしないのです。旧態依然たる保守派や既成の左翼政党を乗り越える 契機を彼の活動に見つけることは難しいと思っています。ぼくらのような「愚劣な大衆」を導く灯とはなりえないということです。

ネット上には、山本太郎叩きのために捏造された発言が満載されています。自民党の議員のなかにもほぼ同レベルの反応を示すものが多いといわざるをえません。「好き嫌い」で非難を繰り返し、捏造データを元に「同調」を求める姿勢は、かつて熱病に浮かれたように「一億玉砕」を唱えたり、「護憲・反米・反安保」を唱えた時代とまったく変わらないと感じます。異端審問の時代への逆戻りというべきかもしれません。

少しでも合理的で理知的な政治体制をつくるためには、天皇への手紙の手渡しという行動も、山本議員叩きのためのデマの捏造という行動も、等しく役には立ちません。相変わらず進歩のない世界に住んでいる、ということをあらためて実感させられる出来事ばかりです。残念でなりません。

天皇に手紙を渡す山本議員

天皇に手紙を渡す山本議員(日経電子版より借用〜許してね)

 

【参考 山本太郎議員の政策・政治活動に関するメモ】

※参考までに、山本太郎議員の政策や政治活動を批判するメモを貼りつけておきます。未定稿ですので、そのつもりでご一読ください。

参院選挙後の7月22日のコラム(山本太郎さんの当選は日本の民主主義を壊すのか)で、山本太郎議員の当選に対するバッシングについて苦言を呈しました。山本議員に多くの問題があろうとも、<「脱原発の市民派」といわれる候補が初めて議席を獲得したのだから、みんなでお手並みを拝見しようじゃないか>というのがその趣旨でした。
あれから3か月。子供がいることや離婚、小さな選挙違反などが報道されましたが、その政治活動については、東京五輪支援の国会決議にたった一人で反対したこと以外、ほとんど話題にはなりませんでした(10月31日の「天皇への手紙手渡し問題」については後述)。
ただし、ネット上では相変わらず「嫌われ者」のようで、ちょっとした山本発言を曲解して「だからあいつはダメなんだ」というバッシングはつづいています。批判というにはあまりにもお粗末なものばかりでした。
10月28日付の東京新聞(インタビュアー:宇田薫記者)に、山本議員のインタビューが掲載されていました。久々のマスコミ登場です。以下、インタビューを抜粋して掲載しておきます。

-当選から三カ月がたつ。実感は。
「もう一年半くらいがたった感じだ。『このままじゃまずい』という僕の焦りとは真逆に、国会はのんびりと進んでいる。(東京電力福島第一原発事故による)被ばくや食品の安全基準の問題を前に進めたいが、国会は、もうそんなことは決着がついてしまったという空気がある」

-衆参両院で与党が多数を確保したことで国会の空気も変わった。
「(前略)一人でも多くの人に反対側のメッセージを提供するために、本来は野党が結集して、もっととがるべきだと思う。(後略)」

-所信表明の日に行われた東京五輪とパラリンピックの成功に向けた国会決議の採決で、衆参両院議員のうちただ一人反対した。
「(前略)汚染水問題にもっと予算を使えるはずなのに、桁違いのお金を五輪につぎ込んでいる。優先順位が違う」

-小泉純一郎元首相が最近、脱原発を唱えている。
「言っていることはすごくまともだが、その裏にどんな意図があるか分からない。原発は即ゼロ、即撤退じゃない限り、本気じゃないと思う」

(中略)

-無所属ならではの苦労はあるか。
「力はやっぱりない。でも質問主意書とか、できることはある。僕が立候補したのは、国会議員の立場を利用して、たくさんの人に話を聞いてもらいアクションに参加してくれる市民がつながってもらいたいから。 (中略)特定秘密保護法案の問題もそうだが、今は本当に大変な状況なんだと知ってほしい。もっと民意をむき出しにできる環境をつくっていかないと」

一人では無力であるという思いは事実でしょう。無力を知るというのは、山本議員に限らず誰にとっても大切なことです。「脱原発」の方向に向かって動きだすために、自分の主張を引っ込めて他の会派と共同歩調をとらなければ進めない、ということも山本議員は痛切に感じていることでしょう。「法案」にコミットできないというのは、国会議員としてはやはり半人前以下ということです。ただ、国会の議場外まで含めればできることはたくさんあるはずです。知名度は抜群ですから、知名度を利用した政治活動はできます。ご本 人ももちろんそれを十分承知で、「秘密保護法」に反対して全国キャラバンを行っています。

