消費税並みに国民負担を増やす「公務員定年延長法案」 の是非 (上)全2回

麻雀事件は黒川氏の「能力」の証明

黒川弘務東京地検前検事長の賭け麻雀事件で、政府は国家公務員等の定年延長法案の今国会における成立を断念し、安倍晋三首相は同法案の「廃案」も示唆した(5月23日)。これに対して野党の一部は反発し、「黒川氏の問題を公務員たたきの話にすり替えるような話だ」(立憲民主党の安住淳国対委員長)といったコメントを発表しているが、自民党内にも首相の豹変に違和感を感ずる議員も多いという。5月23日の毎日新聞の世論調査では、安倍政権に対する支持率が5月6日の40%から27%へと急落し、多くのメディアが「国民の安倍政権に対する不信感はかつてないほど強まっている」といった論調で報道している。

たしかに「3密」を避ける自粛が強く要請されるなか、賭け麻雀をするような検事長の定年延長人事を強行した政権に国民が背を向けるのはやむをえない。が、冷静に見ればどうでもいい問題でもある。
文春によれば、黒川氏の麻雀好きは有名だというが、麻雀だけでなく飲食も含め、やはり検察庁の渉外担当として並々ならぬ力を発揮してきたこともこの一件から読み取ることができる。コロナ禍で新聞記者を集めて麻雀をするほどだから、黒川氏の渉外力はピカイチだったのだろう。朝日新聞が黒川批判の先鋒に立ってきたとの評価もあるようだが、それは間違いだと思う。一面・社会面の見出しはともかく、朝日新聞に掲載された黒川氏の問題を掘り下げた記事の論調は、氏に終始同情的だった。朝日新聞は検察OBまで駆りだして政府の検察庁法改正案を批判したが、黒川氏個人を批判したことはなかった。麻雀メンバーに朝日の元記者がいたことからもわかるように、それもまた彼の渉外力のなせる技だ。賭け麻雀事件は黒川氏の「能力」の証明ともいえるもので、今さらながら官邸が「黒川検事総長」にこだわった理由がわかった気がする。

逆にいえば、今回の定年延長はやはり政府首脳の黒川氏に対するエコ贔屓にすぎないもので、その意味では批判されて当然だが、「検察の独立性・中立性を侵す」という批判はまるで的外れだったこともはっきりした。事件では官邸の人事にまつわる「幼稚さ」があぶり出されたことになるが、批判する側もまるで「素っ頓狂」だったことになる。

定年延長法案廃案は正しい決断

本来なら、検察庁法における定年延長問題と国家公務員の定年延長問題とは別個に議論されなければならない問題だった。これらを一緒くたにして議論することで、事物の本質がまったく見えなくなってしまったのである。本コラムで何度も指摘してきたとおり、定年延長の問題は、残念ながら黒川氏の人事を絡めた低いレベルで議論されてきたと思う。
 
政府が恣意的に検察官の定年を延長するという行為はもちろん望ましくない。人事権の違法な行使という見方もあった。だが、検察権力の民主的再編あるいは検察権力の抑制という点から見れば、検察を含めた司法のあり方に一石を投じる可能性があった。ところが、政府の意識も野党の意識もきわめて低いレベルで迷走したため、混乱のうちに黒川氏個人の人事の問題、さらには自粛期間中の賭け麻雀の是非を問う問題へと収斂してしまった。
 
混乱の発端とその責任が安倍政権にあることは明らかだが、もう1つの問題、というより国民生活にとってより重大な国家公務員等の定年延長法案を、黒川氏の一件をきっかけに首相が本気で見直しする(廃案にする)なら大いに歓迎したい。「災い転じて福」といったら言い過ぎだが、首相は黒川氏の一件での失点を挽回できるほど重大な決断をしたと思う。
 

「公務員定年延長」に伴う家計負担は約3万2千円増

 
公務員の定年延長には給与支払いが伴う。つまり、他の事情に変化がなければ、概ね60歳から65歳まであらたに給与を支払うことになり、その増分は財政支出に上乗せされる。これを負担するのは納税者、つまり国民である。
 
国家公務員を例にとってみよう。現在、自衛隊など特別職を含む国家公務員数は約58万人である。定年退職者は毎年約1万人だ。65歳まで定年を延長したとすると単純計算で公務員は58万人+5万人(1万人×5年分)=63万人に増える。現在の法案では、退職時給与の7割を支給することになっている。国家公務員の給与は複雑な俸給表を元に算定されるので職位や職種によって異なるが、平均的な退職時年収は700万円前後と推定される。700万円の7割を継続して支払うとなると約490万円が定年延長後の年収だ。490万円に国家公務員数の増加分5万人を掛けると、その総額は2450億円となる。給与総額は2450億円増えることになる。さらに、この2450億円に対して社会保険の政府負担(雇用者負担)が発生する。その割合は給与の約23%であり、2450億円に1・23を掛けたものが実質的な人件費増加額となる。計算すると3013億円となる。したがって、国民負担の増加分は3013億円である(数値はいずれも平成30年度基準)。
 
しかし、負担増はこれだけに留まらない。国家公務員の定年が延長されればほぼ自動的に地方公務員の定年も延長される。地方公務員の給与増も国民のあらたな負担となる。地方公務員の数は国家公務員の比ではない。合計274万人で年間退職者数は約5万人に登る。国家公務員に準じて計算すると、定年延長に伴う雇用増は25万人となる。退職時平均年収は国家公務員より低く600万円程度の推定される。延長後の年収は600万円×0・7=420万円となる。60歳超の地方公務員は25万人だから、年間給与増加額は1兆500億円となる。これに社会保険料の自治体負担分(23%)を上乗せすると、人件費総額は1兆2915億円だ。
 
国家公務員の人件費増3013億円と地方公務員のそれを合計すると1兆5928億5千万円にのぼる。約1兆6000億円の人件費増だ。日本の人口は1億2600万人(2020年5月推計)だから、国民1人当たりの負担増は1万2642円となる(年額)。日本の平均世帯人員は約2・5人なので世帯当たりの家計負担の増加は年間3万1605円である。昨年10月の消費税増税に伴う家計負担増は年間3万円と試算されたが(日本総研)、それに匹敵するかそれ以上の負担が増える可能性がある、ということだ。【(下)に続く】
批評.COM  篠原章
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