韓国非常戒厳:「窮鼠」地雷を踏む—追い詰められた尹大統領が選んだ自滅への道
韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が発した「非常戒厳」には驚いた。軍事政権下または軍人色がきわめて有力な政権でしか戒厳令は発令されないと思いこんでいたから、軍人でもない元検事の尹大統領が非常戒厳に訴えるとは考えもしなかった。
一院制の韓国の国会(定数300)は、野党の「共に民主党」が第一党で170議席、与党の「国民の力」が108議席、その他の政党が22議席。その他の政党は基本的に反与党だから、大統領や与党にとって好ましい法案の多くは否決され、大統領にとって好ましくない法案ばかり可決されてしまう状態、まさに少数与党の悲劇である。
おまけに、野党側は金建希(キム・ゴンヒ)大統領夫人のスキャンダル(株価操作疑惑・高額ブランド品受け取り疑惑)や大統領自身のスキャンダル(選挙介入疑惑)まで国会で追及、夫人に対する検察の捜査権を確立する特別検察法を提出。大統領はこの法案に25回にわたり拒否権を発動しているが、それも限界に達している。
大統領側は、「国会に犯罪者がいることは許されない」として、すでに訴追されている野党側リーダーの国会(政界?)からの排除を狙っているが、野党側は大統領夫妻の不適切な行為を槍玉に挙げて、今回の「非常戒厳」以前から「大統領弾劾決議」を模索している状況である。
都合の悪いことに与党も一枚岩ではない。「国民の力」の韓東勲(ハン・ドンフン)代表は尹大統領と目下犬猿の仲。韓代表は、尹大統領の検察官時代の後輩で、かつては蜜月関係にあったが、今年行われた国会議員選挙で「国民の力」が大敗した責任をとって代表をいったん辞任したものの、すぐさま代表に返り咲いた、ちょっと怪しげな有力者。大統領夫人の疑惑追及に積極的なこともあって、大統領とはかなりギクシャクした関係がつづいている。
現に、「非常戒厳」発令に対して、主として野党の国会議員が集まって「解除要求」を可決したときも、与党の韓代表とそのお仲間の与党議員も議場におり、賛成票を投じている。「全会一致で解除要求を議決」との報道があったが、「与野党全会一致」の議決ではなく、100名以上の議員は欠席していた。少なくとも尹派の与党議員は議場にいなかった。
こうしてみると、尹大統領の「非常戒厳」は、野党だけでなく与党の一部からも徹底して詰められてストレスが貯まりに貯まり、負け戦とわかっていながら行使した自暴自棄とも思える無謀な策略だったようだ。もっとも、狙いは「野党リーダーの逮捕だった」という説(朝鮮日報)もあるが、逮捕はできなかったのだから、いずれにせよ尹大統領の「失敗」だったことに変わりはない。
これによって大統領弾劾のリスクはいっそう高まり、韓東勲など与党の一部を巻き込んで多数派野党による弾劾が議決されれば、あらためて大統領選が実施されることになる。そうなれば、またもや「共に民主党」から大統領が生まれることになりそうだ。ただ、「国民の力」の韓東勲が尹錫悦から離反したのも、次期大統領選出馬を狙っての戦略かもしれない。それが功を奏するかどうかは微妙だが。
それにしても、韓国の大統領の椅子ををめぐる「何でもあり」の激しい攻防(大統領引退後の逮捕・訴追・収監・恩赦の連鎖も含む)の歴史をあらためて振り返ると、大統領弾劾に対抗して「戒厳令によって政敵を葬る」という戦略も「ありかな?」と思えてきてしまう。その「賭け」が、大統領弾劾の可能性を決定づけ、自分自身の首を絞めることになるとは何とも皮肉である。日本の政治状況もたしかにグダグダだが、「民主主義の泥沼化」という点ではやはり韓国のほうに軍配があがる。
こうした混乱がつづけば、それこそ尹大統領が懸念する「従北優位」(無頼国家・北朝鮮に寄った勢力の優位)の状態が現実に生じ、東アジアの国際秩序に大きな変化がもたらされかねない。自分たち(日本)のグダグダを取りあえず棚上げして、「しっかりしてくれよ韓国」と叫びたくなる気持ちを抑えるのは難しい。