旧ユーゴスラビアのムード歌謡とテクノ歌謡—Netflix『KLEO シーズン2』を観て
『KLEO/クレオ』シーズン2
Netflixで『KLEO/クレオ』のシーズン2が始まった。
簡単にいえば、ドイツで制作されたスパイもの活劇、スパイものミステリーに属するドラマなのだが、生まれながらにして工作員に育てられた東独の女スパイ・クレオをめぐる物語である(時期的には1987年から1990年)。実話に基づいてるとのことだが、その実話までは調べきれていない。
ドイツ映画はけっこう見ているほうだが、テレビ・ドラマとなるとほとんど馴染みがない。学生時代ドイツ語が大好きだったので、かつての専門だった財政学(税制)の分野では「ドイツ語を使いこなす新進気鋭の若手研究者」ぐらいに思われていた時期もあった(その頃は著名なドイツ語文献の翻訳もいくつかある)。「今は昔」で、現在はドイツやドイツ語からすっかり遠ざかっているが……。
おもな舞台はベルリン(東ベルリン)。ベルリンの壁が崩壊する6年前(1983年)に東ベルリンに行ったことがあるが、あの閉塞感はいまだに忘れられない。食料品店に長い長い行列つくる市民の生気のない表情。銃を携えて街角で警備に当たる警官や兵士の無表情も異様に目立っていた(撮影禁止)。そうした外形的な事実からだけで、計画経済(社会主義・共産主義)の失敗は明らかだった。
それと対照的に、当時の西ベルリンは実に頽廃的で享楽的な街だった。西ベルリンの若者たちは、「壁の鬱屈」に駆り立てられてか、テクノ・サウンドやパンク・ロックに走り始めていた時期だったが、SMクラブや乱交クラブなどの会員制秘密クラブに通いつめる「大人」たちも少なくなかったと思う。
旧ユーゴのムード歌謡
おっと、本筋からそれた。
言いたいのはそんなことではなくて、第2シーズン第3話に出てくる1980年代のユーゴスラビアの音楽のことである。クレオがベオグラード(旧ユーゴの首都)に赴き、自分の過去を探索する場面があるのだが、滞在するホテルのディスコでかかっていたユーゴスラビアのポップスに大いにたまげてしまったのである。
最初に出てきたのは、1960年代から2000年代初頭にかけて活躍したクロアチア・ザグレブ出身の人気歌手、イヴィツァ・シェルフェジ(Ivica Šerfezi)の「Još Uvijek Volim Plave Oči」(「青い瞳の彼女」といった意味?)。哀愁を帯びた音色のテナーサックスから始まるこの曲、まさに日本の「ムード歌謡」そのものではないか、と驚愕。当時も今も、誰もユーゴのポップスにまで目配りしていないから、日本でカヴァーする歌手がいなかったのはやむをえざることだが、60年代・70年代までの日本だったら流行ったかもしれない。
旧ユーゴのテクノ歌謡
その次に驚いたのドゥブラヴカ・ジュシッチ(Dubravka Jusić)の「HARAKIRI」という曲。同タイトルの楽曲は多いが、ユーゴ(クロアチア)出身の作曲家で、ドゥブラヴカの父に当たるジェロ・ジュシッチ(Đelo Jusić) の作品。シンセサイザーを使ったユーゴ版ユーロビート(シンセティック・ミュージック)風ポップス(テクノ歌謡?)。ドイツ(西ドイツ)発のジンギスカンが放ったシングル・ヒット「ジンギスカン」にインスパイアされたものと思われる。HARAKIRI(腹切り)という日本語を理解しているのかどうか定かではないが、なんとも小気味よくダンサブルなシンセポップに仕上がっている。
「ベルリンの壁」崩壊前の東欧ポップスのことなんて考えたこともなかったが、多様性が自慢の、独自の社会主義を貫いていた(後にこれも大失敗だったことがはっきりするが)ユーゴスラビアに、これだけの音楽(ポップス)遺産が残されていたとは!
今は自分の不見識をとても悔いている。