秘密保護法については、このコラムでも「曖昧な法律」だと批判していますが、それは私たちのように時事評論も含めた評論活動をする者にとって、必ずしも居心地がよくなる法律ではないからです。政治家や役人の「権限」が増大することも懸念材料です。マスメディアの怠慢をも助長すると思っています。だからといって、同法が成立したら「暗黒時代がやってくる」とまでは思っていません。諜報活動に対して無警戒な現状はやはり危惧したほうがいいに決まっています。それは対北朝鮮・対中国・対韓国とは限りません。米国など現在の同盟国も含めて、日本の当局や企業の機密や個人情報が他の国々に筒抜けになっている現状は改善したほうが望ましいと思います。

「自民政権または安倍政権だからこそ彼らが成立を急ぐ秘密保護法にはきな臭い臭いがする」という主張にも私は同調しません。政権が他の政党に変わってもこの法律は存続するわけで、政権ごとに「特定秘密」の範囲が変わりうるような曖昧な条文をそのままにして、この法案を通してほしくない、ということをこのコラムでは主張したつもりです。

山本議員の批判も特定秘密の曖昧さに向けられています。その点は私も同じですが、彼の主張の最大のポイントは「原発に関わる情報」をこれ以上秘匿することは許さないというところに置かれています。また、この法律の「きな臭さ」も問題にしてます。彼は「この法律が可決されたら、国民は知る権利を奪われる」といい、「集会やネットでの主張も特定秘密に抵触するといって逮捕される時代が来る」といいます。そういうことが「絶対にない」とは断言しませんが、その点を論拠にこの法案への反対論を展開するのは、法律の趣旨を理解していないと思われても仕方がありません。山本議員もこの法律をかなり恣意的に解釈しています。

この法律によって縛られる対象は主として公務員とジャーナリストです。防衛関連産業とその周辺産業の従事者もその対象となります。ジャーナリズムは「報道しない自由」も事実上留保していますから、自社に都合の悪い報道は避けています。ジャーナリズム自らが「国民の知る権利」を侵していると感ずることもしばしばです。私のような立場の人間からすれば、「秘密保護法は国民の知る権利を侵すから反対」と主張するマスコミ人を見ると「よくいうよ」と野次りたくなります。秘密保護法という制約があろうがなかろう が、マスコミの力には限界があるのです。

たとえば、私は最近自衛隊の都道府県ごとの人員配置について調べようとしました。これは機密事項でも何でもありません(諜報機関であれば、公表されている部隊配置と衛星写真・航空写真などから自衛隊の人員 配置は簡単に把握できるので機密事項にはならないのでしょう)。都道府県によってはそのホームページで「本県の自衛隊員数」を公表しています。ところが、 マスコミ各社はその員数配置をまったく把握していません。機密ではなくとも防衛に関する基本事項です。データとして押さえておくのは当然です。調べるのも 難しくはありません。支局レベルで各県の総務部などに問い合わせればデータはあっというまに集まります。マスコミがそれをやらないのは、自分で調べるのが 面倒臭いからです。もっといえば防衛省が資料をくれないからです。要するに役所から資料がもらえるものでなければ、彼らは記事を書かないのです。「国民の 知る権利」が聞いて呆れます。驚いたことに防衛省すらこれに関するデータをまとめていません。自衛隊員の出身地に関する詳細な資料はありますが、都道府県 ごとの人員配置については資料を用意していないのです(基地ごとの定員に関する資料はあるようですが、それは部外秘のようです)。

ただ、安保上の機密事項が、諸外国や諸勢力に対して無分別に垂れ流されるような状態は好ましくはありません。一定の歯止めは必要ですから、「知る権利」とのバランスを取りながら、情報漏出を規制することは 当然のことです。山本議員のように、「規制すれば暗黒時代が到来する」と考えるのは短絡です。

