ボブ・ディラン「風に吹かれて」考ーーーゴスペルとの関連をめぐって

ぼくにとって、もっとも難解な(というか、正体のつかみにくい)歌手はボブ・ディランである。

北中正和『ボブ・ディラン』(新潮新書・2023年)や湯浅学『ボブ・ディラン–ロックの精霊』(岩波新書・2013年)は良著だったが、これらの著作を読んでも、ぼくのディランに対する疑問は完全には氷解しなかった。

元ソニーミュージックのプロデューサーでパンクバンド「フリクション」の熱心な支援者である中西義明さんとの個人的なやり取りの中心は目下ボブ・ディランをめぐる評価なのだが、そのやり取りのなかでわかってきたことがある。

それは、ディランのもっとも有名な楽曲“Blowin’in the Wind”「風に吹かれて」1963年)は、南北戦争の頃から歌い継がれてきたゴスペル“No More Auction Block for Me”※(「もう競売は止めてくれ」)とほぼ同じ譜を使っている、ということだ。

※このコラムでは、もっとも古典的なゴスペルのスタイルに近い音源をリンクしている。

ディランはその最初期に“No More Auction Block”を歌っているが、これも前出の“No More Auction Block for Me”の「for Me」 という部分を取り去ったカバー曲である。

“Blowin’in the Wind”がヒットした後に、“No More Auction Block”についてもディランは著作権を設定したが、その意図は”Blowin’in the Wind”が“No More Auction Block for Me”の模倣曲であるといわれたくなかったからだ、とぼくは推測している。

むろん、”Blowin’in the Wind”の歌詞はディランの完全なオリジナルで、“No More Auction Block for Me”は1960年代のトラディショナル・ソングだから著作権はない。したがって、ディランが法に抵触する行為をしているわけではないが、ゴスペルまたは奴隷歌に対するリスペクトを欠いている、といわれてもしょうがないかな、とは思う。

1862年に「シー・アイランド(Sea Islands)作戦」という北軍の作戦があった。ジョージア州やサウスカロライナ州沿岸地域(シー・アイランド)を攻略する作戦だった。その作戦の際に、同地域にあったプランテーションの白人所有者たちは、これらのプランテーションを放棄して逃げたが、そのプランテーションを守っていた南軍が一部の黒人奴隷を連れ去ったという逸話がある。この逸話をもとに“Many Thousand Gone”という歌が創られ、それが“No More Auction Block for Me”と改題されて歌い継がれてきたという。

戦前から黒人テノール歌手兼俳優として活躍していたポール・ロブスンやゴスペル歌手で来日経験もあるオデッタがこの歌をレパートリーにしていたらしい。ロブソンにもオデッタにも1960年前後の録音がある(リンクの音源を参照)。ディランは彼らの歌を聴いて、ほぼそのままメロディを借用したのだと思う。

ちなみに、ロブスンは、オデッタ同様公民権運動の旗手としても知られているが、同時にスターリン(ボルシェビキ)のアメリカにおける擁護者としても知られている。亡くなるまでFBIやCIAに監視されていた、との話もある。スターリンにとっては、もっとも利用価値の高い著名人だったのだろう。ロブスンが病になったときにはロシアの病院で治療してもらっていたという。ロブスンは、スターリンによる虐殺やユダヤ人差別を知らなかったようだが、「知らなかったでは済まされない」と思う人々もいるだろう。

ぼくはディランによるトラッドの借用は「全く問題なし」と思うが、ディランが「コマーシャルな活動(売れたいと思う心情)と無縁だった」「ロック精神の塊だ」という言説が正しいとは思わない。が、歌唱法については実に革新的だと思うし(後世のラップを先取りしている)、メロディ・メイカーとしても秀逸だと思う。一方で、「ロックの神様」的な扱いをする風潮には、やはりついてはいけない、と感じている。

ちなみに、最近になって岡林信康の「俺らいちぬけた」は、ディランの“Like a Rolling Stone”の借用だと気づいた。これは1971年に発表された楽曲だから、50年以上にわたって気づかなかった自分の不徳を悔いている。だからといって、岡林信康の事績を否定するつもりはまるでない。「俺らいちぬけた」の収録された同名アルバムは、歌手・岡林の実力とともに、プロデューサー・柳田ヒロのとギタリスト兼ベーシスト・高中正義の力量を示した傑作だと思っている。

「風に吹かれて」が収録されたボブ・ディラン『フリーホイーリン』

 

オデッタ

ゴスペル歌手オデッタのカーネギーホールにおける録音。篠原の一番好きな“No More Auction Block for Me”が収録されている。

批評.COM  篠原章
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket