いまさら映画レビュー『キリエのうた』〜このまま朽ち果てるほかないのか
岩井俊二監督作品でアイナ・ジ・エンドが主演する『キリエのうた』(2023年10月公開)をU-NEXTの配信で観た。
劇場公開時にも気になったのだが、約3時間という長尺に尻込みして結局観ずじまい。だが、鈴木慶一、石井竜也、浅田美代子、七尾旅人、安藤裕子なども出演する「ロングランの音楽映画だから一度は観ておかないと」と、U-NEXTと契約した上で覚悟して視聴。
映画館ではないので、3時間という長尺はほとんど気にならなかったが、たんなる音楽映画というには表現の範囲と密度が濃すぎた。岩井俊二にとっての2011年3月11日が基調だったが、岩井とアイナ・ジ・エンドという卓越した表現者との争闘の末に生まれた作品だと思った。
アイナ・ジ・エンドが自分好みの表現者かといえば、まったくそうではないが、アイナ・ジ・エンド(と広瀬すず)のパワーの炸裂に対して、俊才・岩井俊二がオタオタしている(「オタオタ」という言葉が悪ければ「対峙に難儀」)様が随所に読み取れ、そこがこの作品のいちばんの見所だとみた。観終わって「充実感が残る」映画というより、「この世界は緊張と渾沌から構成されている」と強く認識させる映画だった。
『キリエのうた』を観終えて、岩井俊二の代表作『スワロウテイル』(1996年)もついつい見直してしまった(どうでもいいことだが、これにも鈴木慶一が出演している)。岩井の「お花畑的世界観」はほとんど変わっていない。
「お花畑的世界観」がダメだなんてちっとも思わないし、むしろその世界観の実現を切に願うが、そうはさせない「性悪」や「悪人」があちこちに潜んでいる(ときには、トランプやプーチンのように同じ人のなかに善悪がひしめきあっている)のが、この世の常である。そんな風に考えると、「嗚呼っ」と思わず溜息が出てしまうが、こうした溜息の繰り返しが、現世であり人間という存在の性(さが)である。このまま耐えつづけて、朽ち果てていくほかない。