山本議員が大きく懸念する原発に関する情報についていえば、政府に、原発に関する情報を隠すような態度が見られたことは事実です。放射能の影響についても、政府が過小評価ともいえる方針を貫いている可能性はあります。が、放射能の影響については科学的な評価が定まっていないこともまた事実です。山本議員のいうように低線量被ばくが深刻な問題であるとするな ら、東北や関東の住人は関西以西にみな避難したほうがよいということになります。福島は無住地となるでしょう。そうなれば、インフラ、生産拠点、住宅から教育システム、社会保障システムに至るまで再構築が必要になります。東北の復興再生もお預けになりますが、それどころか深刻な不況に見舞われるでしょう。 世界経済の歯車も大幅に狂います。資本主義や民主主義の崩壊につながる可能性さえあります。どのような政権であっても、不明確な科学的な知見を元に、こうした歴史的な意思決定を行うことはできません。

汚染水の問題はたしかに深刻ですが、秘密保護法との絡みは強くありません。現状でもマスコミは、一部を除いてこの問題を正しく報じているとは思えません。これは高度に技術的な問題であると同時に東京電力の体質の問題であり、マスコミの体質の問題です。独立系のジャーナリストのなかにはこの問題に熱心に取り組んでいる人もいますが、それが浸透しないのは制度の問題ではありません。政治家とマスメディアと国民が共有する危機管理意識のレベルに問題があります。私たちがみなで共有する「危機管理意識の欠落」は、 山本議員の秘密保護法反対キャンペーンによって改善される見込みはないでしょう。むしろ見当外れです。

危機管理意識の欠落は、原子力施設の内部構造やメカニズムを簡単に公表してしまう政府や電力会社にも顕著です。こうした情報を明るみに出せば、悪意を持った国家または政治勢力は原発を標的にするでしょう。原発さえ襲えば、日本の社会経済を壊滅させることができるからです。つまり、原発に関する特定の情報を機密扱いにすることは、危機管理上やむをえざる選択肢です。健康被害や地域汚染の現状に関わる情報は適切に開示し、悪意をもった勢力に利用されたら困る情報は機密扱いにする姿勢が強く求められます。秘密保護法以前の問題です。危機管理意識の徹底なくして、秘密保護法も何もあったものではありません。原発問題は、包括的な危機管理の思想を欠いては解決できないのです。反原発・脱原発の行動も、こうした観点から運動のあり方を見直すべきですが、秘密保護法反対キャンペーンがそれに資するとはとても思えません。 山本議員がやるべきことは他にいくらでもあるでしょう。

秘密保護法の問題にずいぶん紙数を裂いてしまいましたが、山本議員の政治活動には今のところ疑問点が多いと考えています。反原発・脱原発を本気で追求するなら、理論武装を重ねながら落としどころを探るのが理想に近づくことになる。ところが、不確かな事実に基づく行動やピントのずれた行動ばかりで、参院議員としての立場をフルに活用しているとは言い難いのです。

小泉元首相の「脱原発」についても(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/37241)、 山本議員は懐疑的ですが、小泉さんの主張は非常にシンプルです。曰く「トータルなコストという点から見て原発は見合わない」。要するにおカネの問題から脱原発といっている。このコラムでも私は「原発問題は経済問題」という持論を展開したことがありますが(「鼎談・いつも心に三合瓶 第1回「原発は経済問題 だ」」2012年9月23日)、先ほど述べた危機管理の問題をも含めて、経済問題として原発を考える姿勢こそ、経済界をも巻きこんだ脱原発への道だと思い ます。小泉元首相に対しては、「トヨタ自動車、中部電力など中部財界の利権を背景に発言している」という批判も一部にあるので、山本議員はそうした点を気 にしているのでしょうが、ビジネス面での動機がなければ日本の政治経済はスムースに動きません。そうした動機を抜きにして、脱原発運動が広がると考えるのはあまりに夢想的に思えます。

復興再生が遅々として進まないことも一義的に政府の責任とはいえません。復興再生が進まないのは、資源をそこに集約できないからです。簡単にいえば資金不足ではなく人手不足、経験不足、復興再生を実現するためのソフト(アイデア)の不足です。縦割りの権限配分にこだわる硬直した役所や既得権益にしがみつく土建業界の体質もその背景にあるでしょう。国会が中身の薄い議論に終始し、原発や復興再生がマジメに議論されていない、実効的な政策が形成されないという山本議員の批判は当たっているでしょうが、山本議員の視点もけっして十分とはいえません。

【以下作成中〜作成中のままで終わる可能性もあります】

批評.COM  篠原章
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